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http://blog.goo.ne.jp/area-study/e/2ed87182bb602e19eb40a0d70468c3dd
4月1日上杉隆が「ジャーナリストと呼ばないで」をリリースした。作詞・作曲は上杉隆、歌も上杉隆。反響は凄い。ミリオンセラーの勢いだ。上杉隆のツィッターは4月1日以降フォローアーが急増、20万は来週中にも超えるだろう。
自由報道協会を立ち上げた暫定代表が「12月31日をもってジャーナリズム活動を休止することを決めました」と発表した。これをどう解釈するか。私は「ジャーナリストと呼ばないで」と叫んだと思った。大本営発表専門の記者クラブと御用聞き専門のライターがジャーナリストを名乗っているならば、「俺達と一緒にしないでくれ」「俺達は誇り高い自由報道者だ」と上杉流に主張したのだと思う。「ジャーナリストと呼ばないで」です。
大本営発表が信頼できない公式発表の揶揄表現として使われだしたのは最近のことだ。いや昔からあったがそれほどメジャーではなかった。私がブログで「大本営発表・デフレギャップは解消した」
http://blog.goo.ne.jp/area-study/e/12ee823047a2b345d268ca2ece03cbee
を書いた2006年3月当時はまだそれほど氾濫していなかった。それが今はどうです。「マスコミ=大本営発表」と揶揄されるまでにメジャーな言葉に成長した。
今から50年前、60年前は「新聞記者」と言えばゴロツキ扱いされていた。営利事業だから広告を出せば良い記事を書くが、出さなければ悪口を書くゴロツキで、新聞記者になるなどと言えば親に怒られた時代だった。その後エリート風の憧れの職業になったが、実は中身は大して変わっていなかったのですね、昔から(笑)。それが最近わかった。
上杉隆の「ジャーナリストと呼ばないで」が大ヒットすれば、ジャーナリストとは「大本営発表を垂れ流す人々」「御用聞き専門記者」と世間に定着してWikipediaに載るかもしれない(爆笑)。フリーライターが信頼できる人々でジャーナリストは胡散臭い人々となる。
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上杉隆作詞作曲「ジャーナリストと呼ばないで」は、中島みゆき風だね。
私の帰る家は みんなの声のする街角
強い雨に打たれても みんなの足音さがすのよ
あなた(記者クラブ)の帰る家はみんなを忘れたい街角
肩を抱いているのは 黒い背広の偉い人
心が街角で泣いている ウソは嫌いだとすねる
ジャーナリストと呼ばないで
真実を連れていかないで
ウソを置いていかないで
ホントが好きな私なのよ
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