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2011年2月20日
シリーズ小沢一郎論(15)── 恣意的な、あまりにも恣意的な菅政権
日本一新の会 達増拓也
(岩手県知事)
菅民主党が小沢一郎氏の党員資格停止処分を決めつつある。いかなる正義を実現しようというのか。
小沢氏と石川議員や秘書達が司法の場で疑われているのは、政治資金の収支報告書で、不動産取得の時期や小沢氏本人による立替払いについて、不正確ではないか、ということである。収支報告書の正確さが疑われただけで党の処分が必要だというなら、収支報告書の記載漏れや誤りを認めて訂正を行った議員(毎年何件もある)には、より重い処分が必要だということになる。不正確な収支報告は「虚偽記載」だから、とうてい許されるものではない、疑われただけで罰を受けるべきだ、という原理原則を明らかにしなければおかしい。
菅執行部は「起訴されたことが悪い」という主張のようだが、政治資金収支報告の正確さの問題で、しかも正確と解する余地が大きい今回のようなケースで、逮捕や起訴をすることこそが正義に反するのである。国民のために糺(ただ)すべきは「検察の暴走」問題だ。
菅政権が小沢問題を国家の一大事として扱っている割には、菅執行部は事実関係を詳しく調べている様子が見られない。ちょっと調べれば、検察と検察審査会の異常さが、たちまち見えてくるはずだ。
本当に大事なことについて、必要な情報収集をせず、いいかげんな行動をとる、というのが菅政権の一大特徴である。TPPについては、やろうと決めてから情報収集に乗り出すという、国の舵取りとして論評に値しないような姿勢である。
こういうのを、恣意(しい)的と言う。手元の辞書によれば、「恣意的=1論理的に必然性がないさま。2自分の好みやそのときの思い付きで行動するさま。」とある。恣意的な、あまりにも恣意的な菅政権ではないか。
脳科学者の茂木健一郎さんが、「小沢一郎さんはプリンシプル(原理原則)の人だ」と喝破し、ツイッターで「プリンシプルの問題として」小沢攻撃を痛烈に批判している。原理原則を大事にすることは、恣意的であることの正反対である。
公(おおやけ)のリーダーたる者、自分が恣意的になっていないかどうか、常に自ら戒めるべきだ。リーダーが恣意的であるということは、専制的であることと同義だからである。
私のような者でも、知事として恣意的にならぬよう、自戒している。今話題の岩手県知事責任編集・「コミックいわて」の発行についても、約半年、県庁内で検討を重ねた上で決めている。県立病院問題は、大変重要な問題なので、徹底的に情報収集した上で決定を行った。県議会に深々と頭も下げたが、へき地・地域医療学会や全国自治体病院学会に招かれ全国大会で講演するほど、地域医療問題に詳しくなった。自分の色をどう出すかではなく、「岩手県」という人格が仮に存在するとして、その架空の人格ならばどうするだろうか、という考え方で知事の言動を決めている。リーダーは、無私、無我の境地であるべきだと思っている。
菅政権は、高度に専制的である。専制的な政権は、許されない。「岩手県」という人格は、菅政権を認めないであろう。私も認めてはならないと考える。
PS:民主党の有志議員に会派離脱の動き、とのニュースが飛び込んできた。フランスがナチスの傀儡政権に支配された時、国外(イギリス)に「自由フランス政府」というものが作られ、国内のレジスタンスと連携して戦ったことを思い出す。『パリは燃えているか』ならぬ「民主党は燃えているか」である。打倒専制!民主党を解放せよ!
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/02/15_2.html
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