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東日本大震災と福島原発の被災は、文字どおり国難と言える危機だ。そこには、天災・人災・政災が相互に絡み、掘り下げが必要な三つの課題がある。
<天災>
まず、天災とは、M9.0の大地震と大津波だ。想定外が言われるが、世界には、チリやスマトラなど、今回を上回る地震や津波があったのだ。御厨貴は、「復旧を超えた新しい国造り」2011.3.17朝日新聞)、辺見庸は、「日常の崩壊」(同愛媛新聞)を書いている。そこでは、変化の激しい風土が育んだ日本人の自然観が問われている。
私達は、脱亜入欧で西欧技術文明を受け入れてきた。それは、科学・技術信仰と言ってもよい。だが、そこに一神教で人間優位の西欧自然観と、「敬天愛人」で自然と人間が共生する日本人の価値観の背反を感じる。
テレビで地震防災の研究者の一人は、大津波に10メーターの堤防が無力だったことから、これまでのような災害復旧では対応できないと語った。そこから、コンクリートと鉄による従来型の災害復旧ではなく、災害に順応し得る国土と生態系の保全が必要となる。
大津波の被災地は、多くが田畑や森林などの農林地に、遊水池・沼沢地が組み込まれて自然生態系が形成され、住民の居住地は、扇状地の山麓や山間の高所に設けられる。その基軸は、灌漑・輪作・放牧などの高度化、自然更新・択伐・林牧複合、魚釣り林など、農林漁法の変革だ。
自然と人間が共生する、地域循環型の地域再生計画だ。それは、流域圏を範囲とし、堤防やダムから、信玄や清正の霞堤みのように、自然に逆らわない低水方式の水利技術が軸となる。被災者が求めているのは、これからの展望だ。この地域再生計画は、その設計図であり、住民の仕事と暮らしの羅針盤となる。
また全国には、荒れた山野と不耕作地、居住者の無い住居を抱える限界集落が、広範に存在している。こうした地域の人々が、伊達直人になって、ネットで被災者の受け入れを呼びかけ、これを自治体や政府が支える仕組みが必要だ。
既に福島県知事は、他県や国民に被災者の受け入れを呼びかけ、集団移転に周辺自治体の公共住宅・施設の提供も始まっている。日本は、皆家族だ。近隣だけでなく全国で、移住を含め、長期の体制を構築できないだろうか。
併せて、百万円を限度に、10年期限の長期無利子生活資金資金貸し付け、不耕作地の提供による家庭菜園などの自給自足や、自治体による雇用の創出など、住民の智恵を結集したい。こうして地震や津波が再発しても、悲劇を繰り返さないようになる。
この国を挙げての取り組みは、被災地の東日本とシャッター街を抱える西日本が、禍を転じて福にする再生の契機になる。閉塞した日本が、元気になる第一歩なのだ。
<人災>
次に、人災とは、福島原発事故と計画停電に集約されている。小沢一郎は、「今日の地震と津波による、福島県の原子力発電所における火災や、爆発による放射性物質拡散などの事態につきましては、政府、東京電力に対し、正しい情報を迅速に公表することを、強く求めるものです。」と述べている。
また日本の原子力安全・保安院は、福島第1原発の事故について、「レベル4」と発表していた(18日「レベル5」に修正)。だがフランス原子力安全局(ASN)は、「事故の現状は前日(14日)から、全く異なる様相を呈している」と述べ、国際原子力評価尺度(INES)の「レベル6」に相当するとの見方を示した。【3月16日 AFP】
1979年に米スリーマイル島で起きた原発事故は「レベル5」、1986年旧ソ連のチェルノブイリ原発事故は「レベル7」だった。だが、今回の事故は、原子炉に加え、地震と津波で電源と冷却機能が破壊された。加えて福島第1原発だけで、6基の連鎖事故という、過去に経験したことが無いものなのである。
既に米国議会やドイツや中国の首相など、世界に原子力発電の再検討・中止や凍結が伝えられ、国内でも浜岡・上関の見直しが浮上している。放射能の不安に、エネルギー政策の見直しは必至だ。だが、その検討は、原子力からの転換を含む政治主導が必要で、その場凌ぎの糊塗策に終わらせてはならない。
この事故で、原発の安全神話は、大きく信頼を失った。使用済み核燃料の処理、石棺を含め廃炉・閉鎖技術も、未解決な課題が多い。その根底には、技術文明に疑いを持たない利便と効率の追求がある。加えて、政財界主導の集権体制が生み出した一極集中の首都圏と、地方の過疎という表裏の歪みがあるのだ。
地震列島の原発は、エネルギー政策を見直し、長期的には原子力発電を廃止し、小水力・バイオなど自然力の利用優先に転換が必要である。それは、地域資源や住民の仕事や暮らしを、活かし・つなぐ地域循環を構築し、地域経済・社会の再生を土台に、日本全体を再生させるだろう。
<政災>
小沢一郎は、また「この度の災害は、現在も被害の実態が把握できないほどであり、戦後の荒廃期に匹敵するほどの危機的状況ともいえます。私たち日本国民は有史以来、幾多の国難を乗り越えてきました。この事態にあたり、今こそ私たちは、その勇気と英知を結集して、この危機を乗り切らなければなりません。」と述べている。
さらに国民新党の亀井代表は、菅首相に対し、「災害対策本部には各党から参画させ、挙国体制をつくることなど、四項目を申し入れた。
だが政府・東電・与野党・マスコミの災害対応は、原発事故の連鎖・深刻化と不安の抑制が表裏で、客観的な情報の公開、最悪の状況が明示されず、後手後手に回って迷走した。原発電源の回復・注水冷却の緊急対策に加え、そこに欠けていたのは、放射物質汚染データの公開、最悪事態に備えた避難計画の明示ではないだろうか。
飯田哲也は、福島原発事故について、次の三つを指摘した。一つは、電源や冷却装置の復旧は、「カーターマジック」(幸運)を祈るだけである。二つは、圧力容器・格納施設の破損による、最悪懸念の水蒸気爆発、再臨界のシュミレーションを行い、避難計画を明示することだ。三つは、災害対応の経済財政政策であると。
政府の待避地域は、3キロ、10キロ、20キロ、30キロと拡大し、駐日米国大使は80キロを指示し、外国人の国外退去もあった。そして被災地域の住民は、自発的な待避を始め、自治体の長は、政府と住民の狭間で立ち往生した。
そこには、口蹄疫の宮崎県知事が、政府と住民農家の狭間で、苦慮した情景が思い起こされる。原発事故への対応、計画停電、待避や支援の組織体制に不可欠だったのは、政府・東電主導のトップダウンではなく、国民・住民・地域の智恵と力を結集するボトムアップなのだ。
東日本大震災・福島原発事故の影響で、被害予想12.7兆円、GDPを0.4 %引き下げが報じられている(世銀〜19兆円)。そして産業界の生産規模の縮小、西日本への生産拠点の移動、自動車・鉄鋼の海外移転加速、電機の脱原発事業改革、エネルギー政策の見直しも予想されている。
これまでTPPで第三の開国が言われ、政府・多国籍企業は新成長戦略で、原子力発電を含むインフラ輸出を推進してきた。また社会保障と税の一体改革も、震災・原発事故の影響が産業・社会全体に及び、共に新たな視点への転換が必要となる。
即ち、今度の大震災と原発事故は、従来の外需依存・海外生産指向経済と、内需再構築・国内産業の立地と技術・市場構造変革という、政策路線の選択を必要とし、日本の命運を決めるのだ。それ故、迷走する政災の打開には、この政治的な路線選択に、国民が広く参加する論議の場が不可欠である。
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