06. 2011年3月14日 22:52:23: MMSvM0uhE2
【日本版コラム】東日本巨大地震で再確認された首都圏の構造的脆弱さ尾崎弘之・東京工科大学教授 2011年 3月 14日 9:37 JST まず、被災地の皆さまの、ひとりでも多くのご無事と早期の救援をお祈りします。
3月11日午後2時46分、東北・三陸沖を震源とするマグニチュード(M)9.0の国内観測史上最大の地震が発生した。この地震は、M9.5だった1960年のチリ地震には及ばないものの、世界観測史上5指に入る巨大なものであることが分かった。 今回の地震はいくつかの想定外の事態を生んでしまった。まず、被害地域の想定外の広さである。今回、長さ600km、幅200kmにわたって断層が破壊された。結果として、神戸市周辺に被害が集中した神戸淡路大震災と異なり、同時多発的に被害が発生した。 また、大津波の規模も想定外だった。高さ10メートルを超える想定外の大津波により、集落をまるごと壊滅させるような被害が起きた。防災の前提となる津波の「想定規模」が適切だったかの議論はあるが、高さ10メートルの堤防を作るのは現実的でないかもしれない。 管理責任者が「想定外」の事故と説明しても、外部の納得を得ることが困難なのは、東京電力福島第一原子力発電所1号機で発生した炉心溶融(メルトダウン)である。原子炉の格納容器には地震の被害が起きていないのに、メルトダウンが起きてしまった。これを想定外と説明できるか大いに疑問である。国際原子力事象評価尺度(INES)によって「深刻な事故」とされた1986年のチェルノブイリ原発事故(旧ソ連)に迫る「史上最悪級の原発事故」が日本で起きたことはショックである。 首都圏で大量発生した「帰宅難民」 岩手県、宮城県、福島県など想定外の被害が起きた地域と比較して、首都圏の人的・物的な被害は少なかった。ただ、都心の震度は5と震源に近い福島市と同程度で、体感の揺れも強烈だった。 地震発生時、私は千代田区の大規模ホテルの講演会に出席していたが、古いビルのせいか、骨組みが金属音を立てて激しく揺れ、生きた心地がしなかった。すぐそばの九段会館の屋根が崩落し死傷者が出て、緊急車両によって道路が封鎖された。 余震が収まったところで、まずコンビニに向かったが、初震から1時間しか経っていないのに、おにぎり、サンドイッチ、パンは総て売り切れだった。皆、地震の際の初動は心得ているようだ。最寄りのJR飯田橋駅に行くと、「線路点検が終了して、余震のおそれがなくなるまで運行再開しません」と掲示されている。これでは今日中の運行再開はないと覚悟し、自宅まで20km近くを歩くことに決めた。まず、外堀通りと靖国通り経由で新宿を目指したが、まるで縁日の参道を歩くように、人だらけであった。これが想定されていた「帰宅難民」の歩道渋滞だと納得したが、この人の流れは深夜まで続いた。 新宿駅周辺はあてもなく電車再開とバスの順番を待つ人、疲れた顔で座りこむ人で混雑し、まるで数千人のホームレスが出現したようであった。私のように無理すれば歩いて帰れる人は良いが、さらに遠方の人は下手に動くと危険なので、駅などでじっと待つしかない。都心のターミナル駅はどこも新宿と似た状況だったが、公共施設や職場などに寝泊まりした帰宅困難者は数万人に達したようだ。 帰宅難民問題の深刻さを痛感した日だった。一部の例外を除けば、首都圏では人的・物的被害は殆どない。ビルの倒壊も見られず、液状化した湾岸地域以外は、道路の陥没も少ない。それでも大きな混乱が起き、物流に障害を来し、スーパーからカップラーメンが消えている。「もしM8クラスの地震が千葉県沖で発生したら?」など、想像するだけで恐ろしい。 世界でダントツに巨大な「首都圏」 大量の帰宅難民の発生は、首都圏が山手線エリアを中心に、一都三県にドーナツ型に広がっていることに起因する。 実は、首都圏は世界でダントツ最大の都市圏である。国連の調査によると、2008年の首都圏人口は3667万人で、世界二位デリー(インド)の1.65倍、首都圏のGDP(名目、2008年)は1兆8000億ドルで、世界二位ニューヨーク(米)の1.4倍である。中国の経済成長を見て、北京や上海の通勤渋滞の方が深刻だと考えがちだが、首都圏の通勤地獄が世界一であることは、この数字を見れば明らかである。 また、帰宅時間の国際比較を行うと、東京人の帰宅はかなり遅いことが分かる。内閣府資料によると、東京在住の男性のうち、20時以降に帰宅する人の比率は全体の61.5%であり、17時以前に帰宅する人はゼロである(1999年)。調査対象を千葉、神奈川、埼玉に広げたら、帰宅時間はもっと遅くなるだろう。同じ調査をストックホルム(2003年)で行うと、37.3%が17時に帰宅し、20時以降に帰宅する人はわずか1.8%である。パリ(2004年)は飲んで帰る人が多いのか、26.6%が20時以降に帰宅するが、44.2%が17時から19時に帰宅する。2005年にソウル、北京、上海、台北を対象に行った同様の調査でも、東京人の帰宅の遅さは際立っている。 首都圏の過密度は、国際比較で見る物理的限界を超えているのである。過密は災害対策上悪いだけでなく、満員電車による移動から来る精神的ストレス、物流コスト増加、エネルギー浪費、温暖化を引き起こし、社会的、経済的リスクが一極集中する。 「首都移転」以外に帰宅難民問題を緩和する方法 この状況を緩和するひとつの方法が国会や霞が関を東京以外に移す「首都移転構想」だが、莫大な費用がかかるし、その後も経済拠点の東京一極集中が続けば、首都移転がどれだけ役立つか疑問である。 そこで、首都移転以外の方法を考えてみた。問題解決には、大企業の東京から他地域への移転を制度的に促進することである。企業は東京に小規模の支店機能だけを残して、大半のオペレーションを地方都市に移すのである。メーカー、サービス、ITと業種を問わず、補助金や特別免税措置を与えれば、首都移転よりも、ずっと安上がりで有効な経済移転ができる。従来から地方都市は大企業の移転を誘致してきたが、企業にとってのメリットが少なく、全国的に成果が大きかったとは言えない。ところが、国策によってメリットを大きくすれば、企業の移転を推進することができる。 移転について肝心なことが二点ある。まず、単に工場を地方に移すだけでなく、地方都市の文化度、教育レベルも高めるような施策も同時に必要である。これこそ、地方主権のあるべき姿であり、人も地方に定着する。二番目に、移転補助金の対象は大企業に限定するべきである。大企業が動けば、中小企業も人も連鎖的に動くのが日本経済の構造的特徴である。この政策を中小企業の延命措置に転用しては意味がない。 東京は企業にとっても、人にとっても魅力的な街である。ただ、首都圏にいることによる高コストや生活の不便さに耐えられる人ばかりではないだろう。プロ野球の日本ハムや楽天も地方に行って輝いたではないか。「平成の民族大移動」の必要性を今回の災害は再認識させてくれた。 ***************** 尾崎弘之 東京工科大学大学院ビジネススクール教授 http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_198014 |