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年金改革と称して様々な議論があるが、その場合どの観点で評すべきかは「既得権益」をどの程度織り込むのかということだ。産経の議論は「自立的年金」としつつ、その実「既得権益の擁護」に他ならない。一元化議論を厚生年金と共済年金に限定したのは単に年金額の低い国民年金まで含めては「既得権益者」たるサラリーマンと公務員の年金が減額されるのではないかという不満を抑えるためだ。
しかし国民年金受給者は現在でも納付率が52%という壊滅的な若年層を抱えて、今後の年金社会に期待のできない層が激増する事態が展開されていくとすれば、国民の間で二層的対立が起こりかねない。そうした対立構造を持ち込み、なおかつ現在の年金は「仕送り方式」だとする「世代間対立」を煽る議論の仕方は余り感心しない。
そもそも年金は積立方式だった。積立方式で出発したものを1985年に時の自民党政権と厚労官僚は給付方式へ転換したのだ。そうすれば莫大な「年金積立金」が厚労官僚と族議員の巨額な「財布」と化し、その後の乱脈運用というよりシロアリ行政は明々白々だ。
現在の年金改革議論で決定的な障害はまだ年金が決定的に破綻していないということだ。
何とか給付方式で税を50%程度入れれば遣り繰りできるからだが、実は破綻しているという認識がないというのに驚きを隠せない。国民年金は60歳支給から65歳支給へ先延ばしされている。その間、国民年金納付金も60歳から一部支給を選択した厚生・共済年金受給者へ支給されている。つまり現在でも明確な国民の現役時代の職業差別が行われていて、国民年金受給者には60歳から一部年金支給という途も閉ざされている。
村々の限界集落を訪れてみれば良く分かるだろう。営々と農林業に従事してきた国民年金世帯がいかに悲惨な事態に陥っているか。彼らの多くは処分できない「財産」があるため生活保護の対象にもなっていない。売却しようにも売れない棚田や荒れ果てた山林も「財産」と自治体は認定して、処分して丸裸にならない限り生活保護を支給することはないのだ。兼業農家として厚生年金や共済年金を受給している世帯がまともな暮らしを送っていけるのと好対照が混在している。
「既得権益」を守った上での議論なら、国民の多くは拒否するだろう。最も恵まれた共済年金に切り込まないで、厚生年金の勤労者にじり貧の現状を押し付けるのは問題だ。なにも人口減の少子化社会による納付者が減少するだけでない。非正規雇用として厚生年金対象者から国民年金者へ変わった人たちが小泉政権下からいかに増大したかを議論しなければ保険方式を採る限り厚生年金の財源は縮小し続けるだろう。米国の要請による派遣業法の規制緩和が何を果たして、国民は検証しなければならない。
政治とは税(及び負担金)を国民から徴収して、その使い方を決めることだ。国家の一義的使命は国民の生命と財産の保全だ。そうした本筋へ戻るなら年金は税により給付すべきだ。そうすればバカげた各「保険・共済」事業にまつわる各種外郭団体は一掃できる。税の直接給付にすれば窓口も一本化されて「既得権益」が国民の目に分かりやすくなる。すべてを透明化する方がより良い改革だ。
政治家は既得権益者の反乱を怖れず、すべての年金一元化と税方式へ移行すると宣言すべきだ。それも30年だの40年だのと、一元化実施時期を先送りするのではなく、5年後とか一挙に行うべきだ。「既得権」を持っているのはすでに年金・共済を支払っている現役・自給者世代であって、これからの国民には関係のないことだ。それに対して「既得権益者」がノーだというのなら年金会計をこのままにして「破綻」させることだ。
産経の社員は分厚い厚生年金の「既得権益者」だから年金一元化は厚生・共済だけに限ろうとしているのだろう。まずは自分たちの頭の中の「既得権」をすべて排除することだ。日本国民はすべからく同じだという前提に立って、国民誰もが文化的な最低限の暮らしが成り立つにはどうすれば良いかを考えることから出発すべきではないだろうか。
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