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平成23年3月4日発売
小学館 通知
メディア革命 ドキュメント記者クラブが死んだ日
小沢一郎オープン会見が開かれた日、ついに官房長官会見の扉が開かれた
上杉隆(ジャーナリスト)
(写真)2月10日の小沢会見。左は司会を務めた上杉氏(撮影・小川裕夫)
この日は、メディア革命のはじまりとして、後世に記憶されることとなろう──。
2月10日、長く閉ざされていた官房長官会見が、記者クラブに属さないフリーランスの記者らに初めて開かれた。情報を独占し、自らの都合のいいように利用してきた新聞やテレビ。彼らの手から、情報を解き放つ。それは、国民に大きな利益をもたらすことになる。
その革命の最前線に立つのが、フリー記者らによる記者会見を主催する自由報道協会である。既得権益にあぐらをかいてきた新聞・テレビとの戦いの内幕──。
───
「裁判が済むまで党を離れてくれないか」──党員資格停止処分につながる管直人首相からの勧告を小沢一郎・元民主党代表が暴露したのは、「記者会見」の場だった。ただし、この会見を主催したのは、これまでの新聞やテレビ、通信社が加盟する記者クラブではない。フリーやインターネットの記者らが作る「自由報道協会」である。
本誌(2月11日号)は、1月27日に始まったこのフリー記者会見を「フリー記者らと小沢氏が仕掛けた記者クラブとの最終戦争」と報じた。これまで記者クラブに独占されてきた記者会兄を、排除されてきたフリー記者らが独自に主催し、有力な政治家らを呼んでいく。その意味で、政権の動向を左右する菅−小沢会談の真相を小沢氏自らが直後に語ったこの会見は、官邸と記者クラブメディアに対する痛烈な一撃だった。
会見場に詰めかけた新聞・テレビの記者たちは何を思ったのだろうか。暫定代表を務める上杉隆氏が語った。
*
記者クラブの記者たちは、自由報道協会について「どうせ第二記者クラブだろう」と揶揄し、私のことを「テロリスト」や「破壊者」などと陰で呼んでいるそうです。もっとも、私に面と向かって批判してくる記者はいませんが(笑い)。
これまで日本では、省庁や政治家の記者会見は記者クラブが独占し、フリーやネットの記者を排除してきました。それに対し、自由報道協会は、取材・報道することが目的ならば誰でも参加できる世界標準の記者会見を行なう「場」に過ぎません。しかし、これまで情報を独占してきた記者クラブからすれば、それは既得権益の破壊に見える。その意味では、テロリストというのは正しいのかもしれません。
読売記者が参加を取りやめ
事実、新聞各紙は軒並み、この会見に否定的だった。たとえば産経のネットニュースは2月11日、〈小沢氏、会見はお気に入りの「自由報道協会」(仮)で新聞・テレビ記者に「質問の自由」なく〉との見出しを打ち、次のように報じた。
〈同協会は「主催者がわかる形での報道」を出席条件に提示。このため一部報道機関は出席を取りやめた。新開・通信社、テレビ局の記者ら十数人が出席したが、質問の機会はなかった〉
自由報道協会の広報を務めるフリーライターの畠山理仁氏によると、「一部報道機関」とは読売新聞だという。
「読売の記者は、一度は会見場に入ったんですが、誰かと電話した後、急に『やっぱり会見参加者名簿から名前を消してもらえますか』といい、参加を取りやめたんです。上司に止められたんでしょうか」(畠山氏)
上杉氏は、記事の書きぶりに呆れながらこう反論する。
産経は「質問の自由がなかった」といいますが、フリー記者に質問する権利を与えてこなかった記者クラブ主催の会見と違い、こちらからも質問を促しています。そもそも、フリー記者は大臣会見などで一回も当てられないどころか、出席すら許されてこなかった。
逆の立場になっても気づかないんでしょうか。
また、先の産経のネットニュースは〈同協会は1月27日も小沢氏の記者会見を主催。この時は「記者クラブオープン化の賛同者として名前の公表」を出席条件に掲げた〉とも書いた。しかし実際には「条件」をつけたわけではなく、事務局長の渡部真氏が「記者会見の開放に前向きということで名前が公表されるかもしれません」といったところ、会場に来ていた記者クラプの記者たちがいっせいに参加を取りやめ、別部屋でモニター見学することになったというのが真相だという。
