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もう民主党の「ポスト菅」などどうでもいい 既存の政党は全部壊れろ!
2011年02月25日 | 日記 :世相を斬る あいば達也
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/c66c6472489001bf23fe3193575df346
週刊誌からネットメディアまで、菅政権の瓦解と「ポスト菅」の話題が華やかなのだが、ひ弱な政治家連中に21世紀カオスの世界の舵取りは到底無理だと云うことが見えてきている。既存の枠組みのすべてが制度や組織的に疲労を起こしているのは誰の目にも明らかだ。
米国基軸の世界観を見直す時代が来ている。気楽な家来で生きていける時代が終わったこと認めなければならない。まずは自立するしかないのだ。
中近東の革命的大混乱がいつどのような形で終息するかも判らない。米国のブッシュ前大統領が世界のカオスの箱を開けたのだろうが、おそらくそれ以前から米国の一国支配は青息吐息だったに違いない。グローバリゼーション経済とか金融工学経済に軸足を置いた時点で、欧米の資本主義は終焉していたに違いない。
欧米金融資本主義の限界がグローバリゼーション経済を希求し、カンフル剤として戦争を希求した。アフガンでありイラク戦争だ。その結果は何だったのか?英国ではイラク戦争の意味を真剣に検討することになっているようだが、その検証結果を待たずとも、多くの人々はその目的が何であったか、薄々知っているのが事実だ。
ここ十年程度の米国をウォッチングしていれば、市場原理主義経済、ネオ自由主義が人類に平和を齎す可能性がゼロに近い事を知らしている。しかし、唯一の超大国だと未だに自負する米国は全力を挙げて国家の地位保全に邁進している。おそらく、米国にはそれしか選択肢が残っていないと同情したくなるのだが、その選択肢に嬉々としておつき合いする馬鹿な選択はあり得ないのである。
財務省主導の税と社会保障の一体改革にしても、TPPへの参加問題にしても、菅直人の個人的延命のヨスガに過ぎない。米軍基地を含む日米同盟の在り方、中国ロシアを含む地勢的なアジアとしての生き方、公務員制度改革、地方主権と小さな政府、グローバリゼーション経済における企業の社会的貢献の見直し、食糧安保の考え方等々、すべてが国民的議論が必要な重大な課題であり、正直現在のひ弱で節操のない政治家やマスメディアを含む言論人だけに任せて済む問題ではなくなっていると考えるのが妥当だろう。
ああだこうだと云う主張をここでする積りはない。ただ、日本が突き当っているこれら課題は、一つひとつ国民が考え選択していかなければならない、驚くほど大きな課題だ。正直気が遠くなるほど厄介で、議論は百家争鳴になることだろう。これこそが言論人、マスメディアの確信的に行うべき責務であるにも拘わらず、報道すべてが利害損得で処理されているのは悲劇としか言いようがない。
多少は、中近東のドラスティックな革命運動やネットメディアの普及により、一部盛り上がりはあるのだろうが、まだまだ限定的と考える方が妥当だろう。そう云う意味で、筆者のようなコラムも徒労なのではないか?と云う疑問との闘いは、自分の中で日々起きている。(笑)
これらの問題を解決する糸口が民主党による「政権交代」だった。09年時の民主党のマニュフェストの根幹が半分でも成就していれば、我が国の自立の方向性も見えたのだろうが、霞が関とマスメディアの陰湿かつ狡猾、さらにはヒステリックな妨害により、早々に夢幻の話に貶められてしまった。これは鳩山前首相の稚拙な政権運営によるところもあるだろうが、根っこは霞が関とマスメディアの妨害だったことは間違いがない。
菅・仙谷・前原達は、日本の政治を先ずは泳ぎ切る為の方策を考えたのだろう。それがマスメディアとの連立政権運営と云う選択だ。特に朝日・読売新聞との連立政権だ。朝日の主筆は昨年までCIAエージェントと見做されていた船橋洋一だったが、現在は空席のようで編集総責任者不在で紙面を作っているようだ。読売はあいも変わらずナベツネが主筆で頑張っている。未だマスメディアのドンは健在のようだ。船橋が朝日を去り、一線を画したのには、ナベツネとの確執に嫌気をさした可能性もチラホラ聞こえてくる。
いずれにせよ、現状日本で政治を行うには菅らが選択したように、霞が関・マスメディアと手を組むのが手っ取り早い、政権維持策なのだろう。まぁ菅民主党政権のように目茶苦茶になると、政権をヨイショする材料が乏しく、日がない一日、例のクダラン社説を書く破目に陥り、政権浮揚になんら貢献できなくなる。機密費返せ!政府広報も載せないぞ!と公言も出来ず万事窮している(笑)
事ここまで至ると、民主党をどのように変えるかと云う議論は復水を盆に戻そうと云う所業である。もう完璧に遅すぎた、延命治療さえ時間の無駄だろう。自民公明との救国的協力体制の構築が急務だ等と、うわ言を未だ言っているが、そう云う20世紀的発想はついえ去っている。既存と云う概念が破壊されつつある今日になって、55年体制の枠組みでどうせい、こうせい主張しても意味はなくなっている。
小沢一郎、鳩山由紀夫が民主党をどうするかではなく、どのように上手に分離するか、それしか残されていないと云うのが現実だろう。菅の総辞職に落ち着いてしまうと、時代は55年体制に戻ることになり、ねじを巻くのに苦労するし、時間もかかる。また、その試みは失敗と云う名がついて回るだろう。
どうしても辞職するなら、ババ抜きのババなのだから、前原か仙谷にでも渡して良いのではないのか? ここでババを渡された政治家は小沢一郎であっても、政権運営に苦慮するだろう。もう民主党で小沢一郎の「国民の生活が第一」の政治も国民や国家の自立も不可能だと断言しておこう。
まぁ50年先と云う話なら判らないのだが、筆者が死んでから、それを行われても面白くもなんともない。(笑)少なくとも、ここ十年くらいで、自立に向かう国家をみたいものである。 「ポスト菅」は仙谷、前原、岡田、樽床等々誰でも良いぞ!もう筆者は民主党には興味はない。意地悪は言うつもりだが、真剣に民主党どうあるべきかを論ずる気にはなれない。勿論、自民、みんなに興味を抱く事もない。もう矮小化した政治シーンで悩むのはやめた。民主が見事に分裂した時のみ、興奮し興味を抱くのだろう。
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