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2011年3月2日 掲載
大阪、阿久根、名古屋に象徴される「維新」は、時代の閉塞感の反映です。地方議員と地方公務員こそ、既得権益の権化ではないか。ならば、打破する方策として、地方首長を代えねば、と。
が、大半の首長は、議員、職員と蜜月です。議会、組合の支援、推薦を得て当選しているのですから当然です。
故に取り分け、入札制度の改革は、議員と職員の双方から反発を食らいます。彼らの支持者が経営する、彼らの先輩が天下った企業の経営に影響を及ぼすからです。
斯(か)くて、住民サーヴィスは殆ど変化も向上もしない、「改革」を唱えるだけで、既得権者には痛みを与えない宮崎に象徴される首長として、自身の保身を企てる向きが大半です。
では、13日が投開票の名古屋市議会議員選挙は、如何(いか)なる展開となるのか? 首長率いる「減税」勢力は恐らく、過半数は疎か3分の1を占めるのも困難でしょう。
何故か? 1人の首長を選出するのは、総選挙に於ける小選挙区制と同一です。住民の「気分」が如実に反映されます。が、地方議員選挙は、1選挙区で複数名が選出される中選挙区制。
政党名を記す比例代表制と異なり、個人名を書いて頂いて、初めて1票です。地域密着型の選挙では、歩道の整備、公民館の改修、学校の耐震化に尽力した人物を選び勝ちなのです。
仮に定数5乃至(ないし)6の場合、自民・民主・公明・共産といった既存政党の指定席との争いです。
而(しか)して、投開票日翌日の新聞は、首長の暴走を牽制する議会の構成を選択した住民の絶妙な“ヴァランス感覚”と、したり顔で論評するでありましょう。
が、ダブルスコアで僕を再選させた半年後の選挙で有権者は、「市民派」でなく「守旧派」に過半数を与えた、山国の知事としての経験に基づけば、それは“千日手”の始まりです。
中央政治に続いて、地方政治も“ねじれ”、予算や条例の修正が相次ぎ、閉塞感は解消されぬ儘(まま)に陥ります。それは、皮肉にも有権者が「選択」した展開なのです。
その空虚から、モンスター政事屋としての“ヒトラー”が出現するのを防ぐには如何なる方策が必要とされるのか。畏兄・亀井静香氏が提唱する「救国内閣」の深意を次週、詳述します。
【田中康夫】
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