http://www.asyura2.com/11/senkyo107/msg/506.html
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asahi.comより転載
http://www.asahi.com/international/update/0214/TKY201102140396.html
http://www.asahi.com/international/update/0214/TKY201102140396_01.html
【転載開始】
最初は「抗議デモ」のはずだった。だが、呼びかけに続々と集まった市民を見て気づいた。「僕らが始めたのは、革命だ」――。エジプトでムバラク大統領を辞任に追い込んだ市民デモの中核メンバーが、ムバラク氏退陣までの18日間を語った。
アフマド・マヘルさん(30)らが1月25日のエジプトの祝日「警察記念日」にデモをしようと計画したのは、昨年12月のことだ。「威張って国をだめにしている張本人が警察官。その記念日なんてお笑いぐさだと訴え、失業問題や貧困に関心を集めようと思った」という。
大学で土木工学を学んだ。だが、就職口はなかなか見つからなかった。選挙は不正ばかり。友人らと3年前、賃上げや民主化などを訴える「4月6日運動」を立ち上げた。インターネットの交流サイト・フェイスブックなどで呼びかけ、デモを始めた。だが、デモをしても警官の方が参加者よりも多かった。
1月25日のデモも「二、三千人くればいい」と思っていた。フェイスブック上の別のグループも、この日のデモを呼びかけていた。 そこに同14日、チュニジアでベンアリ政権が倒れた。デモ呼びかけへの賛同者が突如として増え始め、7万人を超えた。ネットの威力に、改めて驚いた。
25日。1万人は優に超える市民がカイロ中心部タハリール広場に集まった。最初の「若者に仕事を」「汚職を追放」といったシュプレヒコールは、いつの間にか「独裁政権打倒」「ムバラク追放」に変わった。
このまま帰宅すれば逮捕される。マヘルさんらはタハリール広場に近い事務所に戻り、26日、27日とデモを続けながら、次の手を打った。イスラム教金曜礼拝がある28日の大規模デモの呼びかけだ。政権側は携帯電話とインターネットを遮断したが、メンバーが各地に走り、デモのことを知らせた。
午後1時すぎ、金曜礼拝を終えた人々が、各方面からタハリール広場に向かった。「ガラベーヤ」という伝統的な服を着た貧しい農民や労働者、ジーンズ姿の若い女性、家族連れ。その多くは、これまでのデモで見かけたことのない顔ぶれだった。 マヘルさんは腹をくくった。「チュニジアを見て、人々の勇気に火がついた。これはもはや抗議活動じゃない。革命だ。この流れは、だれにも止められない」
それ以降、家に帰ったのは娘の3歳の誕生日だった1月30日だけ。タハリール広場周辺に泊まり込みデモを続けた。人々は次々と増えていった。
今月11日午後6時すぎ。 マヘルさんは市内をタクシーで移動中だった。ラジオでムバラク退陣を知った。車から飛び出して誰彼かまわず抱き合った。止めどなく涙があふれてきた。
マヘルさんは言う。「デモは、まだ続けるよ。エジプトが自由で民主的な社会になるまで、僕らは闘う。あきらめない。これまでも、いつか変化はくるとずっと信じていたのだから」(カイロ=貫洞欣寛)【転載終了】
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補欠会員コメント
時代は変わりました。朝日・読売が主導し、横並び談合報道で大本営発表を垂れ流すだけの新聞テレビに疑問を持つ市民が確実に増えています。twitter出現が大きな役割を果たしています。リアルタイムの情報漏れを当局が制御できなくなっています。マスコミの加工編集にも一定のブレーキがかからざるを得なくなっています。
エジプトの場合もtwitterやfacebookを通して自発的に集合した市民、いわゆる烏合の衆が主役でした。我が国でもこの流れは止まらないでしょう。主権は我々国民にあります。これからは個人々が真実の情報を発信していく時代です。個人々がささやかに発信し、そして精力的に活動しているフリーランスをささやかに応援していきましょう。
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