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政府・安全委員会・保安院・東電、どいつの話も信じられない
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2011年03月25日 | 日記 :世相を斬る あいば達也
必要以上の混乱を起こさないためと云う配慮かどうか判らないが、原発放射能漏れ問題の情報は隠ぺいされ過ぎている。20〜30キロ圏自主避難が好ましい発言といい、関電工社員らに被曝の原因等々についても、原発事故問題の官房長官説明を聞いていると、結局国民が知りたいことを何ひとつ語っていない事実だけが明確になるだけだ。
このように政府を中心に隠ぺい性の強い情報だけを発信する姿勢が、多くの憶測情報を鼓舞する悪循環を起こさせている。現実に起きている事象は原発事故のレベルでいえば6であり、NHKの如く楽観情報を掻き集めても、なんら事情が好転するものでもない。
原発事故に現場の人々が必死の作業を行っている事実に目を背ける積りはないが、所謂背広組は事ここに至っても、原発の復旧を夢見ている。福島原発は未だ進行中の出来事であり、チェルノブイリ原発事故の7に向かっている可能性が高いと考えるのが、それこそ「万が一のため」ではないのだろうか。
東電一社の命運がどうのこうのではない。あの企業はそもそも国策企業なのだから、一時国営企業になっても、問題のない話だ。ある意味で、国家のエネルギー安全保障を、この際改めて原点に戻って考えるべきだと、天の声が発せられたのかも知れない。
冷静に考えると、人類史上最悪の原発事故である、チェルノブイリの石棺による封じ込めも、実は応急措置に過ぎず、原発事故後の完全な封じ込めは科学的に一切証明されていない。未だにチェルノブイリ石棺からは放射能は漏れているわけで、30キロ離れていても、その安全性は保証されていない。そのことは、全科学者周知の事実である。
枝野の今日の30キロまでの自主避難発言は、このチェルノブイリの30キロ圏を何となく想定して、確たる根拠なしに保安院等が考え出したアリバイ工作のような自主避難区域の拡大だろう。おそらく米国が杞憂とも思える感じで自国民に伝えている80キロ避難のアドバイスは的を得ている可能性は高い。
ただ、政府としては放射線被爆からの避難と50キロ、80キロ避難における民族大移動のような混乱を収拾する手立てが見えないので、苦渋の選択として、丁半博打に出ているものと推察するのが妥当だろう。
パニックを起こさせない為の配慮か、実は何ひとつ判らずに、後追い情報を流して、無為無策状態になっているのかさえも、判らない。政府がこのような国民の明日の生活防衛に必要な情報を隠ぺいする体質に、事故を極力小さく扱いたい意図が見て取れる。これらの状況は、結局原発マフィアとでも言うべき、政官業学の既得権益集団の利益確保のメカニズムから、一歩も脱却したくないと云う姿勢に通じているようである。
思うに、東日本大震災における、岩手・宮城・福島・茨城を中心とする震災被害は、いまだ継続中であり、復興の方向に向かう兆しすら見えていない。国民は一流、政治行政は3流以下が現在進行形で証明されている。 これだけの未曾有の大災害への対応を俯瞰的に観察していると、政府が必死に慌てふためき、もがいているにも関わらず、一向に中央行政が真剣に動いていない感がある。
この政府と中央省庁の動きの鈍さは、或る程度予測の範囲だが、それに比して、地方自治体の首長間の支援体制はそれなりに機能している点が目立つ震災支援状況だ。 また、概ね被災地が温厚な県民性を有している事が、政府に対する怒りを内在させ、顕在化させていない点も注目しておかなければならない。
このような事態に至っても、菅直人の人間性は変わる事もなく、安定政権に繋がる大連立などを画策する助平根性を見るに、呆れるという以外言葉はない。 しかし、野党自民党・公明党が悪者になるのを怖れ、国民の為により良き政治を行うために、菅内閣打倒の旗を早々に投げ捨て、哲学なき野党的迷走に至っている。
笑いが止まらないのは、誰あろう菅直人一人である。小沢一郎も雌伏期に入ってしまった。 統一地方選も一部延期するだけで、災害対策競争のような選挙戦が幕を開けてしまった。このどさくさに実行した方が与党民主党に有利と読んだのであろうが、そんなに国民は馬鹿だとは思わない。
しかし、地方選に大敗したとしても、菅直人は反省もせず、総辞職も解散もしないであろう。まさに幸運の持ち主であり、国民は幸運から見放されつつある、と悲観論に陥る。
地震の津波だけでも大災害であるにも関わらず、東京電力福島原発の放射能漏れ事故は、天災が引き金ではあったが、明らかに人災の方向を示している。流石に菅の所為だとは言わないが、日本の長年にわたる、戦後の政官業学の癒着体質を如実に現す構造に、あきれ果てる。 コトここに至っても、彼等が国民の安全方向に舵を切らない姿勢は、原発マフィアと云う仲間意識の中で、ガヤガヤ議論し悩み続けているのだろうが、彼等が自分達には原発がないと生活が成り立たないと云う前提で、問題の解決や今後の方向性を考えている以上、国民の生命を守ると云う立場での議論を期待するのは無理なのかもしれない。
筆者としては、忸怩たる思いだが、米国が当初から目指していた「廃炉」に舵を切る考え方が正しかった可能性が高くなっている。勿論、丁半博打な世界に入り込んでしまった以上、日本国民としては事態の好転を祈らざるを得ない。
現実に菅直人の政治的能力を持って、日本の福島原発の全面廃炉や50キロ圏の住民への強制避難など、リーダーシップを取ることは困難なのだから、運を天に任せるしかなくなっているのだろう。政治の貧困と行政官僚のサボタージュで、日本の国家はとてつもない試練を与えられてしまう事になるようだ。
しかし、それでも日本国民は蘇る。どのような国難に至ろうとも、全力で国家の再建に真摯に向き合うに違いない。たしかに「我欲」を捨てる国難が迫っているのだろう。しかし主たる我欲を捨てるのは、一般の国民ではなく、石原を含む既得の権益で生きてきた指導的立場に居た、多くの人々であり、組織だと云う事を、ここで明確にしておかなければならない。
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