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朝日新聞、連日反小沢社説に興ずる 今日は小沢の曲解政治史だ
2011年02月21日 | 日記 :世相を斬る あいば達也
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/3e9e755f3c41f63f1a70df33ea6c7fd7
今日は予定では「パラダイムシフトの波に覆われる地球 欧米支配世界の終焉」等と云うお題目でひと言のつもりだったが、急遽バカバカしいが、ひと言いわずにはいられない、腐れ朝日の社説が目に入ったので一筆。 まぁ「パラダイムシフトの波に覆われる地球 欧米支配世界の終焉」の話にも通じるので、良い事にしよう。
もう形振り構う暇がなくなった朝日新聞の立場が、このような無惨としか言いようのない社説を掲載する事になったのだろう。もう泣言の類になってきた。
余程、朝日新聞政治部の幹部が菅直人や仙谷と固く約束した事実関係に齟齬が生まれてきている証拠なのだろう。 明日明後日には、菅・岡田政権は堂々粛々と小沢一郎に「党員資格停止」の処分を言い渡すのだろう?君らの指示通り、菅も岡田も頑張ったではないか?どうして、それなのに、菅直人の支持率が軒並み20%を切る事になるんだね。
オマエ等が約束太鼓判を押したのだろう?小沢を切れば支持率は50%ですよ。それで統一地方選、自公の協力も完璧ですよ。 昨日の拙コラムのように、菅直人が星に逆ネジを入れたに相違ない。
「おい!星浩、俺を騙したな!約束通り何とかしろ!今月中に何とかしないと、オマエ等の悪巧みのすべてをネット中継で晒してやる!その上で総辞職、小沢にバトンタッチするからな!」菅はカンカンに星を怒鳴りつけた。そこで生まれた、この社説。はい、ストンと腹におさまりました。おそらく、今週中に朝日新聞は世論調査をするだろうから、その餌撒き社説の可能性もある。このような社説の恣意性を観察すると、世論調査の対象者は、意外に朝日新聞定期購読者リストが参考利用されている疑惑が湧いてくる。
政治家に政治をさせないのは、オマエ等マスメディアではないか、政治家を甚振り、貶め、世間を騒乱の渦に巻き込んでいるのは、誰あろう、オマエらだ。朝日であれば、クロスオーナーシップのテレビ朝日・報道ステーションだよ。
なんだってんだ、頭の一行だけ「日本政治の病、いよいよ篤(あつ)しの感が深い。」等と気取りやがって、そこから先は口語調かよ(笑)出だしの一行目は「日本の政治は重篤だ、新聞報道も重篤だ」が読者をひきつける。
待っていろよ、朝日新聞幹部ども。オマエ等を朝日不動産の賃貸管理人専属にしてやるからな。何を長々、小沢一郎の歪曲政治史を書いて「社説面」するんだよ!オマエの社の社説の定義はこんなもんかい。片腹痛い、産経新聞の方が面白いぞ。筆者は既に23人の朝日新聞購読者を東京新聞に変えさせた。まだまだやるぞ!目標50人だ。
マズイ!寝ないと大変なことになる。尻切れトンボ風だが、怒りは通じたと思うので、この辺で。オヤスミなさい
≪小沢氏流を超えて―「政局」政治から卒業を
日本政治の病、いよいよ篤(あつ)しの感が深い。
政策の立案決定や遂行よりも、権力の争奪をめぐる永田町のなかの抗争、いわゆる政局にかまける病である。 民主党の小沢一郎元代表に近い議員16人が同党の会派からの離脱を表明し、党内では菅直人首相の退陣論が公然と語られ始めた。これに対し首相は衆院解散に含みを持たせ、対抗する。
新年度予算案審議の真っ最中である。予算関連法案の成否はきわどい。社会保障と税の一体改革に目鼻をつける作業は待ったなしだ。
そんな時期に、与野党あげて「政局」政治に没頭している余裕は、いまの日本にはない。
「小沢」か、「脱小沢」か。20年来の日本政治を枠づけてきた対立構図が、今回の局面の底流にも横たわる。これを清算することなしに、政治の病が癒えるとは考えにくい。
小沢氏流の政治とは何かを、改めて見つめ直さなければならない。
■めざすは「権力集中」
