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http://diamond.jp/articles/-/11579
3月11日に起こった東北関東大震災の被害状況は未だ予断を許さない。単なる比喩でなく文字通り懸命の作業が福島第一原発で行われているが、原子力被害の拡大を有効に食い止められるか、今後は不透明だ。また、折からの寒さや、地震で破壊された交通の影響もあって、一命をとりとめたものの、健康を害する被災者が増えている。災害そのものは、まだ現在進行形だ。
あるいは、現状はまだ復興を考える段階ではないかも知れないが、既に大きな被害が発生してしまった以上、なすべきことの中心は被災地域の復興だ。復興のための準備は早いほうがいい。
たとえば、これから月日が経つと、自分の土地に戻って家や事業所を再建し始める被災者が出るだろう。しかし、彼らが投資する場所は、必ずしも、今後の地域復興の計画にそったものではないかも知れないし、そもそも危険な場所かも知れない。
自力で自宅や事業所を再建しようとする被災者にとっても、早く復興の青写真を示して貰わないと、どこにどのように投資していいかが分からないので、投資が出来ないから、これは地域復興の遅れにもつながる。
復興のあり方を決めるのは、主として当該地域の住民であるべきだが、話し合いのための時間を十分取るためにも、復興計画の検討は早く始める方がいい。
増税でなく日銀引き受け
震災の被害額がどれくらいのものなのかはまだ計算できる段階ではないが、今のところ、直接被害で10兆円〜13兆円、フローの経済の縮退による間接的な被害で7兆円(当初1年間で)などと推計された阪神淡路大震災の被害を大幅に上回るとする概算が多いようだ。
これに対して、投入すべき財政資金として、10兆円、あるいは20兆円といった額が議論されている。
問題は、そのファイナンスの方法だ。
一方には、地震発生後に菅首相と会談した自民党の谷垣総裁が震災対策を名目とする増税に言及したように、増税を財源とすべしという意見がある。また、平成23年度予算の子ども手当の増額分などを震災対策に回してはどうかという財源の振替を行うことを主張する向きもある。共に、今、財政収支の悪化を防ぐことに重きを置いている。
他方、10兆円、あるいは20兆円の復興支援のための特別国債を発行して、これを日銀に引き受けさせるべきだとする意見もある。こちらは、デフレ対策を重視する。
前者は、あわよくば震災復興を理由に消費税率の引き上げ等の恒久的な増税を行い、いわば「霞ヶ関株式会社」の増資を企てると共に、子ども手当のように、官僚に権限が発生せず、天下りの役にも立たない支出から、財政資金を引き剥がすことを、この機会に狙っているように見える。
全額増税や他の支出の削減では難しい場合、国債を発行し、消化が困難なら一部は海外市場でも販売すればいいとする意見もある。
しかし、増税、まして、消費税率引き上げのような恒久的な性格の増税は、被災地以外の経済活動に対してブレーキを掛けることになるだろう。全てが同じではないが、95年の阪神淡路大震災、96年の消費税率引き上げ、97年、98年の山一證券、日本長期信用銀行の破綻といった一連の日本版金融危機の経緯を考えると、増税は避けるべきではないか。
復興財源に関する増税論者は、単純に「日本の(累積)財政赤字は大きすぎて大変だ。これ以上の赤字は積み上げられない」と思っている方が多いように思われる。
しかし、一般的には財政赤字の害悪はインフレに表れるが、日本は長年デフレに苦しんでいる。その累積規模からみて、今後の財政赤字のマネジメントが「簡単だ」とは言わないが、復興国債を、デフレ脱却の目的に言及した上で日銀が引き受けるなら、国債市場は復興国債の消化のための圧力を受けないし、円高にもならないし、復興支出を通じて民間経済にお金が出回るので金融緩和の効果があり、国民のインフレ期待が(少しは)高まるだろう。いいことずくめのように思われる。
国債の日銀引き受けが、俗に「禁じ手」と呼ばれるのは、これがインフレにつながりやすいからだが、日本はデフレから脱却したいのだから、むしろこの手をこそ有効に使うべきだ。
