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今回の震災で、「新自由主義者はこういう時にも自己責任論で被災者を見捨てるのだろう」とメチャクチャなことを言うリベラルがいるようだ。やっぱり日本のリベラルはエセなんだということを痛感する。
そもそも「新自由主義者」なるものが何なのかもよくわからないが、小さな政府論者が新自由主義者だというのであれば、別にそういう呼び名であっても構わないとは思う。ただ、小さな政府論者、すなわち「改革する保守」は、日本のリベラルが言うような自己責任論を唱えたことは一度もない。日本のリベラルは「市場対国家」ということに対する理解が著しく欠如しているので、「無法か統制か」の極端な二者択一しか思い描けないのだろう。
改革する保守は、市場の役割を重視している。可能な限り市場メカニズムに委ねた方が、資源配分が効率的に行われると考えるからだ。と同時に、「市場の失敗」についてもよく理解している。あるいは、市場では対処できない不確実性についても想定している。だからこそ、国防、治安、防災、金融危機、(構造的理由による一部の)失業・貧困については、当然のことながら国家の役割を重視する。
最も新自由主義的とされてきた小泉政権も例外ではない。戦後日本政治の中では、一番市場の役割を重視していた小泉政権だが、金融危機についても最も敏感であった。不良債権処理を断行するために、多額の公的資金を注入した(まさに「大きな政府」的政策)。もしゴリゴリの市場原理主義者であれば、金融システムが崩壊しようとも不良債権はそのまま放置して、長期的に自然に調整されるのを待つはずである。しかし、小泉政権は「市場の失敗」を理解していたから、国家の役割を最大限発揮して、金融システムの崩壊を防いだ。不良債権処理の過程で倒産・失業した人たちは小泉政権を恨んでいるだろうが、もし、小泉政権が不良債権を放置していれば、大規模な金融システム崩壊が起きて、甚大な経済的ショックを引き起こしていただろう。実際、小泉政権以前の政権は、一部の人から恨まれることを恐れて、問題を先送りし、悪化させただけだった。
このような小泉政権の姿勢は、欧米の保守政権なら当たり前のことである。市場の役割を重視しながらも、市場では対処できない問題については、国家が素早く断固たる行動を取る。特に、個人の力ではどうすることもできない国防、治安、防災においては、保守政権は積極的に役割を果たそうとする。また、改革する保守は就職氷河期問題を自己責任問題とは考えない。むしろ、古い日本型雇用システムに固執するリベラルの方が、就職氷河期問題を自己責任問題にすり替えて、正社員労働組合などの既得権を護持しようとしてきた。
一方、欧米のリベラル政権は、大きな政府論で、福祉などの国家の役割を増大させるけれども、ちゃんと増税もして給付と負担をバランスさせている。経済政策も、極力、市場メカニズムを活用するために、積極的な規制緩和路線をとっているリベラル政権も少なくない。また、国防、治安、防災に対しては、軍隊や警察がきちんと活用され、国民の生命・財産を守ってくれる。「市場対国家」の比重が違うだけで、国家の最優先課題は国民の生命・財産を守ることだということを、保守もリベラルもわかっているのである。
ところが、日本ではリベラル政権がエセリベラルなので、本来やるべきことをやらず、後回しにしていいことばかりをやろうとする。福祉をやるにしても、増税を言うと選挙で落ちるからと(有権者をバカにして)、赤字国債に頼り、基礎的財政収支を悪化させる(小泉政権は基礎的財政収支を劇的に改善して黒字化達成間近だった)。結果的に、給付と負担はアンバランスとなり、世代間格差が広がる。「いのちを守る」と言いながら、国民の生命・財産を守るための国防、治安、防災については鈍感で、村山政権などは自衛隊を活用することも拒んだ。菅政権は菅政権で、復興資金を確保することよりも、子ども手当という福祉バラマキを優先させている。
欧米のリベラルと違い、日本のリベラルが福祉バラマキにばかり熱心で、非常時への対応や、規制改革などの構造問題に取り組もうとしないのはなぜか。それは、単に軍隊アレルギーがあるというだけでなく、本質的に「福祉国家」というイデオロギーにこだわっているからだと思う。福祉国家を完成させるために、平時において、本来なら自立できる人たちを福祉漬けにしていく。イデオロギーが優先されるから、ひたすら福祉バラマキと、それに国民が広く依存するシステム作りばかりが行われて、「本当に困っている人たち」は後回しにされる。市場メカニズムに委ねるべき場面で国家が出しゃばり、国家が進んで役割を果たすべき場面で引っ込んでしまう日本のリベラル政権こそ、「俺たちの理想実現に関係ない場面では個人が苦しんでいても知らない」という「悪しき自己責任論者」だと言うべきだろう。日本のリベラルも、欧米のリベラルのように、目の前の課題に(イデオロギーではなく)現実的に取り組むという、当たり前の姿勢を身につけてほしいものだ。
さらに日本の場合は、自民党という「保守」政党でも、政権によって政策的にはリベラルというねじれがあるので、話がややこしくなる。田中角栄的な「古い自民党」は、軍隊アレルギーがあまりないというだけで、政策的にはリベラルだろう。だからこそ、角栄的な社民主義を引き継いだ「新しい民主党」が、反小泉改革の風潮の中で政権交代を果たした。そういう点から考えると、角栄的な政治勢力によってより自覚的に新たなリベラル政党を結成することが、日本のリベラルをまともにする近道なのかもしれない(同じことは保守政党についても言える)。「小泉対角栄」というのが、日本の保守・リベラルの健全な対立軸である。
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