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仏教という思想の復活を述べると多数の人がバカにする。大多数の日本人はこの優れた宗教の背景にある哲学的な思想を知らない。仏教が葬式という行事だけのものとしての認識しかないからだろうし、仏教界も思想的な啓蒙を怠っているからでもあるだろう。しかし、だからといって我々がその本質を知らずしてバカにするという態度には賛成できない。逆に武士道という言葉には異常な高揚感を持つ人が大多数である。けれどどれだけの人がこの言葉の背景にある思想的なものの歴史とか内容を理解しているのであろうか。国民が高揚感を持つその原因は海外、特に欧米での評価が高いというだけで喜んでいるのではないだろうか。同じ現象は仏教でも「禅」についてだけは評判がいい。これも明治時代に語学の天才でもあった禅僧である鈴木大拙という人が英語による啓蒙活動を行い、禅というものの評判が欧米で高まったことからの逆輸入現象である。哲学的な学問は欧米のもの一辺倒であり、日本的なものや東洋的なものはほとんど無視されている。日本人は明治以前の過去の精神的文化を全て棄て去ったかに見える。
我々の中には依然として明治以来の、西欧こそが進んだ文明であり日本は劣っているという潜在意識が存在したままである。確かに明治維新によって急速に西欧化させたことと、精神的なバックグラウンドは国学を背景とした平田神道に基づいた国家神道による富国強兵により列強国への仲間入りを短期間に果たすことができた。しかし、その成功は江戸期までに存在した武士階級や一部の商人階級に存在していた儒教や仏教などの高度な精神的思想と高い教育の蓄積があったことを見なければならない。その証拠は、これらの思想的な持ち主がいなくなるとともに、我が国は単なる西欧の植民地的な考えによる周辺各国への侵略や、太平洋戦争への突入という愚かな行動に突っ走ったことを見れば明らかである。敗戦によってもたらされた制度としての民主主義は国民に「国家」という重しからの解放は与えたが、その本当の意味の重要性は認識されてこなかった。とにかく荒廃した国家の復興と、先進国に追いつけ追い越せという、第二の明治維新のような事が官僚主導による全体主義的な国家体制により成し遂げられた。確かに経済的には奇跡的な復興は遂げられた。しかしながら国民は豊かになったであろうか。
バブルの崩壊以来から現在に至るまでの我が国は迷走したままである。経済的にもGDPでは中国に抜かれたし、物づくりという伝統的な製造業についての神話も、コスト競争により過去のような成功は到底達成できない状況にある。政治的には過去からの制度を変えられない官僚社会主義の弊害が続き、民主制度は大きく歪められて官僚への権力集中が続いたままで何も変わっていない。国民の考え方には依然として西欧の物質的な進歩史観が中心なものばかりであり、精神的なバックグラウンドとなる思想が存在しない。過去には考えられなかったような無差別殺人や若者の結婚観の変化などから来る急速な高齢化社会が迫っている。地方の疲弊はひどく、大都市との格差は一向に改善されない。長きにわたる自民党による独裁が終わる政権交代が実現したかに見えたものは、菅直人政権によってみごとにぶち壊された。日本中に閉塞感が充満している。
戦後以来、国家の教育に道徳は存在しない。科学技術という西欧の進歩史観に基づくものの重要性ばかりが声高に叫ばれて巨額の税金が毎年消えている。政治のなかに政治家が見えない状況がずっと続いている。全ては過去のママが正しいかのような政策が続き、国家の形を変えるような新しい試みは官民、特にマスコミ、既得権を持つ者により潰されようとしている。この国はどこに行こうとしているのか、我々はどのような存在であるべきなのか、誰も根本的な問題を述べない。正しい精神的なバックグラウンドを持たない人間が何を言ってもダメなように、単なる経済的な問題だけを述べているだけで国は作れない。優れた精神的な思想があったことを我々は気が付かなければならない。その優れたものを取り戻すことこそが国を変える原点である。
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