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《第3回》陸山会事件公判傍聴記 ─「こんなものサイドストーリーだ!」と目の前で調書を破った吉田正喜検事 (News Spiral)
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/02/post_738.html
2月24日曇り。小雨が降るなか東京地裁に9時前に到着すると、なぜか今日は傍聴希望者がゼロ。「これは日時を間違ってしまった!」と思って、警備員にたずねてみると、やっぱり今日の日程に間違いはないという。そう言われてみれば、東京地裁の玄関前に長い列があったので、警備員に「外で並んでるのは傍聴希望者ではないですか?」と言ってあげると、警備員は「えっ!」と驚いて、急いで外の行列を東京地裁構内の傍聴希望者待機所に誘導しはじめた。結果、最初に待機所を教えてもらった筆者は1番の傍聴券番号をゲット。ちょっとうれしい。
でも、ここで少し考えた。こんなことになってしまったのは、おそらく、一番最初に間違って地裁前の門前で並んだ人が列の先頭となってしまって、そこに後続の人たちが疑いもせずにズラズラと並んでしまって、途中で修正されることもなく、気がついたら大行列になっていた・・ ということだと思う。最初にボタンのかけ間違いがあっただけなのだろうが、何だか、09年3月の西松事件以降の陸山会事件を象徴するような出来事だなあと思った。
ちなみに、今回の傍聴希望者は280人で定員は約55席。1番の傍聴券は3回目の傍聴で初当選だった。
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午前10時開廷。今日は石川知裕衆院議員が被告人として初の質問を受けることになっていて、まずは弁護側の質問から。なお、弁護側の質問は昼休憩と午後休憩をはさんで16時40分まで行われていて、なかには内容が重複したり前後したりすることもあるので、今回は事実関係の要点をまとめて記述することにする。
※以下の概要は傍聴人のメモから主要部分のみを抜粋して再構成したものです。
■いわゆる「期ズレ」の動機
石川:2004年10月29日に土地代金の支払い(約3億5200万円)をすると2004年の収支報告書(2005年9月ごろ発表)に記載されるので、2005年に支払いをすれば、2005年分の公表(2006年9月ごろ)になると思った。その時期は小泉さんが首相で、郵政法案が通らなければ解散になり、そこで民主党が敗退すれば岡田代表(当時)が引責辞任をして代表選になることも考えられ、公表の時期を1年のばした方がいいと考えた。
そこで大久保さんに不動産会社に土地の購入を1月まで延期するように言ってもらったが、不動産会社に断らた。だが、不動産会社に紹介された司法書士は、10月29日は仮登記にし、翌年1月を本登記にすれば正式な所有権の移転は1月7日になると言われた。司法書士は法律のプロなので、(それを疑わずに)「そうしてほしい」と言った。
■銀行から融資を受けた理由について
石川:28日に銀行からのお金を集約するために振替伝票などの作業をしていた。そのとき、小沢氏から「貸した資金はちゃんと戻すように」と言われていたことを思いだし、過去に預金担保で同様の融資を受けていたことを思い出して、融資を受けることを決めた。
■銀行から借りた4億円を記載しなかった理由について
石川:結果的に(小沢氏からの4億円を含め)8億円を借りたことになるが、実質的には4億円なので書く必要はないと思った。定期預金を組んで預金担保融資を受けたのは、陸山会の前の担当者からそう聞いていたからで、資金を「とかさない」ためだった。
弁護士:サラリーマンが手持ちの金があるのにローンを組んで車を買うようなものか。
石川:はい。
弁護士:そうなると、陸山会の運転資金と切り離される。
石川:はい。
■水谷建設からのウラ金
石川:そのような事実はない。
■大久保氏や大久保氏への報告・了承について
石川:平成16年の報告書について、大久保さんには報告していない。小沢事務所に入ったのは、大久保さんよりも私の方が3年半先輩で、年齢は大久保さんの方が上でも、私のことを「石川」などと呼び捨てにすることはなかった。職務の分担がはっきりしていたので、指示されるようなこともなかった。
小沢氏への報告もしていない。小沢氏への報告は毎年12月末ごろで、忘年会の前に報告していたが、そこで報告するのは主に寄付やパーティー券の収入だった。
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続いて、逮捕後の取り調べの様子について弁護側の質問。主なやりとりを一問一答形式で紹介する。
