http://www.asyura2.com/11/senkyo109/msg/716.html
Tweet |
http://jcj-daily.seesaa.net/article/189778192.html#more
メア米国務省日本部長が昨年12月、沖縄県民について「ごまかしとゆすりの名人」などと愚弄し、侮辱する重大な問題発言をにしていた問題。
枝野官房長官が8日午後、ルース駐日米大使からの申し入れを受ける形で電話会談した。ルース氏は、「沖縄県民の心情を深く傷つける深刻な事態になり、極めて遺憾だ。報道された発言内容は米政府の公式な立場を反映したものではない」と強調して、「この状況を克服すべく、誠心誠意努力したい」と話した。枝野氏は、「万が一、事実なら極めて不適切で、沖縄県民や日本人の心情を著しく傷つける。容認しがたい」と抗議したと報じられている。
ポイントの一つは、この電話会談がルース大使側からの申し入れで行われた点にある。
枝野氏はこの問題が浮上した当初、7日午後の記者会見で、「日米は前自民党政権時代以来の長年の積み重ねのある関係だ」として、日本側から米側に事実関係を照会するのは、「ある意味では問題ではないか」と述べて、大使を呼びつけようする姿勢など微塵もみせず、日米の「信頼関係」を優先する対米従属の姿勢を露骨にとっていた。
発言そのものについても、「事実と異なると思われる報道にどう対応するのかは米政府で、必要があれば適切に対応される」と、驚くべき不見識な態度を示していた。
琉球新報によると、記者から、枝野氏はなにをもって「事実と異なる」とするのか、その根拠を問われると、「私は別にそう認識していない。ただ事実でないと思われているだろうと想像して申し上げた。記事が事実か事実でないか自体コメントする立場でない」と、わけのわからない釈明をしたことは、この重大問題を重大問題と認識できないことを指し示している。
その後、8日午前にも、メア氏の発言内容そのものについて、「実際どう発言したか承知していない。コメントは控えたい」と口にしていた。態度を変えたのは、午後の会見。記者から沖縄県議会の抗議決議の動きなどを指摘されてから。沖縄で続々と「抗議」決議が出されていく動きだけでなく、米国側の動きのほうが影響していた可能性もある。枝野氏は、「報道だけ見れば沖縄が怒るのは当然」と微妙に立ち位置を修正。だが、メア発言の確認について、それでもまだ、「日米間では、さまざまな問題で日ごろから不断の協議、連携を図っていて相互理解を深めている。報道のみをもって、一つ一つの発言を確認する必要はない」(琉球新報)と述べた。
そして、同じく8日午後のルース駐日米大使の<電話会談>へと移る。この電話会談について、枝野氏が米側に<抗議>という点が強調して報じられているが、前述したようにこの会談自体、ルース氏側からの申し入れ(のかたち)で行われており、その直前の記者会見での枝野氏の発言内容をみるかぎり、枝野氏側からアクションが起きたわけではない。枝野氏自ら駐日米大使をよびつけて<抗議>をしたわけでもない。報道と実態には、大きな<距離・乖離>が存在する。
私にはこれはどうも、前原氏辞任をうけ後任の外務大臣が不在のなかで、外相の<臨時代理>の位置にある枝野氏を、メディアの側がサポートして流した印象がある。ただし、特に枝野氏をサポートするものでもない。枝野氏をサポートするというより、今回のメア発言をめぐる国内世論の沸騰をおそれ、先走って沈静化をはかろうとする対応という感じがする。私は思わず、かつての「依ってきたる所以を別として」とした<七社共同宣言>を思い出していた。
既存の大手メディアが暴動を先導したり、組織したり、扇動したりする必要はないが、そもそもメディアがこの件の発覚早々、最優先して国民世論の<沈静化>を自らの<役割>と認識して動く必要もない。事実を虚偽にならない程度に微妙にゆがめて、<なあなあ>の状況に持ち込むための情報環境を創出するのがメディアの<使命>だと考える人々が、依然、存在することを危惧する、メディアがそのような<性質>を内抱したままであるならば、それは民主主義社会におけるメディア、ジャーナリズムの姿とはもはやいえなくなってしまう。<支配層の走狗>もしくは<支配層の一部>として<支配層と一体化>して動くのであれば、そうした報道・言論機関は。公権力の暴走に加担する勢力と認識されても文句はいえなくなってしまう。
