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ニュースの匠:「抑止力」の本質とは=鳥越俊太郎
今回は「抑止力」という概念=言葉について考えてみたいと思います。
もはや旧聞に属するかもしれませんが、鳩山由紀夫前首相が在職中に沖縄・普天間飛行場移設問題をめぐって、「在沖縄の米海兵隊によって抑止力は維持できる」とした自らの発言について「あれは方便だった」と言及しました。つまり「抑止力論は方便」と釈明したことになります。
この発言については「あまりに軽い発言」として各メディア上では厳しく指弾されました。確かに一国の首相経験者が「あれは方便で言ったんだよ。本音じゃないからね」と前言を翻すのは軽いと言われても仕方ありません。しかし、この「抑止力方便発言」は存外に私たちが議論を深めるべき本質をついているのではないでしょうか。
なぜか? 私は「抑止力」の裏の現実−−標的または巻き添えの可能性を経験的に知っているからです。
ソ連邦終末期の1990年、私はシベリアにあるICBM(大陸間弾道ミサイル)の基地を西側のテレビでは初めて取材することができました。案内役の将校は長距離ミサイルの標的は米本土だと明言。「では、中距離の核弾頭はどこに向けられているのか?」という私の問いに、その将校は黙って張ってある地図の一点を指さしました。
そこは紛れもなく沖縄でした。つまり戦後長く続いた冷戦の間、ソ連の核弾頭は1年じゅう24時間、在日米軍基地、つまり沖縄に照準を合わせていたのです。米ソどちらからか1発のミサイルが発射された次の瞬間、日本は在日米軍の巻き添えを食って地獄の火の海と化していたはずです。
冷戦時代、私たちが対ソ連の抑止力と思っていた在日米軍は、同時に“標的”であり、日本国民に災禍をもたらす存在でもあったのです。
これは米国の敵が北朝鮮やイスラム・テロに変化した現在も変わっていません。抑止力とは何か。まだ議論の余地があるようです。
毎日新聞 2011年3月7日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/wadai/torigoesyuntarou/news/20110307ddm012070042000c.html
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