ほかにも、2月11日付の読売や日経は、これを一「記者会見」ではなく「インターネット番組」と書きました。自分たちが行なっているものだけが「記者会見」だという意識の表われで、せめてもの抵抗でしょうが、明確な誤報なので速やかに抗議しました。
さらに、1月28日付の朝日新聞は、小沢氏の参加理由を〈特定のフリー記者が小沢氏の政治とカネの問題に触れなかったり、好意的だったりすることも影響しているとみられる〉と書き、問題点を指摘した。
〈「既存メディア」を遠ざけることには小沢氏周辺にも疑問の声がある。一部の支持者に受け入れられても国民に広く伝わるかは別だからだ〉
同じく産経新聞(2月12日付)は、退陣表明の際に「新聞は嫌いだ」と記者団を追い出した佐藤栄作元首相に小沢氏をなぞらえ、自由報道協会主催の会見に出たことについて、こう書いた。
〈そのことはむろん小沢氏の自由である。新聞もさして不都合を感じるわけではない。だがもし、マスコミの批判から逃れたいというのなら、佐藤氏らと同様、もはや政治家としての危険水域に入ってきている〉
会見ごっこ≠ヘどちらか
危険水域にあるのほどちらなのか。自分たちだけがメディアであるという時代錯誤の意識には、呆れるほかありません。
そもそも、佐藤氏の場合は権力側がメディアを排除しましたが、小沢氏の場合は「記者クラブも会見に入っていい」といっている。
むしろ新聞・テレビの側が小沢氏を遠ざけているんです。
また、「政治とカネ」については、2月10日の会見でフリーランスの江川紹子氏が「水谷建設から陳情や献金があったか、水谷建設とはどういう関係だったのか」と厳しい質問をし、小沢氏はそれらの事実や関係を否定しました。
私も2月10日の会見冒頭、「先ほど菅総理と会談をされたということですが、ずっと取材している立場からすると、きっと09年マニフェストについてなんらかのお話をされたのではないかという期待があるのですが、その辺りどうだったのでしょうか」と質問しています。
小沢氏は「マニフェストの話はありませんでした」と答えましたが、これ、はいけません。政局よりも政策といいながら、総理を前に最も重要なマニフェストの話をしていなかった。それではしょせん菅首相と同じではないかと。このように、やり取りは穏やかですが、実は厳しい質問だったんです。
欧米の記者会見では、ユーモアや冗談を交えながら、聞きたい内容を引き出すのが常套手段です。これが本当の質問力で、厳しい口調で問い詰めるふりをして予定調和のやり取りに終始する記者クラブの会見は、ただの記者会見ごっこ≠ノ過ぎません。日本ではこの点が勘違いされています。
自由報道協会主催の記者会見には、これまで小沢一郎氏が2回、堀江貴文氏が1回呼ばれてきた。
そして2月21日の会見には、尖閣ビデオを流出させた「S e n g o k u 38」こと一色正春・元海上保安官が登場する。
一色氏は『週刊朝日』で私のインタビューに対し、「マスコミ各社が『国家機密』と言っているものをこぞってパンパン流し、一方で、これは犯罪行為であると報じている。本当に犯罪行為であれば、マスコミ自らが犯罪の被害を拡大していることに気が付かなかったのでしょうか」と、非常に的確な指摘を投げかけました。一色さんのように、今後も既存メディアの報道では実像が伝えきれなかった人々を中心にお呼びしたい。
記者会見を開くのは正直、カネと労力、時間がかかります。会場も設備も警備も用意しなければならないので、自分たちの資金と寄付で賄っています。ところが記者クラブは、それらをすべて無償で省庁から提供されている。中央省庁の記者会見場・記者室の賃料や経費を試算すると、年間13億円以上にものぼります(上杉隆・著『記者クラブ崩壊』小学館刊参照)。
これらはすべて国民の税金ですから、記者会見が記者クラブだけに独占されてんいるのは明らかにおかしいのです。
官房長官会見もオープン化
2月10日は、「記者クラブとの最終戦争」において歴史的な一日だった。
小沢氏が会見した同時間帯に、首相官邸では枝野幸男・官房長官の記者会見がオープン化したのだ。
