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2011年03月18日(金)
阪神大震災でもそうだったが、被災地の日本人は、世界が驚嘆するほど、秩序正しく、我慢強く、感謝の念を忘れない。
悲嘆のなか、避難所の人々が、力を合わせて生活再建に向かいつつある姿を見るのは、心強く、誇らしい。
ただ、痛恨の思いがあるのは、津波から逃げ遅れた人が多かったことだ。津波の怖さについて知識がある人、ない人の差が生死を分けたかもしれない。
というのは、人はだれも、いずれ死ぬという認識はあっても、心理的には「自分だけは死なない」と思っているからだ。死んだ経験がないのだから、想像力が働かないのも当然といえる。
そこで、ともすれば、危機に対して鈍感になりやすい。みんなが大騒ぎするほどになればパニックに陥るが、みんなが鈍感なうちは、安心している。
たまたま先日、「NEWS23」で、記者が記者個人の避難行動を記録した15分ほどの長い映像を見た。レポートではないため迫真性がある。
東北放送の武田弘克記者は仙台の海岸近くで産廃関連の取材中、激震に見舞われた。地震発生は11日午後2時46分ごろ。それからしばらくして津波が襲ってきた。
大地震後の混乱で、道路は車で渋滞していた。武田記者は海から津波がやってきているのに気づいた。
武田記者は乗っていたタクシーの運転手に「逃げよう」と声をかけ、二人で近くのビルをめざして避難をはじめた。
この段階では、波は静かに寄せているように見えていた。のちの猛々しさは想像もできない。しかし、武田記者は過去の取材活動を通じて津波の怖さを知っていた。
数珠つなぎになった車のなかから出ようとしない人々。武田記者はあらん限りの声を出して「津波が来る、逃げよう」と叫びながら、近くを通っていた何人かの人々とともに二階建ての工場の敷地内に入った。
工場の入り口にはカギがかかっていたが、武田記者が大声をあげたのに気づき、工場の関係者が開けてくれたらしい。
このとき、足元には道路表面をおおう程度のわずかな水量しか到達していなかった。
武田記者らは急いで二階に上がった。そのとき道路を見ると、すでに大きな濁流が流れ込んできていた。武田記者はもっと高いところに行かねばという不安に襲われたという。
このあと、消防団経験者が近くの木にしがみついている人たちを消防ホースで救援し、武田記者のいる工場二階に引き上げる場面まで、武田記者は避難者を励ましながらずっとカメラをまわし続けた。
津波は、目の前に危険が現れたときにはもう遅い。この映像からそれを強く感じた。
にもかかわらず、大地震のあとの津波襲来を知りつつ逃げ遅れてしまう行動の鈍さのなかには、やはり誰もが共通して持っている「自分は大丈夫」という心理状況が隠れているのではないだろうか。
これを心理学用語で「正常性バイアス」というらしい。「異常事態に対し心を平静に保とうとする働き」のことだ。
ストレス軽減のため人間に備わった心的防御作用だろうが、これが働きすぎると、命にかかわる危険に対しても鈍感になってしまう。
また、他の多くの人と同じ行動をしておれば安心だという「集団同調性バイアス」なる心理も、ときに悪い方向に働く。
たとえば、先述のような渋滞の列から、一人だけ車を飛び出す行動は、相当な確信を要するだろう。
そこで、津波警報などの災害情報に求められるのは、心理的バイアスがとれて住民がそれを深刻に受けとめることができるような伝えかたである。
念のためにという程度でも、これは重大だというケースでも、同じやり方で「避難してください」では、オオカミ少年のようなことになってしまう。
武田記者の映像は、武田記者が大声で危機意識をあおったからこそ何人かの人々の命が救われたことを示している。その大声のおかげで「自分は大丈夫だ」という正常性バイアスがとれた人々が武田記者とともに避難できたといえる。
これを機に、より効果的で適切な災害情報の伝え方を行政なり専門機関に研究してもらいたい。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
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