かつて個々人が社会的に分断されやすく、他の個々人の考えを容易に知ることも、意見を共有することも困難だった時代においてさえ、メディアのそうした姿勢は許容すべきものではなかった。だが、個々人の情報発信ツールがはびこり、人々が即座にたがいの存在を知り、情報と考えを共有することが可能な時代となっているいまにおいては、なおさらのことである。
メア氏の重大な問題発言には、米日の安全保障条約、基地問題、米軍と自衛隊の<融合>など、日米関係のすべてにかかわる根幹部分が含まれている。それをメディアや言論人が、冷静に冷静にと世論を先導する気になって、<なあなあ>で終わらせようとすれば、いつまでたっても、<地位協定>に象徴されているような米国と日本の間に横たわる<差別>と<従属>の構造を払拭することはできない。少なくとも日本社会が総体として、<米国に屈従して文句は言いません>との決議でもしないかぎり、09年7月まで在沖縄米国総領事を務め、現在は米国務省日本部長の地位にあって、米軍の基地問題や地位協定の運用などについて大きな影響力と権限を有する人物の、日本人と日本社会を愚弄し、侮辱する発言について、<なあなあ>に持ち込もうと日本のメディアが暗躍したり、工夫を凝らしたりすることは決して許されることではない。それこそが健全な日米関係を構築する上での障害そのものとして機能することになるからだ。そのことは、いまさらあらためて指摘する必要もないはずの部類に属しているはずである。
グローバル化が進行して国と国の距離が近づき、利害関係も複雑に入り組んでいる。ミクロの変化が即座にマクロの変化に直結し、マクロの変化が即座にミクロ環境に打撃を与える。そうした変化による影響を共有して問題解決に挑み、国際関係と各国・地域双方の利益と安定に資する新たな展望を緻密に理解を共有しながら、さらに国際社会に与える影響も考慮しながら、世界の未来を切り開いていく。その智恵と工夫を的確に発揮しあうことを常に求められる時代に私たちはいる。そのことを忘れ、メディアが<萎縮>したり<微妙なウソ・虚偽>をもって、<事態沈静化>のための情報環境づくりにまい進しているようでは、その余計な<情報操作><情報管理=世論操作・言論統制>に費やされるエネルギーと時間と誤解・混乱の分だけ、問題の共有と解決は遅れる。ゆえに、そうした要素が報道に入り込まないよう、時代錯誤の蠢動について、市民は厳しく監視していく必要がある。
<メア発言>ついてのメディア、主にテレビの取り組みの姿勢は、枝野氏が初動の他人事の姿勢から徐々に微妙に変化していったのと同様だった印象がある。私にはそう感じられた。沖縄県の決議や米国側の動きなどをうけて、枝野氏もトーンを微妙にスライドさせたわけだが、煮え切らない日本政府よりも、米国の動きのほうが早かった観さえある(メア発言で明らかになった米側の都合からいえば当然のことだろう=お客様は日本側である。それを見下して食い物し、それを当然と考える輩が米側の重要な関係者として存在していることが今回明らかになったのだから)。
菅首相に至っては、8日夜になって、官邸で記者団に「そういう発言があったとすれば、大変遺憾だ」(共同通信)とやっと口にした程度のことしか報じられていない。日本の外交上、早期に首相が激情してみせるようなやり方は避けたいとする圧力や思惑や慣習が働いたにしても、問題を問題と感じない首相のこの体たらくは問題である。菅氏はどうも、問題や課題についての<優先順位>を的確に判断する能力を欠いているのではないか、と思う。
