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3日朝刊2面【総合・政治】
「山を削って高台に住むところを置き、海岸沿いに水産業(会社)、漁港などまでは通勤する。植物、バイオマスを使った地域暖房を完備したエコタウンをつくり、福祉都市の性格も持たせる」――。菅直人首相が1日の記者会見で語った東日本大震災からの復興都市案が、松本健一内閣官房参与による提案だったことが明らかになった。松本氏は仙谷由人官房副長官のブレーンの一人で東大在学中からの友人。仙谷氏は震災直後から元官房副長官の古川元久、松井孝治の両氏、元防衛政務官の長島昭久氏らと復興案を練っていたが、松本氏も協議に加わり「小高い丘に環境対応のコンパクトシティーをつくる」と提案した。松本氏は3月28日に首相と会談し、「ビジョンを首相が打ち出していかないとだめだ」と進言。この席で仙谷氏らと協議した「漁港に行く方々は例えば山の中腹に住まわせる」との案を示した。
泥酔は数日前より、親族の家の後片付けのため宮城に来ております。
ここはやや内陸部のため、津波による被害こそありませんでしたが、なるほど古い家屋は激しい揺れで倒壊しています。
しかし、これが深度6強かという感じもでなく、震災後一週間で全世帯の電気、水道が復旧したことを思うと、地震に備えていた地域だったのでしょう。
今日、近隣の南三陸町で集団避難が始まり、ここの地域も多数の世帯を受け入れてます。
南三陸町、こちらでは志津川や歌津という地名で今も呼ばれていますけど、山の中腹に住めと言われても、ご案内のように三陸リアス式海岸の「山」は大変急峻です。
それでも、公共施設や学校、病院は高台あるいは比較的斜面が緩い中腹に建てられており、津波にも備えていたわけです。
一方、利便性や効率性から言えば平地、即ち海側に職住が集まるのはごく自然なことで、三陸の歴史はこうした海から山へ、山から海へというものだと思います。
「小高い丘に環境対応のコンパクトシティーをつくる」、少子高齢化や限界集落の問題などから、公共施設、学校、病院、交通、商店、住宅地を1つにまとめようというのがコンパクトシティー構想です。
生活に必要な施設を家から歩いて行ける範囲に作れば、高齢者となっても不自由しない、そうした理想郷を三陸でも津波の来ない高台にという話のようです。
これはこれで結構ですが、急峻で狭隘なこの地域をどれだけ切り開く必要があるのか、10年で済むことなのか、机上でなく現実的な検討がされているのかを大変危惧しています。
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