復興国債を市中消化すると実質長期金利が上がり、円高になる公算が大きい。まして、海外での販売は円買い需要に直結する円高要因だ。何れもデフレ的だし、景気にもマイナスだ。
もちろん、将来行き過ぎたインフレになれば金融を引き締めるべきだし、財政収支も黒字方向に持っていくべきだろう。しかし、デフレで且つ国債の9割以上の消化が国内で出来ている状況で、復興国債の日銀引き受けを怖がる理由はない。
警戒すべきは、「政策通」とおだてられた政治家が官僚の振り付け通りに、震災を利用して増税に走ることだ。
コンクリートよりも人へ
言っていたこととやることが余りに違うので、民主党の前回総選挙のマニフェストを、詐欺師が作ったパンフレットのように嫌っている有権者が多いかも知れないが、総選挙の当時、民主党が掲げた「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズは、今こそ思い出す価値があるのではないか。
復興需要というと、どうしても「インフラ整備」をお題目とする建物や道路の建設といった公共事業がイメージされがちだ。自称アイデアマン達が、産業構造の転換を伴う被災地域の復興計画を売り込んで一商売企む図が頭に浮かぶ。
もちろん、津波による街の破壊や、地震による交通の寸断を考えると、被災地の電気、水道、交通、といった生活の基礎になるインフラの整備が必要であり有効でもあることに強い反対はないが、同様以上に必要なのは、個々の被災者の生活支援だ。
端的にいって、被災者に対して、被害によってある程度の差を付けながら、生活再建のための「現金」を配ることが必要であり、同時に効果的ではないだろうか。
個々の被災者にとって、これからどうするのが最適なのかは人それぞれだろう。地元のコミュニティーに残って地域と共に生活を再建したい人もいるだろうし、これを機に別の地域に移りたい人も居るだろう。
彼らにとって、被災地域以外の住民からの経済的な援助は、善意から直接行われるものにせよ、政府を経由したものにせよ有効だが、支援の使い道は、人により、世帯によって異なるはずだ。
被災のレベル判定は難しい問題だが、仮に、最も深刻な被害を受けた被災者にたいして一人で初年度に百万円、二年目に50万円、三年目に30万円、四年目に20万円といった現金を配るとするとどうだろうか(子供は大人の半額〜同額の間くらい)。子供が2人居る4人家族は、子供分を半額としても初年度3百万円になるが、期限付きとはいえ仮設住宅に加えて現金がこれくらいあると、生活再建に関して、相当の自由度を持つことが出来るだろう。
震災復興の議論は始まったばかりだが、特に官僚寄りの論者(たとえば、いわゆる「御用学者」)は、被災者への金銭支援には消極的であるようだ。
論者によっては、自治体側の支援受け入れ体勢が短期間には整わないので、復興資金の早期大量消化は難しいと主張する向きもあるが、現金支給型の援助は、取るべき手続きを国会で決めさえすれば、兆円単位の支出でも手早く実行できる。金銭支援は足が速いのが魅力の一つだ。
もちろん、被災者への現金支援のためには国会による関連立法が必要になるが、こうしたニーズに応えることこそが立法府の役割だ。
いったん受け取った現金を何に使うかは個々の被災者の自由であるべきだ。共同での地域復興に当ててもいいし、被災地以外の場所に引っ越すことも、それが便利な被災者には悪いことではない。被災者はなるべく大きな選択の自由を持つべきだ。産業の誘致に関しても、たとえば、復興地域に立地して従業員が住み込むような事業に対して法人税を二十年程度軽減(あるいは廃止)するような仕組みの設定が有効ではないか。収益のある事業、経済力のある個人が集まるような仕組みが復興を早めるし、どの事業をどこで行うかに関するアイデアは官僚や一握りの「有識者」が考えるよりも、民間事業者に任せる方がいい。
従来型の公共事業に偏った復興支援は、官僚や特定の業者にとっては喜ばしくとも、被災地域の人でもメリットを受ける人とそうでない人との差が大きい。
今やすっかり忘れられそうな「コンクリートから、人へ」だが、震災からの復興を考える上では思い出す価値があるコンセプトではないだろうか。
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