米側は、在日米大使館が7日夕、「米政府見解を反映していない」とした声明を発表した。8日にはルース駐日米大使が、枝野官房長官に直接電話して「遺憾の意」の表明・声明も出した。続いて、TBSニュース、テレ朝・ANNニュースによると、キャンベル国務次官補が「政府の立場を反映したものでもない」、部下のメア部長の発言について「不幸なことで深く失望している」として「個人的に謝罪したいと語った。ただし、報道されている発言内容について「正確ではない」とする、<かっこつきの謝罪>に留まっている点を見逃すわけにはいかない。
沖縄タイムスによると、グリーン駐沖縄総領事は9日午前、「報道で示された見解は、いかなる点でもアメリカ政府の見解を反映することではない」と強調し、その上で「今回の報道により誤解が生じたことを大変遺憾に思う」と述べたという。
その際グリーン駐沖縄総領事は、米軍普天間飛行場移設への影響について「(メア発言のように)お金で解決するという見解は全くない」と語っている。同記事は<引き続き米軍に対する負担感軽減に努めると述べるにとどめた>と付け加えている。また沖縄タイムスは日米外交筋の話として、メア氏の異動の予定について、<6月ごろ在イラク米大使館のナッパー参事官(政治担当)と交代する方向だった>だが、<交代が早まるのでは>との見方が出ていることも伝えている。この出来事は、ただメア氏の<首>だけを取ればそれで済むような話ではない。米国はメア氏のような人物に長年、沖縄の重要な仕事を任せてきたのだ。メア氏の<発言>が指し示すものが、単にメア氏だけに特有のものの見方として処理するわけにはいかない性質を有している。
キャンベル次官補は9日午後に来日し、10日は東京で日米局長級協議に出席して、今回の件についての説明を行う予定という。問題のメア米国務省日本部長は、同協議に欠かせないメンバーの一人だが、メア氏は出席を取りやめた。それでも、メア氏はキャンベル国務次官補同様、自身の発言についての「報道」について「正確ではない」と語っているらしい。ANNは、キャンベル国務次官補の「個人的に謝罪」の情報を伝えるなかで、メア氏の話を聞いた大学生・トーリ・ミヤギさんの「米国の外交官、政府高官が日本を、同盟国を怠け者だと。友達を『ゆすりの名人』などと呼べば、それは簡単に忘れることではない」「メア部長は学生たちと非常に打ち解けて率直に語っていた」との話を併せて伝えた。
キャンベル国務次官補が、<メア部長の発言内容についての報道は「正確ではない」>とコメントしているのは、メア氏の釈明の余地を確保する意図があるものと思われる。メア氏とキャンベル氏の間で話し合いがもたれたであろうことは上司と部下の関係から当然であるが、<報道されている内容が正確ではない>とする両氏の主張は、当面、それで切り抜けられる間はそれでいこうとの、口裏あわせによるものと考えておいていいように思う。
さてそのメア氏の「講義」については、琉球新報と沖縄タイムス(共同通信)が、それぞれ、そのメモの全文(日本語訳)を伝えている(メア米国務省日本部長が昨年12月、米国務省内で大学生に対して行った講義を記録したメモの集成といえるだろう)。日本社会全体にとって、必読・必修の「文献」といえるだろう。分量があるため、琉球新報の関連報道<メア氏、県民と「対話不可能」 軍隊否定理由に>をここでは要約するに留める。
「メア氏講義メモ全文(日本語訳)」「メア日本部長発言録全文(日本語)」を下記URLから、全文閲読されることをおすすめする。
メア氏講義メモ全文(日本語訳)/(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-174366-storytopic-231.html
メア日本部長発言録全文(日本語)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-03-08_15192/
ここでは以下、琉球新報の<メア氏、県民と「対話不可能」軍隊否定理由に>の記事を要約しておく。
1)米国務省のケビン・メア日本部長(前在沖米総領事)が米大学生への講義で「沖縄はゆすりの名人」などと差別発言した問題で琉球新報は7日、学生たちが作成した講義メモの全文を入手した。以下、メア氏の発言要旨。
