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中国の清朝が倒れた後、毛沢東は共産主義による一党独裁のもとに儒教の思想を徹底的に排除した。この現状を変える事を否定し、科挙という制度により役人を登用して儒教を国の隅々にまで浸透させる形こそが国家を衰退させてきたことを見抜いていたのである。
我が国の官僚制度もこの「科挙」と基本的に同じである。一見、身分制度などを否定して誰でも優秀であれば国の運営に関わる重要な地位につける優れた制度に見える。しかしながら問題は、その基本的な考えのもとになる国家体制そのものは変えないという事が問題なのである。中国の衰退はまさに儒教という国家体制が変わることなく長く続いたことが原因なのである。ひるがえって我が国はどうであろうか? 官僚の無謬性という言葉に代表されるように、自分たちのすることに間違いはないなどという、封建時代にもみられなかったひどい考えに基づいた保守・保身の権化のような考えが明治以来ずっと続けられている。明治期においては、江戸期までに確立していた武家社会を基本に確立されていた「公」の倫理によって官僚制度は機能していたが、それらの倫理的な基盤のない公務員が増えるにつれて制度は荒廃していった。その最大のものは軍部官僚の独裁と言う形と、それを変える事が出来ない官僚制度という弊害が対米戦争という破綻に向かって突き進む結果になった。
戦後は米国を主体にこの国家制度を変えるためにいろいろな事がなされ、民主主義という制度が導入された。しかしながら現在の状況を見れば本質は何も変わっていない事が明らかである。官僚たちは依然として国家運営の全ての権力を持ち、政治家は無力化されたロボットに成り果てている。長きにわたる官僚と一体化した自民党政権によって、この国は完全に官僚社会主義国家に成り果てたのである。その根本的な原因は政治家たちの立法権の放棄にある。法治国家という基本は、立法行為を誰がするのかという事で主権者が決定される。現状は「閣法制度」というものにより政治家は立法行為をしていない。全てが官僚機構に組み込まれ、国民の代表者たちは「議員立法」などというバカげた制度に騙されたままである。議員立法しないで何のための国会議員なのか、どれだけの議員たちや国民がその意味を理解しているのだろうか。福島原発の事故処理問題の根源にも、官僚制度という責任を一切取らないという存在がある事を忘れてはならない。
国家の形態を本当の民主主義に変える事は喫緊の重大事である。何が何でも現状の制度を変えて行政府の暴走を止めなければならない。そのためには国会議員たちと国民の権利意識の自覚しかない。立法行為を国会議員のものに戻すことこそが最大の目的にしなければならない。行政府の職員に過ぎない官僚たちに立法行為や法律の解釈をさせてはならない。国を変えるためには長きにわたる悪弊を取り除かなければならない。それをすると困る既得権力の保持者たちの妨害はマスコミを含めて至る所にある。全ての困難を廃して進むだけの気骨のある政治家を国会に送り、本当の意味の国民主権国家に変えなければならない。このままでは過去の中国と同じで日本は確実に衰退する。国の形を変えよう、国民が覚醒しなければならない。
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