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「官打ち」という言葉がある。古来から分を越えて官位を得るものは没落する、という考え方が京、すなわち朝廷側の官僚にある。そのために没落させたいと考える相手には、官位を相応以上に与える事があった。古くは平家の没落も、義経の問題もこれにあたる。
今の政治家、特に総理大臣以下の大臣などを見るとこの言葉を思い起こして考えてしまう。民主国家であるから肩書は朝廷からもらうわけではないが、能力以上の部位に就いてしまうと、あっという間にその人間の実力が曝け出される。その背後にあるのは個人の知識と覚悟という問題と、何をするのかという明確な目標の有無であろう。それ以上に、その人間の実力以上の「位」という目に見えないものに対する、我々の嫉妬や蔑視などの複雑な感情から来る鬱積した感情の存在である。その結果、その人間がするつまらない失敗でも大きく考えたり、本来の意図していない結果が出た時にも必要以上の反応を示してしまい、結局、本人としてはその「位」を支えきれずに失脚する事と同じであろう。
民主党政権より自民党政権の方がましだと思う人が増えているというが本当なのだろうか。自民党が間違いをしなかったわけではない。むしろ政権交代間際の政策のひどさは目を覆うばかりのもので、今の民主党以上にひどいものであった。細かい事に齟齬がなかったのは官僚に殆どのことを丸投げしていたからだけであって、自民党が優秀であったわけではない。その証拠に、人口問題、経済問題、領土問題、社会保障問題、国家の運営主体という国家の基本的な問題のいずれも何の解決もできずに、単に過去からのやり方の踏襲だけでダラダラとした政治が続いたことがそれを証明している。
「官打ち」に戻る。結局、自民党という官僚と一体化した政治形態が長く続いた結果、無能なものでもそこそこの結果が出たように見えた事に問題の根源があったのではないのだろうか。無能なものが大臣になっても全てのお膳立ては官僚が行い、政治は操り人形と化した政治家たちによって実施されていたように見えていただけではないのか。それを変えるべく出てきた小沢一郎の主張する「政治主導」という方式と、過去の方式のまま突き進もうとする菅直人政権との軋轢が現在の状況なのではないだろうか。しかし、もしこの見解が正しければ、結局は菅直人政権そのものは「菅打ち」に終わり消滅は免れない。自分たちで行えない実力以上のことをしようとしても、結局は何も得られずに操り人形で終わるだけである。
そんな状況に国民は飽き飽きして政権交代を託したのに、元に戻るような愚を犯している者たちに政権にいる資格がない事は誰が見ても明らかである。我々が望むのは官僚の操り人形ではない、国民の生活第一を実現できる政治である。全てはここに集約される。
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