01. 2011年3月03日 13:54:53: iQZuTOAnPU
解放同盟とは、下記の部落解放同盟のことでしょうか?また、部落解放同盟とは、公安調査庁で調査第二部部長を務めた元公安調査官菅沼光弘氏の語った日本の暴力団構成員の内訳は6割が同和(被差別部落)、のことでしょうか? ■部落解放同盟の「糾弾会」で人格を破壊された人たち 2005/8/30(火) 08:29 http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1170865 伊丹十三監督の映画『ミンボーの女』では、企業に難癖をつける暴力団の撃退法が紹介されていた。隠しカメラのある会議室に誘導する、相手がコップ1つでも壊した場合は「器物損壊」で即警察に通報する、など。 このような「民暴対策」が徹底するのは90年代になってからのことだ。80年代までは、解放同盟も暴力団さながらに暴れ回っている。1969年の矢田事件、1974年の兵庫県・八鹿(ようか)高校事件、1989年の奈良県・天理西中学校事件などがあるが、いずれも裁判で有罪判決を受けている。 ◆『同和利権の真相1』(宝島社文庫) p206 こうした暴力事件は、74年11月22日、兵庫県八鹿高校(養父郡八鹿町)で頂点に達した。 校内に部落解放同盟研究会の設置を認めなかった八鹿高校の教師68人(ほぼ教職員全員)に対して、解放同盟兵庫県連メンバー数百人が襲いかかり、13時間にわたって「糾弾」と称して集団リンチを加えた。これにより56人が重軽傷を負い、29人が入院したという教育史上例をみない事件である。 この事件は最高裁まで進み、1990年に解放同盟員13人の有罪判決が確定している。賠償命令は3000万円だが、懲役は半年〜3年でいずれも執行猶予つき。 さすがに傷害事件ではおナワになるが、解放同盟の得意中の得意は「コトバによる威嚇と暴力」だ。役所と学校は、彼らのいいお得意様になっている。いったいどのようなプロセスで彼らの圧力に屈していくのか。以下、学校を糾弾するときの事例である。 1)公的・私的を問わず、教師の差別発言を収集する。 2)校長室で問題の教師を呼びつけ「確認会」を要求する。 3)非を認める、または矛盾が指摘された場合、「糾弾会」に発展する。 4)各糾弾会は2〜6時間、連帯責任で全校職員が出席、十数回に及ぶこともある。 校長が自殺するに至った1999年の三重県・松阪商業高校事件では、次のように展開した。 1)松阪商業高校に勤める弓矢氏(教員)が、自宅近くで隣人と「私的な会話」をかわしたが、これが密告によって「差別」の嫌疑をかけられる。 2)2ヵ月後に解放同盟の3人が校長室を訪れ、「確認会」の開催を約束させる。 3)全職員を巻き込んだ「糾弾会」が1年近く、定期的に続く。 4)校長が自殺。 「私的な会話」から2ヵ月以上も経ってから、ある日突然押しかけられることもあるのだ。このときに気の弱い人は「謝れば赦してもらえる」と考えることが多いが、謝れば当然の結果として、また曖昧で矛盾した受け答えをした場合も、延々と糾弾会が続いていく。この「糾弾会」は、解放同盟が検事と判事の両方を務める「弁護士のない人民裁判」なのだ。 私的な発言も逃さない連中が、公的な発言を見逃すはずがない。マスコミに対する「コトバ狩り」も大漁だ。「麻薬の値段が上がったら、ニューヨークの街が屠殺場になる」という筑紫哲也の発言に、屠場組合と解放同盟が牙をむいた。 ーーーーーーーーーーーーーー 菅沼光弘 暴力団問題と部落問題 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E6%B2%BC%E5%85%89%E5%BC%98 日本の暴力団構成員は、警察調べで8~9万人で、実際にはもっと多いと思われると述べ、六代目山口組のナンバー2である山清司から聞いた話として、ヤクザの出自の内訳は6割が同和(被差別部落)、3割が在日コリアン(韓国系のほか、朝鮮系が1/3)、残りの1割が同和ではない日本人やあるいは中国人などであるという見解を示した
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