http://www.asyura2.com/11/senkyo109/msg/702.html
Tweet |
文藝春秋2011年4月特別号「赤坂太郎」
退陣拒否 菅が突き進む「自爆解散」
小沢派の反乱で袋小路に入り込んだ菅を尻目に前原は「次」の準備を始めた――
「今日は雪が降っているが、雪の日に起こった事件というのは歴史的に記憶に残っている。大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変。西南戦争の時には、鹿児島で珍しく雪が降ったと言われている。青年将校が決起した二・二六事件は、大きな昭和史の事件になった」
二月十一日、自らが主宰する政治塾の開講式で挨拶した民主党元代表・小沢一郎は、歴史上の政変を引き合いに政治の現状を嘆いてみせた。念頭にあるのはもちろん、消費税率引き上げや民主党マニフェスト見直しなど、小沢の意に沿わない方針を進めようとする首相・菅直人の政権運営だ。菅は、強制起訴された小沢に離党を迫り果たせなかったものの、判決が確定するまでの党員資格停止処分を突きつけ、小沢の政治力を削ぐことに躍起となっていた。
「二・二六事件は手段は別として、青年将校のやむにやまれぬ気持ち、状況の中で引き起こされた。それを皆さんは分からなくてはならない」
小沢は二・二六事件の動機に理解さえ示す不穏な見解を口にしながら、菅と対峙する自身を正当化した。
そしてこの六日後の十七日、小沢に近い比例代表単独の民主党衆院議員十六人が、増税やマニフェスト見直しに反対するとして会派離脱届を提出。二十四日には農水政務官・松木謙公が小沢への処分に反発して辞任し、小沢が不気味に予言した「反乱」は、相次いで現実のものになった。野党にそっぽを向かれ二〇一一年度予算関連法案成立が見通せない菅は、社民党の六議席を頼みに衆院三分の二を何とか確保し、再可決により打開を図る構えだったが、もくろみは破綻した。
小沢は十四日、自身の配下である民主党「一新会」メンバーに「菅はもう持たない。衆院解散が近いから、みんながまた国会に戻れるよう、しっかり準備してほしい」と指示。十六人の決起前日の十六日夜は、東京・赤坂の個人事務所からダミーの車を出して記者を巻き、別の車で国会から離れた会合場所に向かった。「明日、会派離脱届を出します」と伝えたメンバーに、小沢は「君たちの心意気には参った。とうとう、こういう局面になってしまったんだなあ」と涙ぐんだ。
周辺は小沢主導との見方を否定。離党せずに反執行部の意思表明をする会派離脱というくせ球を授けたのは、小沢の知恵袋で衆院事務局OBの元参院議員・平野貞夫だった。国会の“裏技”を熟知する平野は昨年末、小沢に「離党者を出さずに菅を辞めさせるにはこの手しかない」と進言。小沢は気乗りしない様子だったが、小沢周辺は菅への対抗手段として、このアイデアを温め続けていた。
次の衆院選で当選が望めない比例代表単独の若手議員が名を連ねていることから、小沢が政治団体「減税日本」を率いる名古屋市長・河村たかしと連携して次期衆院選に候補者を擁立するとの観測もある。民主、自民両党が増税路線を歩む中、減税を掲げる「逆張り」で一定の議席を獲得すれば、国政のキャスチングボートを握れるというわけだ。
■創価学会に接近した前原
「三分の二」戦略が崩れれば途端に存在感が低下する社民党の副党首・又市征治は十四日、菅に近い国家戦略担当相・玄葉光一郎に造反の動きを警告していた。ところが玄葉は「うちは法案の採決で足並みが乱れたことはありません。大丈夫ですよ」と、危機感は乏しかった。
この間、小沢と気脈を通じる参院議員会長・輿石東も小沢系議員の造反を懸念し、複数回にわたってひそかに官邸を訪れた。「予算関連法案が通らなければ内閣総辞職だ。衆院解散なんてできない」と、党内融和に努めるよう説いても、菅はうつむいて押し黙るばかり。結局、菅が小沢や小沢系議員の取り込みに乗り出すことはなかった。十四日、小沢の党員資格停止処分提案を決めた民主党役員会。処分に反対した輿石は菅を前に「明日からは何が起きるか分からないぞ」と、内紛激化を予告した。