2)「(沖縄県民の)3分の1の人たちが軍隊がなければより平和になると信じている。そのような人たちと話をするのは不可能だ」
3)日本国憲法9条について、「もし日本が米軍を必要としないことを理由に改憲したら米国にとってよくない。米国は米国の利益のために日本の土地を使えなくなる」
4)「集団的自衛権は、憲法問題ではなく、政策の問題だ」
5)「議論になっている在沖米軍基地は、もともと田んぼの真ん中にあったが、沖縄人が、基地の周囲を都市化し、人口を増やしていった」(総領事時代に同様の発言)
6)自衛隊について、「米軍と自衛隊は思考方法が違う。米軍は起こり得る展開に対し準備して訓練するが、自衛隊は実際の展開を準備せずに訓練している」
7)民主党政権について、「沖縄を理解していない。日本政府は沖縄にコミュニケーション『パイプ』を持っていない」
この問題で8日、沖縄県議会と那覇、浦添両市議会が同様の抗議文を決議。宜野湾、名護両市議会は8日、週内にもメア氏に発言の撤回や謝罪を求める抗議文を決議する方針を決めた。嘉手納町、読谷村、北谷町などの議会も週内の決議を検討している。さらに沖縄県内の議会では、抗議文を決議する動きが急速に広がっている。
沖縄タイムスは9日、<メア日本部長の一連の発言は「普天間飛行場は危険であり沖縄の基地負担軽減を図る」という1996年の日米の共通認識が、崩れたことを意味する>と前書きして、県内関係者や識者のコメントを<大田元県知事「失言でなく本音」>の記事で掲載した。
そのなかで、大田昌秀氏・元県知事は、<失言ではなく本気でそう思っている。オフレコと自己弁護しているが、単に本音が出ただけだ。歴代の総領事は、少なくとも沖縄に敬意を持っていた。メア氏は沖縄の人の心や魂を金で買い取れると思っている>として、<発言は沖縄県民だけへの侮辱ではない。こうした発言に、日本政府はきちんと対応しておらず、主権国家の体をなしていない。誇りもない。まさに属国だ>と指摘している。
メア氏について<在日米国大使館の安全保障部長時代、要請へ行ったが、高圧的な態度だった。普天間飛行場の危険性を民間空港と同じように考えるなど前提が間違っている。こうした人物を普天間移設の当事者である総領事、国務省日本部長に就けた同省の責任も問われる。当然、辞めさせるべきだ>と、米国の人選と国務省の対応に厳しく注文をつけた。
琉球新報は2008年7月に「メア発言 こんな米総領事、要らない」の記事を出して、<あらためて考えてみたい。総領事(館)の役割とは何なのか。赴任地の住民との友好親善が第1の目的と理解する。いたずらに挑発を繰り返し、地元との摩擦を大きくすることではないはずだ。「外交官の基本はうそをつかないこと」。メア氏はあるインタビューで述べている。だが無知を基礎にした正直さほど始末に負えないものもない。平成のキャラウェイ気取りはやめてもらいたい>と書いている。
「キャラウェイ」とは、米軍占領下の沖縄で軍人がつとめる高等弁務官の職にあった人のことで、「沖縄の自治は神話にすぎない」と豪語して、政治・経済面で強権を行使しまくり、県民の反発を買っていた人のことだ。メア氏は、その意を忠実に継承してきただけなのかもしれない。大田昌秀元県知事の、<失言ではなく本気でそう思っている>との指摘が、急速に実態を伴って迫ってくる。
仲井真・沖縄県知事は7日午前、メア発言を聞いて、「いったい何を沖縄で見、聞いていったのか。もう何をか言わんやだ」と強い不快感を示し、メア氏が普天間飛行場移設の問題に関連して、<日本政府は知事に「お金が欲しいならサインしろ」と言うべきだ>と述べたことについて、「そんなものサインがいるとかいらないという話ではない。何のために沖縄におられたか、訳が分からない」と批判している。
(小鷲順造/日本ジャーナリスト会議会員)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK109掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。