http://www.asyura2.com/11/senkyo109/msg/562.html
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彼はこれでますます総理の椅子から降りたくなくなるだろう。
彼と言う人物は主観的にはそうなる筈だ。
岡田が残ってはいるが、彼は二人の支柱ほどには力はない。
尤も、周りの動きは別ではある。しかし、彼にはその状況は目に入らない。
本当は彼は仙谷だの前原だの岡田といった同僚の力を借りたくはなかった。
彼自身に力があればその必要はなかった。
それに彼自身の子分や友達に力を持った者がいなかった。
それは当然のことであった。
しかし彼(菅)は勘違い人物であるから、これからも官僚やマスコミや中曽根さんが自分を応援して支えてくれるであろうと考えている。
それで、「わし一人の天下になった」と安心して気持が落ち着いているのではないのか。
その通り、官僚とマスコミと中曽根さんはこれからも応援してくれるよ。
彼の目には、もう回りに敵は居ないと見えるのではないか。
かくして、直人と伸子の「たった二人の玉砕」への道へとまっしぐらとなった。
菅内閣はいよいよ「真空痴態」に近づいた。
空を突き抜けて「真空」へ。本当にそうなりそうだ。
台風の目と言うべきかな。大混乱の中の目出度い真ん中の目なのだから、そうとも言えるが、
やはり戦後日本の戦後日本人の昭和21年生まれの象徴的人物としての菅直人が示してくれた「戦後的空虚退廃の果て」の「真空痴態」から導いて、やはり、
「真空」に近づいたと言いたい。
実は「真空痴態」の言葉を私は映画「真空地帯」からヒントを得ている。
有名な映画であったが、私の年代ではあまり上映される事はなく、実は見ていない。
原作は野間宏氏の小説である。
しかし、解説が多くなされており、それを読めば大体の想像がつく内容である。
要は戦前天皇制軍隊に於ける内部病理といったものを左翼的イデオロギーにより拡大的に異常描写して摘出したというものであろう。
しかし、やはり小説も映画も傑作であろうと推測されるが、
その理由は、何故かと言えば、
戦前天皇制軍隊の内部を抉ったと言っても、
私の目から見れば、実は、
戦前戦後を通じての日本の官僚社会そして官僚的社会風俗(民間企業と学校)を抉っていると看做されるからである。
要するに退廃と虚無と虚構であり、明治維新以来の近代日本に実は蔓延していたニヒリズムである。
歪んだ欲望と空虚な精神生活、建前看板に踊り人間生活の確立を忘れ去って駆け抜けてきた近代日本。
その最後的象徴的人物が、小泉純一郎と菅直人・伸子である。
かくして菅内閣は「真空痴態」に限りなく近づいた。
戦後日本の退廃は既にとっくに戦前を越えたと考えられる。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%9C%9F%E7%A9%BA%E5%9C%B0%E5%B8%AF/
真空地帯(しんくうちたい)
[ 日本大百科全書(小学館) ] 野間宏(ひろし)の長編小説。1952年(昭和27)2月、河出書房刊。人間を非人間的な兵士に変えていく真空地帯、すなわち軍隊内務班を舞台に旧軍隊と戦争の本質に挑んだ反戦小説。陸軍刑務所から内務班に戻った木谷一等兵は、自分を窃盗の罪に陥れた真犯人を追及していく。インテリである曽田(そだ)一等兵は軍隊内秩序に反抗的な木谷に関心をもって見守る。木谷の探索の過程でやがて内務班の現実、軍事法廷、陸軍刑務所の実態が明らかになっていく。だが、木谷はいったん逃亡を企てたものの、結局前線へ送られることとなる。作者自身の軍隊体験をもとに、日本の軍隊の独特なメカニズムを剔抉(てっけつ)した野間宏の代表作である。発表当時も非常な反響をよび、戦後文学の記念碑的傑作となった。
[ 執筆者:紅野謙介 ]
http://akaboshi07.blog44.fc2.com/blog-entry-114.html
山本薩夫「真空地帯」●MOVIEレビュー
軍隊生活の陰湿な実態を暴露。もう「美化」することなど出来なくなる。
軍隊生活。規則正しく美しく整然と行進をするあのイメージ映像どおりの世界なのかと思いきや。
この映画で描かれるかつての日本陸軍の軍隊生活のひどさは目も当てられない。
少年兵は、先輩への命令には絶対服従。常に姿勢を正して命令に従っていなければならない。誰かがミスをすれば連帯責任として同じ班の全員が殴られる。いじめやイビリなんて日常茶飯事。理不尽なことで殴られたり、柱にしがみついて蝉の鳴きまねをさせられたり・・・。朝起きてから夜寝るまで、一日中ひたすらその責め苦に耐えなければならないのだ。これを生き地獄と言わずして何と言おう。
「ハワイ・マレー沖海戦」や「加藤隼決死隊」などの戦意高揚映画で描かれた美しい英雄的な軍隊というものが、いかに絵空事で嘘っぱちだったか。浮かれた気持ちで見ていると完膚なきまでに打ちのめされる恐るべき映画。
