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小沢待望論を“菅”無視…「復興庁」トップに人材いるのか?
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110323/plt1103231633004-n1.htm
2011.03.23 :夕刊フジ
★平成の後藤新平はいるのか
政府・民主党は、東日本大震災の被災地復興に取り組む「復興庁」創設の検討に入った。関東大震災(1923年)後に設置され、東京改造事業を成し遂げた「帝都復興院」がモデルだが、同院は明治−大正期の大政治家、後藤新平が総裁として辣腕を振るったことで有名。平成の世に、そんな大人物がいるのか。
「名称は別として、1つのまとまった機能を果たすシステムや組織を当然考えなければならない」
枝野幸男官房長官は22日の記者会見で、復興庁創設について、こう前向きに語った。被災地復興には、阪神・淡路大震災の約3兆円を大幅に上回る10兆円超の予算規模が必要とされ、被災者支援が一段落した時点で具体的な法整備などに着手する方針だ。
ここで参考になるのは、88年前に大活躍した後藤新平だろう。
後藤は安政4(1857)年、現在の岩手県奥州市に生まれ、福島の須賀川医学校を卒業後、内務省に入省した。大胆剛毅で優れた先見性を持ち、あだ名は「大風呂敷」。1898年から8年間、台湾総督府民政局長を務め、産業振興や鉄道育成などで実績を重ねた。その後、満鉄初代総裁や逓信相、鉄道院総裁、外相、東京市長などを歴任した。
関東大震災直後に組閣された第2次山本内閣では、内務大臣兼帝都復興院総裁として、大規模な区画整理と幹線道路の整備を伴う復興計画を立案。当時の国家予算1年分に匹敵する13億円を要求したが、財界などの猛反対で予算は約半分に縮小。ただ、靖国通りや昭和通り、明治通りなど、現在の東京の骨格のほとんどを完成させた。
今回の復興庁でも、誰がトップに着くかで、復興の形が大きく変わるのは間違いない。
震災発生直後、民主党内では、被災地の岩手県出身で、後藤と同郷である小沢一郎元代表に対し、「東北を熟知している」「権力闘争をしている場合じゃない」「剛腕の小沢氏を副総理兼東北復興担当大臣に」という声が、小沢グループ以外からもわき上がった。
ところが、「反小沢」で凝り固まった菅直人首相はこれを無視。本来の敵であるはずの自民党の谷垣禎一総裁に「国家的危機だ。ぜひ会いたい。副総理兼震災復興担当相で入閣していただけないか」と打診した。ただ、大連立による政権維持の目的がミエミエなうえ、電話での依頼という無礼な振る舞いに、谷垣氏は拒否したという。
現在、復興庁のトップには、「影の宰相」こと仙谷由人官房副長官が就くとの見方が有力。果たして、仙谷氏は後藤新平になれるか?
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