官房長官記者会見は、首相のぶら下がり会見と並んで、内閣記者会(官邸記者クラブ)が開放に抵抗してきた最後の聖域だった。
民主党政権が誕生して以来、平野博文氏、仙谷由人氏と続いた歴代官房長官は、記者会見をオープン化できませんでした。内閣記者会と官僚の抵抗に「政治主導」を発揮できなかったのです。
官房長官の会見は毎日2回、つまり過10回開かれているので、金曜日の夕方1回だけ入れる現状は、まだオープン化といっても10分の1しか開いていません。
それでも、戦後ずっと閉じられていた扉が開いたのだから、オープン化を提案した枝野官房長官に感謝したいですね。ただ、本来は政治家ではなく記者の側が記者会見を開けなければいけない。それなのに政治家に代行してもらったというのは、恥ずかしいことです。
この日の官房長官会見では、産経記者が「オープン化しても、長官が発信しなければ意味がないと考えるが、どうか」、日テレ記者が「(小沢会見があったため)オープン化しても参加者人数が多くないが」などと枝野氏を責め立て、記者クラブメディアがささやかな抵抗を見せた。
自由報道協会の小沢会見、官邸での′枝野会見に並行して、実はこの時間、民主党本部では岡田克也幹事長のオープン会見も行なわれていました。岡田氏は外相時代に戦後はじめて閣僚会見をオープンにした功労者です。この3つの会見が同時に行なわれた2月10日午後5時、日本ではメディア革命が起きたのです。
エジプトではフェイスブックやツイックーなどの「ソーシャルメディア」を媒体に国民が連帯して革命を成し遂げましたが、日本でもツイッターなどを通じて、新聞・テレビとは違う情報経路が生まれています。
フリーやネットの記者が参加する会見は、USTREAMやこコニコ生放送によってネットで動画中継され、国民は既存メディアを通さずに記者会見にもアクセスできるようになりました。
日本では長らく官僚と記者クラブが結託した「官報複合体」が情報をコントロールしてきましたが、この体制を打倒する革命がいま始まったのです。
ところが、エジプトのムバラク大統領が革命の嵐に鈍感であったように、既得権益側は気づいていないか、気づいたとしても打つ手がない。だから、こうした姑息な抵抗しかできない。
もはや時代は変わった。一刻も早く、無血開城することを求めます。
「立ち止まって考えよう国民会議」って何だ?
「立ち止まって、一緒に考えてみませんか?」
ぱっと見ただけでは一体なにやらわからぬ一面広告が、2月14日発売の雑誌『AERA』に掲載された。
広告主は「立ち止まって考えよう国民会議」。広告は、小沢問題について「これは、ひょっとしたら、小沢一郎による改革を恐れる陣営の(小沢一郎排斥劇)ではないのか?」と訴えている。
団体の中心人物である作家の世川行介氏は、設立経緯についてこう語る。
「09年3月の小沢氏秘書逮捕以降、報道や検察捜査に疑問を感じ、そのことをネットに綴っていたら多くの人たちが賛同してくれた。そんな市井の団体です。
事件は小沢氏の問題として取り上げられているが、小沢氏を我が身と置き換えれば、ひとりの人間を一方的に抹殺しようとしているメディア報道や検案の異常さに気づく。そういった本質的問題についで多くの人に考えてもらいたく、ネットから一歩進んで会員の実名を記載した意見広告で呼びかけたのです」
検察審査会の2度目の起訴議決から本格的に会設立に動き、現在会員数は500人を超えた。原則1人1万円の入会費を広告掲載費に充てて活動し、1月に行なわれた設立パーティに羽田孜元首相が参加するなど、裾野は広がっているという。
「3月には実行委員会を設立し、4月末、東京で同主旨での1万人集会を実行する予定です」(前出・世川氏)
これ以外にも、昨年後半以降、東京、大阪、名古屋、福岡、新潟など全国各地でネットを通じて集まった、1000人規模の小沢支持デモが展開されている。
こうした活動が、ただの小沢一郎私設応援団で終わるのか、それとも既存メディアの作り出す「世論」を覆すパワーを秘めているのか。まだ未知数である。
(写真)「AERA」に掲載された意見広告
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