軍隊経験のあるスタッフ・キャストが「絶対に作りたかった」というエネルギーでいっぱい。
「真空地帯」は作家・野間宏氏が実際の軍隊体験を元にして書いた小説。同じく軍隊経験を持つ山本薩夫監督らスタッフ・キャストが集結して1952年に独立プロダクションの制作で映画化された。
戦後の東宝争議きっかけにして、大手の制作に頼らずに自分達の映画を作ろうとした、当時の映画人たちの並々ならぬ情熱に満ちた映画となっている。画面から伝わってくるその気迫たるやすさまじい。目が離せなくなる。
1952年はサンフランシスコ講和条約が発効した年。アメリカによる占領から解放され、GHQによる言論統制からも解放され、続々と戦争時代の真実が文学や映画で噴出し始めた頃だ。その鬱積されたエネルギーの噴出が結晶したかのような映画と言えよう。
なんといっても見所は軍隊生活の描写。実際の体験者たちが、まだ記憶が鮮明なうちにリアルに描いておきたかったのだろう。軍隊という組織における人間関係の理不尽さを細部にまでとことんこだわって再現している。
男って閉鎖社会で集団化すると「女々しく」なる。
しかし・・・群れる男たちほど馬鹿っぽいものはないと思う。「先輩」だの「後輩」だのといった、その組織内でしか通用しないヒエラルキーを設けて理不尽なルールに従わなければならないなんて、エネルギーの浪費以外のなにものでもないではないか。そのアホらしさを徹底して見せてくれるから、ものすごくグロテスク。
逆らったら殴られる。自分の意志を持つものは自ら思考を停止するしかない。どうでもいいようなことでお互いに牽制し合い、上官へのご機嫌とりでは嫉妬が渦巻く。その姿は男らしいどころか、ジメジメと自閉していて、あまり使いたくない言葉ではあるが「女々しい」としか言いようがない。
兵隊という「殺人マシーン」を製造するには、こうしたシステムが必要なのだろうか。人間って、こうも醜いシステムを作り上げなければ組織化できないものだろうか。
なにもこれは軍隊の中に限ったことではなく、現代社会を見渡してみても、いくらでもこうした集団のあり方は維持されている。封建主義と精神主義の亡霊どもだ。こんなもの、どこが男らしいんだ。「女々しさ」とは、勘違いした男らしさを身につけてしまった馬鹿な男どものことを言うのだと思う。情けなくって頭にくる。
そういえば義務教育で、似たような「集団教育」を受けさせられたなぁ・・・。
映画を見ながら思い出したのが、自分の小学・中学時代。いわゆる「義務教育」の期間に受けさせられた「集団教育」である。
先生が入ってきたら一斉に「起立」して「礼」をする。しかも皆が揃って。週に一度の朝会では「行進」をする。一糸乱れず皆が歩調を合わせて。部活では後輩は先輩に従う。たとえ理不尽な命令でも。つまらない標語を大声で言わされる。全員で声を合わせて。
これみんな、この映画に出てくる軍隊で行われていた少年兵への教育とそっくりである。この「集団教育」によってなにが得られるというのだろう。
今も教育現場に巣食う、軍隊時代の「権威主義」の名残り。
週に一度の朝会や集会、運動会のたびにやらされたのが、この映画に出てくる軍隊でも強要されている、意味のない「行進」というもの。なんなのあれ。
あれは要するに、統率する「教師」や「教育制度」の権威を誇示するための自己満足ではなかろうか。生徒の集団性を育むなんていうお題目は単なる嘘っぱちの偽善。自分達の「統率力」を目に見える形で示したいだけでしょ。現に今の僕の日常には、あの行進の経験は全く活用されていない。行進が上手くなったからといって、他人とのコミュニケーションが上手くなるとも思えない。ただ習慣として「今までやってきたから」やってるだけでしょ、あんなもん。
僕は在学当時から「理不尽に強制される学校内だけのルール」が嫌だった。しかし反抗したりグレたりできるほどの勇気も根性もなかったので、素直に従っている「ふり」はしていた。
だから自分の心を押し隠して嘘をつくための訓練には役立ったとは言えるのかも。本心では、グレて反抗できる「不良」と呼ばれる人たちの事が羨ましかった。偽善で生徒に嘘を強要する教師達よりも、思ったことを素直に表現できる「不良」たちの方が、ずっと人間らしく健康的に思えたけどなぁ。
軍隊というムラ社会。学校というムラ社会。わけのわからない「ムラでしか通用しない」理不尽なルールを強要されるという点では、程度の差こそあれ「同じだな」と思う。
そもそも先生だとか先輩だとか「他人を尊敬する」ということは、「尊敬する側が自分から自発的に」行うものだ。その順番を逆にして、頭ごなしに「強制によって尊敬させる」から無理が生じるのである。
そこのところを理解せずシステムとして「尊敬させようとする」馬鹿な教師や先輩方が多すぎる。本当に尊敬される人は、強制などせずとも自然に尊敬されるものだから、尊敬を強要する人間というものは、自分に自信がないかわいそうな人たちなんだと思うようにしている。