菅は、ただでさえ脆弱な政権基盤を揺るがす造反劇に激怒した。だが、この苦境を招いたのは、菅の拙劣な政治手腕にほかならない。ねじれ国会をしのぐため数の確保を最優先すべきなのに「小沢切り」に狂奔して内紛を拡大するちぐはぐさは、首相としての資質を疑わせるに十分だ。小沢を民主党から追い出せば世論の喝采を得られるとの算段だったが、政権浮揚を狙って繰り返される「反小沢ショー」に国民は興ざめしている。小沢処分問題の決着に手間取った揚げ句、内閣支持率は二〇%前後にまで下落した。
〇一年の参院選を前に、歴史的な低支持率で退陣に追い込まれた自民党の元首相・森喜朗は、偶然顔を合わせた民主党国対委員長・安住淳を「俺の支持率は七%だった。菅は三倍もあるんだから頑張れ」と“激励”した。
「マスコミの仕分けで言えば、私は非小沢。非常にくだらん分け方だ。親小沢と言われる輿石先生のことは言葉だけでなく、心から尊敬している。偽メール問題の時に党代表の私を支えてくれた恩を絶対忘れることはない」
二月五日、山梨県昭和町で開かれた民主党議員の会合で、外相・前原誠司は輿石に露骨にすり寄ってみせた。輿石も「前原大臣の時代にどうバトンタッチできるか。それが今、民主党に問われている最大の課題だ」と「ポスト菅」有力候補の前原にエールを送った。
前原は年明け以降、「菅さんはもう持たない」と周囲に明言。与野党攻防がピークを迎える年度末をにらみ、代表選出馬に前のめりになっている。輿石へのあからさまな接近は、小沢の手も借りた天下獲りへの布石だ。八日、前原と親交の深い日本航空会長・稲盛和夫は講演で「現在の体たらくに大変落胆している。一生懸命熱意を入れてやってきたが、あとは静観して見ていく」と、野党時代から支援してきた民主党を批判。「再度新しい政治体制ができあがっていく」と、菅への失望感を隠さなかった。稲盛は小沢とも付き合いが深い。小沢は自身と距離を置く前原に、稲盛を通じて「前原君には期待している」と伝えたこともある。
前原は周辺に拉致問題解決への強い意欲を示すほか、自身と同じ近畿選出の公明党国会議員の紹介で創価学会幹部と接触。独自に公明党・創価学会とのパイプづくりにも乗り出している。次期政権が衆院選までの「選挙管理内閣」に終わる可能性もあるが、虎視眈々と狙ってきた宰相の座に近づきつつあると実感しているようだ。
ただ、偽メール問題で見通しを誤り党代表辞任に追い込まれた政局観のなさや、八ツ場ダム問題に見られるような「言いっ放し体質」に警戒感を抱く向きも多い。公明党は集団的自衛権行使容認を持論とする前原の「タカ派」ぶりを危惧。今のところ創価学会との関係構築も不発に終わっている。前原率いる「凌雲会」の実質的リーダーである代表代行・仙谷由人が菅に引導を渡し、前原を推すかどうかも焦点だ。
前原とともに首相候補に名前が挙がる幹事長・岡田克也は小沢処分問題の収拾にてこずり、党内外の評価を著しく落とした。小沢が自民党幹事長時代に初当選した岡田は、後に新進党解党をめぐって対立した後も、小沢を変わらず「政治の父」と思い定めている節がある。自身のグループを持たない岡田は、首相レースをにらみ輿石ら参院側と良好な関係をつくろうと、徹底した小沢排除には出られないとの見方が支配的だ。「岡田もかわいそうだよな」。小沢は周囲に、岡田を気遣う言葉を漏らす。きまじめな岡田は幹事長として菅に殉じ、ポスト菅政局では「一回休み」となる可能性も指摘されている。
盛んに情報発信する前原を苦々しい思いで見つめるのが、玄葉だ。菅とともに「消費税一〇%」を主導して昨年の参院選大敗を招いた張本人とも言えるが、菅に重用され閣内にとどまった。幅広い政策調整に意欲を見せるものの、社会保障と税の一体改革は経済財政担当相・与謝野馨が取り仕切り、玄葉の出番は少ない。閣僚や有識者による「集中検討会議」に自民党政権の元厚労相・柳沢伯夫を起用した際、与謝野は民主党内の異論を恐れ、玄葉に事前通告しなかった。与謝野は後に「申し訳ない。今後は全部伝える」と頭を下げたが、活躍の場を与謝野に奪われた玄葉は、自身の埋没に危機感を強めている。党内では玄葉擁立を目指す一部議員が賛同者の署名を募っているが、現時点では広がりを欠いている。
■「辞めるぐらいなら解散する」
小沢に近い前総務相・原口一博も二十三日、勉強会「日本維新連合」の初会合を開催。約五十人の議員を集め、存在感をアピールした。原口は小沢、河村との連携も視野に、菅後継をうかがう。
