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仙谷さんが、ひそかに公明党サイドに、菅さんの辞任と引き換えに予算関連法案の年度内成立を打診していたという噂は、関係者によって否定されているが、実際にあったことと思う。
その動機は、おそらくウラミツラミであろう。
というと、いかにも、三文推理小説のようだが、案外、単純に考えたほうが、仙谷さんの行動もわかりやすい。
仙谷官房長官の頃を思い出していただきたい。当時、首相官邸は、この人を軸に回転していた。だれの目にも、仙谷・菅内閣と映っていた。菅さんは内心では、イライラしていたと思うが、実際にはずいぶん助けられていた。
負けず嫌いな菅さんと、これまた我の強い仙谷さんは、派閥もちがうし、もともとウマが合うはずもなかった。しかし仙谷さんは内心では菅さんを小馬鹿にしながらも、懸命に政権を支えた。これは事実である。
だからこそ、参院で問責決議案が可決されてその去就が取りざたされても、仙谷さんはまさかクビになるとは思っていなかったにちがいない。
「オレがいなくなったら、菅政権はもたない」というくらいの、強烈な自負を仙谷さんは抱いていたはず。
ところが、菅さんはあっさりと、仙谷さんを更迭した。自分の延命のためなら、重臣でも弊履(へいり)のごとく捨ててしまうのが菅流。クビを言い渡された仙谷さんの気持ちは、いかばかりであったか。
内閣改造があったことし1月14日、仙谷さんは12人もいた秘書官を全員、官房長官室に呼んだ。そして、官邸を去ることになったと正式に伝えた。そのときの様子を「文藝春秋」3月号で赤坂太郎は、こう描写している。
<「五か月だったが、支えてくれてありがとう」
短かい挨拶だったが、声はかすれ、目はみるみる潤んでいった。最後に頭を下げると、そのまま顔をあげることができず、目から溢れ出た大粒の涙が床を濡らした。政権の屋台骨として常に強気の姿勢を貫いてきた仙谷が、人目を憚らずに嗚咽を漏らす姿を初めて目の当たりにした秘書官のなかには、同じように泣き崩れる者もあった>
はっきりいって、これは仙谷さんの悔し涙だった。涙は怨念の発露。菅さんを支えてきた仙谷さんが、一転して菅さんを見限るという修羅の世界。いやはや、政界とはすさまじいところである。
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