小沢政治を解剖する道具とすべき言葉は、やはり「権力」だろう。
小沢氏は「政治改革」を主導した。何のためか。1993年に出した「日本改造計画」冒頭に、「迷惑な『指導力の欠如』」という項目がある。
それによれば、日本は「小さな脳しか持たない恐竜」である。脳、つまり指導者の指示ではなく、手足やしっぽが互いに調整し、一挙手一投足を決める。それが日本政治だというのだ。
湾岸危機の際、自衛隊海外派遣を、政府内の異論や野党の抵抗に阻まれていた。意思決定の仕組みを変え、権力を最高責任者に「民主主義的に集中」しなければならないと説く。何より迅速な「決断」を可能にすることが、小沢氏の政治改革だった。
決断を支える権力を手にするためなら、小沢氏は時になりふり構わず行動してきた。
民主党代表だった2007年、参院選で第1党に躍進した。その後は自民・公明政権を徹底的に揺さぶり、次々に首相を退陣に追い込んだ。
日本銀行総裁を空席に、ガソリン税の暫定税率を期限切れにしたのは記憶に新しい。
09年の衆院選マニフェスト(政権公約)は、西松建設事件で代表を辞任する前に、小沢氏が敷いた路線に沿ってつくられた。「財源はなんぼでもできる」と言い切り、子ども手当の規模を拡大させたのも小沢氏である。
こうした戦術が政権交代になにがしかの「貢献」をしたのは事実だろう。しかし、その「貢献」のおかげで政権が払わされている代償は甚大である。公約は財源のない空証文だと批判を浴びて、与野党協議もままならない。
■古い原理に乗る矛盾
小沢氏流の政治はまた、政策なり理念なりを二の次にしていると疑わざるをえない。 小沢氏は衆院選公約の固守を説く。
しかし、あれほど廃止にこだわっていた暫定税率の維持を、10年度予算編成で決めたのは小沢氏自身である。 土地改良予算半減の判断も、小沢氏によるものだ。それは自民党支持の業界団体への制裁と受け止められ、団体は「政治的中立」を宣言するに至る。 政策の実現が真の目的なら、参院の多数を握っていた野党時代にも、それは十分可能だったはずだが、小沢氏はそうはしなかった。
しかも、その権力行使は透明性を欠く。「最高責任者」たる首相の背後で党側の小沢氏が決める「二重権力」。国会から逃れられない首相と異なり、説明責任からも自由になりやすい。
力の源泉は数。選挙や資金の面倒をみて手勢を養う派閥の論理である。だから、多額の資金をどう賄っているのか疑問の目を向けられることになる。
55年体制的な古い原理に乗って「改革」を主導する。そこに小沢氏の抱える自己矛盾を見てとることができる。 「2大政党による政権交代のある政治」の実現という政治改革の原点も、その後の小沢氏の行動からすれば揺らいで見える。 福田内閣時代、自民、民主の「大連立」を工作し、世を驚かせた。
逆に政権奪取後は、自民党を徹底的に追い詰める方向にかじを切る。 その政治的遍歴を見るにつけ、小沢氏が追い求めてきたものは結局、権力のほかの何だったのかという疑問が浮かんでくる。
■「倒閣」の時なのか
もとより政治という営みは権力と無縁では成り立たない。今後も時に「政局」と呼ばれる抗争局面が訪れるだろう。しかし、物事には限度がある。 ポスト小泉の日本政治は、政争がひときわ絶え間ない。首相の「たらい回し」は目に余る。その多くに小沢氏の影が見える。
そろそろ、権力闘争にうつつを抜かす政治から卒業する時である。
甘い言葉で権力を奪う政治から、苦い現実を見据える政治へ。白紙委任を得たかのように振る舞う指導者から、丁寧に説明し、説得する指導者へ。与野党が非難の応酬に終始する国会から、政策本位で合意を探る国会へ。 菅政権は低迷を脱せず、民意の評価は一層厳しい。それでもなお、誰もが日本の難局を痛感している今このとき、「倒閣」だ、「解散」だとぶつかり合っている場合だろうか。≫( 朝日新聞21日社説)
http://www.asahi.com/paper/editorial20110221.html#Edit1
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