http://www.asyura2.com/11/senkyo108/msg/743.html
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21日('11.2.21)のAFPによると、豪紙シドニー・モーニング・ヘラルドはWikiLeaksが入手した米外交公電を公開した。
――日本政府は戦後初めて、米中央情報局(CIA)や英秘密情報部(MI6)をモデルとした本格的な情報機関を準備している――
※AFP:日本政府、情報機関を準備か 豪紙入手の米外交公電
http://www.afpbb.com/article/politics/2786628/6847036
※livedoor ニュース:ウィキリークスが暴露「日本政府が諜報機関の創設を準備」―韓国
http://news.livedoor.com/article/detail/5361045/
※livedoor ニュース:ウィキリークス:「日本が秘密情報機関を創設、戦後初」(上)
http://news.livedoor.com/article/detail/5361446/
※livedoor ニュース:ウィキリークス:「日本が秘密情報機関を創設、戦後初」(下)
http://news.livedoor.com/article/detail/5361447/
このニュースを菅政権は認めず、その後の関連ニュースがなく、また国内でもあまり話題になっていない。秘密にしたい者が秘密を打ち明けるわけはないが、話題にならない理由なら推測できる。ひとつには国内メディアが無視を決め込んでいるためであり、他の理由は、諜報の対象が中国と北朝鮮に絞られている印象があるからだろう。中国と北朝鮮にたいする日本人の警戒心は深く、諜報活動の強化も止むを得ないとする心理が働く。
諜報活動は、対象となる国の情報を透明化するが、諜報する側を不透明化させる特徴がある。秘密の資料を覗き見ようとするスパイが、正体を暴かれては仕事にならない。ビルの屋上や茂みに隠れるスナイパーたちの行動手順とおなじである。ここに諜報の問題がひそんでいる。
本来ならば、諜報機関の設置には何らかの法制度が必要である。それが民主国家のやり方であり、何人も無法な行動は許されない。しかし諜報機関は、手の内を広く国民にも知らせるわけにはいかないと考える。国民と民主主義は諜報の脅威である。国民の安全と平和を保障する活動ならば、有効な民主的法秩序がありえるはずだが、諜報機関に働く職員たちには一切の透明化が脅威としか考えられなくなるのである。
諜報活動は政府と官僚にとってよい教材である。国民と国家の利益のため、国民に隠すべき最小限の情報がある。その情報に関して、国民の側に知る権利はない。こうして政府と官僚は超法規的な判断と行動の範囲を拡大解釈していく。民主主義とは実に厄介な手続きであり、多かれ少なかれ思うように物事はすすまないものだ。民主主義さえ気にしなければ、抵抗に遭遇することもない。
すべては、国民にたいする隠し事を「国家機密」と呼んで、国民と国家の安全、平和を保障すると思い込む誤解から生じる。とくに米国からの強い政治的・経済的・軍事的圧力にさらされているわが国では、国民に公表できない情報は少なからずあるだろう。米軍による核兵器の国内持込みも国家機密である。沖縄米軍基地の国外移転、少なくとも県外移転を主張していた鳩山・民主党政権が、辺野古移転やむなしと判断したとき、なぜ国民に詳しい情報を公開しなかったのかと残念に思う。すべてを国民に公開していれば、鳩山政権は立ちふさがる障害と戦うことができただろう。あのとき少なくとも鳩山政権は、米国と外務省、防衛省などとの交渉を明らかにして、国民とともに考える姿勢を示すべきだったのだ。
海上保安官のsengoku38氏による尖閣衝突映像の流出('10.11.4,5)も、衝撃的な事件だった。流出した映像自体が衝撃的だったのではない。すでに衝突映像は報道各社によって繰り返し公開されていたのであり、本質的な事実が塗り替えられたわけではなかったからだ。衝撃的だったのは、国家機密が漏洩されたとヒステリックに騒ぎ立てた菅・仙谷政権の対応だった。国民の多くは、この程度の映像を国家機密と騒ぐ判断に、成熟した政治家を見出せなかった。
首相の思いつきで消費税の増税を宣言し、党内の議論もなくTPPへの参加を表明した菅首相に至っては、いかなる擁護もありえないだろう。その宣言や表明が100%正しいものであったとしても、思いつきと議論抜きでは、一国の首相がアナウンスする内容としていかにも軽薄すぎる。国民の批判にさらされている理由は、菅政権より国民のほうが成熟しているからである。しかし唐突な消費税の増税やTPP参加の表明の裏に隠された動機や情報は、一切公開されていない。
こうして見ると、非公開の情報は、未熟で無能な政治家や官僚たちの利益と一致するように思われる。秘密裏におこなわれる判断や行動は、失敗しても責任から逃れられる。仮に消費税の増税やTPP参加が実現しないで終わっても、それを正しい政策だと首相個人にささやきかけた官僚たちの姿は闇に隠れひそむ。悪名高いモラル・ハザードとおなじように、そこではどんなに肌理の粗い判断、行動でも許される。
国民に非公開な部分が広がれば広がるほど、国家と国民の利益に相反する質の低い判断と行動が国を覆っていく。フリージャーナリストの上杉隆氏 は一貫して記者クラブと戦っているが、ごく一部のものによって独占される情報システムは、富の偏在には好都合だが、民主国家を確実に劣化させる。秘密のベールの中では、いかなる責任論からも免除されるからだ。
容易には不況から脱し得ない現代日本の劣化は、情報の不透明性にも原因がある。財政赤字を嘆き、巨額な債務を指摘するわりには、財政や債務・債権にかんする情報は不明瞭である。また村木事件において証拠を捏造した検察の狂気は、何をやっても責任は追及されないだろうとタカをくくれる捜査の非公開から生まれた。足利事件も初期捜査からの思い込みと捜査当局の保身から生じた冤罪事件だったといえるが、粘り強い弁護団の調査がなければ、秘密のベールに包まれた真実は永久に明らかにされなかっただろう。親の目が光っている場所では、子どももイタズラはやりにくいものだ。
国家機密をもつ国の最大の問題は、政府と国民の間に解消しきれない不信を固定化することにあるだろう。これが尖閣衝突事件以後に見られた菅政権と国民の間の齟齬の原因だったと考える。内閣の支持率は下がる一方だった。広くネットには批判が繰り広げられ、政府の擁護論は少数意見だった。政府は国民の判断力を軽視するあまり民主主義の不徹底を当然視する、国民は政府のやることなすことを信用しなくなる。問題は情報の透明度にあるのだが、秘密を保持したいものに透明化を訴えても無駄であり、情報が公開されない国民の要望も限られたものになりがちである。日本のすすむべき道は、国民に情報を非公開とする近隣諸国を近未来の自己像とみなし、成熟しつつある国民を無視する政治、経済、そして安全と平和すら、成り立たないと熟知することにある。言い換えれば、 日本には民主主義の成熟が強く望まれているのである。
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