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前回の投稿でわが国の仏教思想こそが世界を救えると述べた。多数の反論は仏教の何たるかを知っている人の意見とは思えないものであった。それほどこの国には仏教そのものを教育していないのが現状である。なるほど歴史教科書には天台宗から始まり真言宗、浄土宗、禅、日蓮宗などの記述はあるだろう。しかし中身についての記述は殆ど皆無といっていいのではないかと思われるほど無視されている。もちろんキリスト教の教えについても同じであるが、我が国の歴史は仏教が基本である事は明らかだろう。しかしながら世の中は依然として西欧思想こそが正しく、世界は西欧文明によって発展してきたという事実により、今日に至ってもまだその延長上のままにいるに過ぎない。その背景にあるキリスト教などの精神的な思想背景は正しく教育されてきたのであろうか。このような投稿をすると、又しても冷笑する意見があふれるだろうが、あえて問わなければならない。
世界は依然として資本主義的な競争原理と自由競争の追及のままである。進歩とは物質的な豊かさが第一であり、自国の利益こそが最優先である事は何も変わらない。キリスト教的思想によって人間こそが最上位のもので動物も植物も、自然も全ては人間のために存在するものであり、これらは基本的には利用されるものという位置づけに過ぎない。環境問題というものは自分たちの限られた社会のためにしか存在せず、他国や隣接する社会への影響はかえりみられていない。世界的な解決策は各国の利益という壁に阻まれ遅々として進まず、あげくはCO2排出枠という金銭的な解決策という矛盾までが堂々とまかり通っている。
確かに歴史的に見れば貧困の撲滅や飢餓の撲滅は最重要問題であろう。しかし富める国と貧しい国における格差は驚くほど極端であり、現実である。軍事的な緊張は至る所に存在し、大量破壊兵器の問題は何も解決されない。世界は経済的という物質的な問題には一定の解決を得たものの、他国や異なる文化間との問題についての精神的な問題の解決については殆ど進展がない。これは現在の教育における科学技術の偏重を見れば明らかであろう。経済発展を優先する国は物質的な問題を重要視し、科学技術などの理科系教育が文科系教育より重要視されて進められている。
しかし世界は明らかに行き詰っている。国家間の対立も環境問題さえも解決できない。我が国ではひと時の経済的な成功の後に長い停滞と混乱がずっと続いているが、これを解決する答えは誰も提示していない。経済的には数字の上では世界第3位であるのに、国民にはその豊かさの実感はほとんど感じられない。毎年、世界的に見ても驚くほどの数の自殺者があり、無差別殺人のような暗い事件は一向に減らない。誰もが今の状態に満足しておらず、そのはけ口を政治に求め、それによって政治そのものも混乱させられるという悪循環に陥っている。
これらの解決には精神的なバックボーンの構築が絶対に必要である。明治維新以来続いている、西欧の制度や考え方の優先というものを見直すべきではないのか。我が国が長い歴史の中で培ってきた精神的な思想はもっと見直す価値があるのではないのだろうか。なぜ過去の反省を物質的なものだけで見るのであろうか、もっと根源的な問題を見つめ直す時に我々は立たされているのではないのだろうか。些末な政党間の争いなどに惑わされず、日本人としての誇りある存在はどこから来るものなのかをもっと考え、教育するべきである。多様性を認め、物質だけではない精神的な豊かさを求める思想を世界に発信する時、その時にはじめて日本人は世界をリードできる誇り高き国民として世界中からの尊敬をかち得られるのである。
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