一方、菅政権終焉の兆しに勢いづく自民党。実質的な司令塔を務める副総裁・大島理森は昨年秋の臨時国会以降、当時官房長官だった仙谷と水面下で接触を重ね、国会運営や消費税問題を協議する前提として菅の退陣を求めてきた。大連立も視野に消費税率引き上げや社会保障改革に両党で道筋をつけ、その後に話し合い解散というシナリオだ。菅が辞任に応じなかったため、大島は与野党協議よりも衆院解散・総選挙を優先する方針に転換。ただ、次期衆院選でたとえ自公両党が勝利しても参院では過半数に達せず「ねじれ」が続くことを考慮すると、同じ一九四六年生まれでウマが合う仙谷―大島ラインが、衆院選後に大連立を模索する可能性は捨てきれない。
「首を替えたら(予算関連法案に)賛成するとかしないとか、そういう古い政治に戻る気はさらさらありません」
菅は二月十八日、党内外から強まる退陣圧力に徹底抗戦する意思を表明。衆院解散を否定せず、含みを持たせた。菅は解散をちらつかせることで、四月の統一地方選と衆院選のダブル選挙を嫌う公明党を自陣に引き寄せる考えだ。しかし、公明党は独自に統一地方選と衆院選の調査を実施した結果、衆院選では勝利できると予測。菅が仕掛けた「チキンレース」に動じる気配はない。
「あの時、俺が『政局にしない』と言って小沢に批判されたが、国のことを思えば結局は正しかった」
菅はその十八日、防衛相・北沢俊美と会談。九八年の「金融国会」について、金融危機による破局を回避する国益重視の観点から倒閣を見合わせたと振り返った。予算関連法案が年度内に成立せず国民生活が混乱した場合、世論の反発は政権ではなく野党に向かうとの含意だ。ただ政局論で見れば、民主党代表の菅が金融再生法案成立で与党と合意し小渕政権を延命させた結果、自由党党首だった小沢は野党共闘に見切りをつけて自民党との連立に走り、政権交代が遠のいたとも言える。「今回も合意の道はあるはずだ」と、野党の「良識」発揮に期待する菅を、北沢は「昔のことをいろいろ言ってもしょうがないよ」と突き放した。
菅が範とするのは、七六年に自民党内の猛烈な「三木おろし」をしのいだ首相・三木武夫の粘り腰だ。クリーンな政治を標榜した三木は、ロッキード事件の徹底究明を宣言。前首相・田中角栄の逮捕前後から激しい退陣要求にさらされたが、党内の大半を敵に回しながらも、同年十二月の任期満了に伴う衆院選に辿り着いた。三木はその選挙で敗れ退陣したものの、党内基盤の弱さを世論で補おうとした手法は菅の手本になっている。閣僚の反対に遭い解散に踏み切れなかった三木に対し、菅は国会審議が袋小路に陥れば反対閣僚を罷免してでも解散する覚悟という。それは三木も、三木の秘蔵っ子だった元首相・海部俊樹も果たせなかった難事だ。ただ、低支持率に喘ぐ菅が本当に解散を断行するなら、政権交代必至の「自爆解散」となるだろう。
「明治維新以来の大きな歴史の転換期に今来ていて、大事業をするところだ。足元で起きるいろいろな声に心を騒がせるのではなく、毅然として頑張る」
菅は二十日、自身の後見人である法相・江田五月と首相公邸で会談。社会保障・税の一体改革と環太平洋連携協定(TPP)に取り組む決意を強調した。政権が命運を懸ける二大政策の結論時期はともに六月。菅がそこまで持ちこたえると予測する向きは少ないが、菅自身は周辺に「憲法上、内閣不信任決議が可決されない限り辞める必要はない。可決されて辞めるぐらいなら解散する」と息巻いているという。歴代内閣の寿命を縮めた増税問題と、農業団体などの抵抗が確実なTPP参加問題に弱体政権が挑む「分不相応」を、菅は理解していない。市民運動から政界に転じ、「市民目線」を武器に首相まで登り詰めた自身が、民意を無視して居座りを決め込む皮肉な巡り合わせにも気付いていないようだ。 (文中敬称略)
http://bunshun.jp/bungeishunju/akasakataro/1104.html
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK109掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。