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仏教に基づく精神というものの見直しを投稿するたびに訳の分からない非難の意見が現れる。このような非難を行う者たちは我が国における仏教の何を知っているというのだろうか。西欧のバックボーンになっているキリスト教の何たるかを知らないように我が国の大乗仏教の歴史すら知らないのではないだろうか。寒気を覚える意見には宗教は単なる支配のための道具に過ぎないと一笑に付すだけのものがあった。新興宗教ではあるまいし平安時代以来の長い歴史のある仏教と日本古来の神のまじりあった神仏混合の考えは嫌でも我々の生活の中に根付いている。そのような歴史的な感覚もなく、ましてや仏教の何たるか、宗派別の考えの違いなどをどれだけ我々は知っているのか自問してみればいい。「もののあはれ」という日本独特の感情がどこから来ているのかを考えてみたらいい。
私は西欧思想の全てを非難しているのではない。たしかに世界は西欧文明による科学技術に基づいて飛躍的に発達したことは否定しない。しかしながらそれをもって全てが西欧の尺度で進めなければならないと考えるのはどうなのか、という提案に過ぎない。我々が明治以来に教え込まれてきた西欧一辺倒の考えは正しかったのか、それを立ち止まって考えるのは何も悪い事とは思えない。教育においても国策においても科学技術が依然として偏重され続けている事は正しいのか、それを使うための精神的なバックボーンの教育はあるのか、それを問うているのだ。一体誰がこのような問いを発しているのか、ほんの少数の知識人以外は何も意見を発していないし、ましてやメディアも何もその事は取り上げない。世界の複数の国々は核という恐怖の兵器を無数に所有している事実があるのに、世界はそれが存在しないように思えるほど無視している。この現実を変える努力は殆どなされてはいない。唯一の被爆国である我が国は何ができるのか、そのために国民の考え方のバックボーンはどうあるべきなのか。残念ながらそれについては戦後以来、被爆地や被爆者以外が大きく声を上げたり行動しているとは思えない。核兵器以外でも戦争は依然として世界中で起こり続けている。国と国の利害関係の調整は遅々として進まず、現実に対して世界は無力なのが現実だろう。
このようなものに対する唯一の改善手段は我々の考え方を変える事しかないのではないのか。それを行う努力ができるのであれば非難する前に実行するべきであるし、少なくとも議論はするべきである。最低限の食料や生活は必要であるが、物質だけで人は絶対に豊かにはなれない。他人との共生抜きにしても生きてゆく事も出来ない。仏教という言葉だけで拒否反応を示さずに、自らそれが何たるかを調べる事もなく安易に非難せずに、多くの人々がその思想を知る事を希望してやまない。我々には素晴らしい精神的な歴史があったことにきっと驚くはずである。
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