■取り調べについて
── 逮捕後、どういうことを聞いてきたのですか
水谷建設からの裏金の1億を隠したいために提起を組んだり、時期をずらしたと追及してきました。
── どう答えたのですか
私は何度もそういう事実はないと申し上げましたが、検事は受け入れてくれませんでした。最初の取り調べのとき(2009年12月)には「この事件はどうおさめるかだ」と言われました。
── 吉田健司はどのような取り調べでしたか
ほとんどが水谷建設の取り調べでした。
■田代検事による保釈後の再聴取(2010年5月17日)について
── 小沢氏からの4億円を隠すつもりはなかったのに、なぜ、再聴取ではこのようなあいまいな言い方なんですか
全否認すれば徹底的に闘うということを言われたので、それが怖くて曖昧になったのだと思います。
── おずおずしていた理由は
ひとつは個人的な政治資金について逮捕もあると言われていたり、(否認すると)小沢氏に累が及ぶことを考えていました。
── 大久保さんについては
大久保さんも2010年1月15日に逮捕されていたので、自分も再逮捕はありえないと思いました。再逮捕は怖かったです。
── あなたには4億円の記載漏れについて「書き忘れたのでは」という調書がありますが
何度も「小沢一郎の4億円と書いた」と言いましたが、それを検事が否定するので、「書き忘れたのではないですか」という話をしたら、そういう調書を取られました。
■政治資金規正法違反の容疑を認めるまでの経緯
── どうして認めることになったのですか
1月14日夜に主張したのですが「特捜部は何でもできる。恐ろしい組織だ」と言われました。(検事に)「この事件をどうおさめるかだ」と言われていたこともあり、小沢氏や小沢氏の奥さん、事務所に捜査が行くと思いました。
── あなたのずさんな経理で小沢氏へ累が及ぶことを避けたかったということか
はい。そうです。
── 弁護士に「調書にサインするな」と言われませんでしたか
はい。言われました。
── それなのになぜサインしたのですか
弁護士は逮捕されたことがないのでわからないと思いました。
── 調書を訂正しようとするとどんなことを言われましたか
「あんたはオレに嘘をつくのか」と怒られました。
── それは検事のテクニックだとは思わなかった?
そのように思いもおよびませんでした。
■石川氏の女性秘書がダマし聴取された時の様子
── その後、何がありましたか
私の女性秘書が1月25日か26日に13時〜23時まで事情聴取を受けました。PCに子どもの写真を出されながら取り調べを受けたと聞いています。
── 翌日、僕(弁護士)が説明したことですね
そうです。
── 女性秘書はどうやって事情聴取から解放されたのですか
弁護士が解放のお願いをしたと聞いています。
── (弁護士が大きな声で)私がどなり上げたんですよ! それを聞いてどう思いましたか!
私の後援者の逮捕や私自身の再逮捕もあると思いました。
■「こんなものサイドストーリーだ!」と目の前で調書を破った吉田正喜検事
── その後、検事が交代していますね。
その後、27日午後の調べに行ったら知らない人がいました。
── それが吉田検事ですね。
はい。
── 吉田検事の聴取の中心は何でしたか?
水谷建設からの5000万円の調べでした。水谷を認めないと、私の政治資金について攻めてきました。
── それはどういう内容ですか?
政治資金がワイロにあたると言われました。
── 何がワイロにあたると言われましたか
言われていません。
── なぜ、その後に調書にサインしたのですか
水谷の件は別にして(筆者注:絶対に認められないとの意味)、ほかはしょうがないと思いました。
── ワイロを認めた調書以外に、もう一つ何か書いたのではないですか?
「議員を辞職します」という調書を書かされました。
── なぜ認めたのですか。絶望感からですか。
はい。
── 再逮捕については田代検事に聞きましたか。
田代検事に「再逮捕はありますか」と聞いたら、「ないとは言えない」と言われました。
── 調書が取られた日は
2010年1月29日だとおもいます。
── その調書はどうなったか
目の前で破られ、「こんなものサイドストーリーだから」と怒鳴られました
★
その後、検事の反対尋問も行われたが、20分程度だったので次回にまとめて記述する。
今回の傍聴記は事実関係が中心となったが、次回傍聴記には筆者なりの裁判序盤戦のまとめも入れて記述する。
(構成・文責:《THE JOURNAL》編集部 西岡千史)
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