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だいぶ昔の話になるが・・北九州の三池炭鉱争議にかかわった「谷川雁」という党員詩人がいた。当時の共産党中央が、現在の民主党執行部のような・・三池労組員の声から離反した組織(温存)至上主義に走ったことを批判した。そして除名されたのである。
その谷川雁は[俺は誰から除名されたのか。党は人民のものだ。俺は人民から除名されたのではない。党こそが除名されるべきだ。]・・と吐きすてたという。
また[どのように高邁な民主的な理念を標榜する政治権力でも、権力の座につくと、宿命的に組織は腐敗し退行し官僚化せざるを得ない]・・これはスターリンに暗殺された革命の同志=トロッキーの「永久革命論」の謂言であった。
人間みな、ものを食べ、排泄をし、性行為をする唯物論世界からの存在被拘束性から逃れられないのだから脱線はする。だが、それを自戒しない政治権力の腐敗ぶりは聖職選民ならぬ賎民ぶりである。あえて権力執行を必要悪として、戦略化するマキュベリズムなら話はまた別なのだが・・。
リビアでもエジプトでも、かっての革命の旗手が民衆から追撃をうけている。民主主義の名の下に・・しかし彼らも民主化を旗印に独裁と戦ったのである。
斯くのごとく、民主主義信仰とは衆愚の極みであろうか。所詮は、危なっかしい人間の生活の方便でしかないのか。
近代政治史の舞台に繰りひろげられた、政治と政治家の暗い眼窩は古今東西かわっていないようだ。
ママ、視点を国家破産の瀬戸際にある日本の政治恐慌的な状況にむけてみよう。
菅直人は衆議院選勝利の高揚の中で[この無血革命は民主政治による文化革命の始まりである・・]とこぶしを握っておった。世論も酔った。マスコミと官僚は目配せして足下を窺っておった。それから2年〜やそこらで政治が変わるほど甘くはなかった。自らが変わってなかったのだから・・・。
革命と反革命は津波のように繰りかえし押し寄せるものだ。菅直人と指導部は第一波の津波に立ちすくみ、官僚の電柱(マスコミ)にしがみついてしまった。そこから・・捏造された世論攻撃からの権力保身と組織至上主義に盲進してしまった。繰り返された歴史の定番が始まってしまったのだ。
谷川雁やトロッキーが、今という時代を嘲うように振りむいておる。振り向き美人ならぬ、振り向き思想詩人たちに振り向かれていまいか。
民主党執行部の「公党のケジメ」という陳腐なロジックで執行された、小沢処分や造反者処分は、谷川雁の言説を借りれば、[俺は誰から処分されたのか。党は人民のものだ。党は菅のものではない。俺は人民から処分されたのではない。党こそが処分されるべきだ]ということになる。
小市民運動弥=甘ったれリベラル(左翼)の菅政治勢力は、権力の持つ麻薬的なダイナミズムを自戒学習しないまま権力の座についてしまったようだ。
ロシア革命がスターリン化したことを・・カダフィがスターリン化したことを・・マスコミが擬似スターリン化していることを・・。
菅とその政治勢力は自らがスターリン化していることを識る由もないようだ。
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