軍隊組織自体の腐敗。
さて「真空地帯」に話を戻そう。この映画では果敢にも、軍隊組織の腐敗構造にまでメスを入れて抉り出す。
兵学校から誰を戦地へ送るか。(=誰を先に殺すか)。誰を出世させるか。(=誰を生かしておくか)。その決定には利権が複雑に絡み合い、上層部では食糧や金銭の裏取引がまかり通る。国からの税金を握る経理部を中心に組織は腐敗する。
この映画では、そうした利権構造の真実を知ってしまった主人公の視点から、クールに生々しく実態が暴露されて行く。こうした腐敗は組織が大きくなれば当然出てくる問題であって、ありふれているといえばありふれている。しかし「大東亜共栄圏の建設」「天皇陛下のため」という絶対的なお題目の下、国家ぐるみで組織化された軍隊で当たり前のようにまかり通っていたという事実は衝撃的だ。
武士の時代からの封建的な精神構造が明治維新によって屈折し、そのまま軍隊に持ち込まれて陰湿な形で露呈し人々を苦しめていたのだ。当時の陸軍の軍人たちがこんな無駄かつ理不尽なことで神経や体力をすり減らしていたのだとしたら、物量面以前に「人間的な組織のあり方として」日本はすでに負けていた。この国の歴史を考える上で、この事実は本気で肝に銘じておかなければならないことだと思う。
生き延びるためには、カラダの取引もあったのでは。
この映画で描かれた軍隊というものは「先輩である」というただそれだけのことで、後輩に対してやりたい放題に振る舞える環境である。当然の事として、時には男同士のカラダの取引もあったのではなかろうか。
この映画では直接的にはそういう描写は出てこない。これほどの「タブー」視される事柄を、ストレートに描くことなど当時としてはあり得なかっただろう。しかし、少年兵の教育の場面で「ボンボン、今夜抱いて寝てやろうか?」という上官からのからかいの言葉があったことによって、僕はそのような想像力を持った。
軍隊のヒエラルキーでは同性愛行為も「強制化」するのではないだろうかという危惧。
お気に入りの可愛い下士官は、戦地に送って死なせたくない。いつまでも自分のそばに置いておきたい。そうした時に上官は、権力を武器に下士官のカラダさえも好きに出来たであろう。それはいつの時代でも、権力を握った者の特権だ。
男だらけの軍隊において日常的に同性愛的感情のやりとりが行われるのは至極当然のことではあるのだが、権力によって強いられていたとしたら恐ろしいことだ。この映画ではそのタブーに、この時代としては異例の「演出」によって踏み込んでいることに驚かされる。
これは現代でも軍隊という組織が必然的に抱えている問題であろう。徴兵制が敷かれている韓国の父親が「あんな同性愛の蔓延する軍隊に息子を入隊させたくない。」と、自分の時の経験から抗議していることを記事で見かけたことがある。
僕はもちろん同性愛を否定してこういうことを言っているのではない。それが軍隊というヒエラルキーの中で権力によって強いられることの非道さを、指摘しておきたいだけだ。そして、権力構造の中で理不尽に強いられた同性愛がまかり通っているから、ホモフォビア(同性愛嫌悪)が増長されてしまうのだと危惧する。
死ぬことと引き換えだったら、人間、なんでもしてしまうのではなかろうか。「軍隊の腐敗」と「同性愛」。語られずに葬り去られたであろう数々の出来事が、きっとたくさんあったはずだ。
これを「不朽の名作」と呼ばずしてなんと呼ぶ。
あまり映画の筋に触れなかったのだが、それはこの映画から触発されて考えさせられることが多岐に渡ったからだ。それは名作と呼ばれる物の条件でもある。
この映画は1952年という時代の産み落とした、いわば「鬼っ子」である。1952年だからこそ、ここまで鮮烈な内容のものを、独立プロという厳しい制作条件でも実現させるパワーが制作者達に満ちあふれていたのだ。よくぞ作っておいてくれたと思う。そして、ちゃんと正当に評価されてヒットしたという現実には感動を覚える。
この映画の訴求力は今でもまったく色あせていない。上映された新文芸坐は大混雑だった。強烈なインパクトと共に、人間の弱さと軍隊組織や日本型精神主義の危険性を訴えかけてくる。さらに、見ていて飽きさせない娯楽性も兼ね備えている。
この映画のことを「不朽の名作」と呼ぶことに僕は躊躇しない。戦争や軍隊を語る上で、そして人間を語る上で、見ておかなければならない映画だと思う。
「真空地帯」
製作=新星映画 配給=北星
1952.12.15公開 白黒 129分
監督・・・山本薩夫
制作・・・嵯峨善兵/岩崎昶
原作・・・野間宏
脚本・・・山形雄策
撮影・・・前田実
音楽・・・団伊玖磨
美術・・・川島泰三/平川透徹
録音・・・空閑昌敏
照明・・・伊藤一男
出演・・・木村功 利根はる恵 神田隆 加藤嘉 下元勉 西村晃 ほか
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