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http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/02/post_247.html
第177通常国会が開会され、これまでに衆参両院での代表質問、衆議院予算委員会の基本的質疑、初の党首討論などを見せられてきたが、議論が同じことの繰り返しでちっとも面白くない。有料の見せ物なら「金返せ!」と叫びたくなるところだ。
なぜ面白くないかと言えば対立軸がないからである。政治の議論とは、国家の現状をどう認識するか、何が問題なのかを提示して、どのような処方箋が有効かを論ずるものだと思う。議論を聞いた国民は、自らの生活に照らして与野党どちらに組みすればプラスになるかを考え、支持する政党を応援する。
ところが菅民主党と谷垣自民党との間には、当事者も認めるように、現状認識も問題の捉え方も、そして処方箋にも差がない。両者とも消費税の増税を唯一の処方箋と考えている。そしてそれが国民の賛同を得ることが難しいことも承知である。
そこから自分の責任だけで決めるのは得策でないとの考えが生まれる。相手を巻き込み、出来れば相手に余計に責任を負わせようと考える。国会の議論はその駆け引きに終始している。
菅民主党は「社会保障と税の一体改革」で与野党協議を呼びかけた。そこで自民党が出す案を民主党が丸飲みすれば自民党により大きな責任を押しつけることが出来る。自民党は計略に乗らないよう、まずは民主党に案を出せと迫る。民主党は4月に社会保障制度、6月に社会保障と税の一体改革について案をまとめると答えた。しかし谷垣自民党はそれに懐疑的である。
自民党は与野党協議に応ずるよりも民主党のマニフェスト攻撃に重点を置いた方が得策と考える。政権交代を実現した09年の民主党マニフェストに消費税の増税など書いていない。財源は無駄の削減で捻出すると公約したはずだ。それが出来ていないのだから国民に嘘をついたことになる。国民に謝罪をして選挙をやり直すべきだ。そう言って解散・総選挙を要求している。
これに対して菅総理は、マニフェストは4年間で達成するもので現在も進行中である。しかし任期半ばの9月にはマニフェストを見直し修正する可能性もあると述べ、解散・総選挙は自民党の党利党略だと反論する。要約すればそのようなやりとりが国会冒頭から何度も繰り返されてきた。
9日に行われた初の党首討論では、菅総理と谷垣総裁が共に「これから何度でも議論しよう」と言っていたが、壊れたレコードのように駆け引きだけの議論を聞かされるのはご免被りたい。そんな議論を聞かされても、そこから国家の現状も、進むべき道筋も見えてこない。世界が地殻変動を起こしているときにそれは時間の無駄というものである。
「野党なき国家の不幸」でも書いたが、日本には昔から政権交代を繰り返す国の野党とは異なる「野党」が存在し、政権交代を狙わずに駆け引きばかり繰り返してきた。それを野党と思う錯覚が菅総理にも谷垣総裁にもへばりついている。だから駆け引きのための挑発や口撃を「論戦」の技術と思い込む。困ったことに国民もそれに馴らされていて、鋭い口撃や切り口上を聞くと溜飲を下げ、政治を分かったつもりになる。しかしいくら溜飲を下げても国家の問題がそれで解決される訳ではない。
かつて「自民党をぶっ壊す!」と叫んで国民の人気を得た総理がいたが、自民党にすり寄る総理に人気が集まる筈はない。インチキなマスコミの世論調査をそもそも私は信じていないが、菅内閣が軒並み支持率を下げている所を見ると、傾向はその通りなのだろう。それを取り上げて新聞・テレビは騒いでいるが、それよりも注目すべきは自民党支持率の低空飛行である。民主党の低下の理由は明快だが、自民党の低支持率は研究に値する。
半世紀以上も政権の座にあった自民党なら、政権を口撃して気持よがるより自らの支持が上がらない原因を重く考えるべきである。野党の仕事はそこから始まる。民主党のマニフェストを批判するのは自由だが、解散・総選挙に追い込んで政権を取り戻し、民主党の政策を政権交代前の自民党の政策に戻そうとすれば国民の離反を招くことは必定である。
また仮に政権を取り戻しても、自民党は民主党と同様に参議院で過半数を握っていない。衆議院で三分の二を獲得することも難しいだろうから、安倍、福田、麻生政権以下の非力な政権を作ることになる。一時的に権力を得ても何も問題を解決することは出来ない。そんなことに力を入れる理由が私には分からない。
しかも去年の参議院選挙は一票の格差が最大5倍となり、憲法違反の判決が各地の裁判所で相次いで出されている。選挙無効になってはいないが、格差を是正すれば自民党が大勝した1人区に影響が出て、去年の自民党大勝は幻になる。自民党にとって去年の参議院選挙は余り胸を張れない選挙なのである。2年半後の参議院選挙までに一票の格差を是正しなければならないが、自民党にはうれしくない事態かもしれない。
そのような状況にあるのだから小手先の駆け引きを繰り返しても展望が開ける話ではない。それよりも対立軸のある議論に戻すか、あるいは戦後の日本を総体として見直す議論をしてもらった方が良い。各国は今から20年前に冷戦が崩壊したとき、そうした議論に時間をかけた。ところが日本の国会は毎度おなじみの「政治とカネ」の議論ばかりで、自らの立脚点を掘り下げることをしなかった。それが今弊害となって現れている。
「なぜこんな国になったのか」と嘆く国民が多い。しかし「なぜ」の分析を誰もしてくれない。せいぜいが「古い自民党政治が悪い」とか「官僚政治が悪い」と表層を言うだけだ。そんな底の浅い理解でわが国の問題を解決することなど出来ない。いっそ党首討論を現下の問題から離れ、党首の歴史観や政治哲学を競わせる場にしたらどうか。その方がよほどこの国の問題を浮かび上がらせてくれると思う。
国政がそうした体たらくだからか、国政とは逆の減税や地域主権を掲げる地方首長の運動が勢いづいている。大阪、愛知、埼玉、佐賀などで菅民主党や谷垣自民党と一線を画す動きが出てきた。その手法には批判も多いが、いつの時代も古い仕組みを壊すときには、それまでにないやり方を採らなけば実現しない。
「百年の孤独」で書いたように、英国では国民から選ばれた下院が決定権を持つために何度も解散をして国民の信を問い、その力で世襲の貴族院を黙らせた。独裁的と批判されたが、小泉元総理の郵政解散や河村たかし氏のトリプル選挙はその手法である。
またアメリカのレーガン大統領の経済政策「レーガノミクス」は当初「ブードゥー・エコノミー(インチキ経済学)」と呼ばれて総すかんを食った。しかも経済に効果を現すまで10年もかかった。新しい政策とはそうした目で見なければならないものである。それを政権交代後1年やそこらで政策に効果がないと断じたり、解散権を行使するのを独裁だと叫ぶのは、歴史を知らない戯言である。
地方議員の仕事は具体的である。目の前に壊れた道路があり、介護の必要なお年寄りの顔が見える。ところが国会議員の仕事は抽象的である。形の見えない国益や何年か先の高齢者対策を考えなければならない。それだけに難しいと言えなくもないが、しかし駆け引きに終始する政治を見ていると、具体的な課題と向き合う地方から攻め上って政治を変える方法もあるなという気がしてくる。
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