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2011年02月11日 15:39
エジプトなどでみられるデモなどのとき、よく「政府系報道機関」という言葉を耳にする。
雲の中にいるものは、雲の形がみえない。
日本の大手マスコミや共同配信の地方新聞などは、もし市民のデモなどが起きれば、国際的にはきっと「政府系報道機関」というふうに呼ばれるだろう。
選択肢の少ない日本独自の報道機関は、外国からはすくなくとも「奇異」な目で見られていることは確かである。
これは反小沢とか親小沢という問題ではない。まして大手マスコミとネットとの対立でも、記者クラブとフリーのネット記者との対立でもない。ことの本質はそれが果たして「正義」を根拠としているかどうか、ということでしかない。
たしかに「政治とカネ」という悪意の連呼、「八百長、クスリ」のスキャンダルに辟易としているひとと、それでもそれが「世論」だと信じているひととがいるだろう。
宗教もさまざまだし、何を信じようと自由である。
実際、具体的には両極はそれほどでもなくて、やはり機動力のある一元的な既存メディアと情報を選択できるネットメディアとを混合して受け取っている人間が多いのではないか想像する。
だからメディアの機種選択ではない。要は国民の、己の判断で、なにが「正義」であるかを見定められる能力が問われているのである。
一度立ち止まって考えれば、きっと分かるだろう。テレビから流れてくる笑い声やもんきり型のアナウンサーの絶叫が「真実」であるかどうかが、、、。
それほと民度が低くない欧州の某国民が20世紀に犯した大罪あれば、けっして民度が高いとはいえないものの、それなりの民主主義を貫徹した中南米の小国もある。だから、たしかにアナウンス効果はすごいと思う。
しかし正義はどこにあるのか。ただ繰り返し連呼さえしていれば正義であるとは言えないはずである。情報は決してひとつだけではないのだ。
多様な情報を自ら判断し、最後は「正義」がいずれにあるか、冷静に考えて欲しい。
「お天道さまの下、正義は必ず勝つ」。
私事で恐縮だが僕は子供のとき祖父から教わったこの言葉を、かたくなにいまも信じている。馬鹿の一つ覚えと揶揄されようが、ずっとそう思ってきた。
そしてまた最近、またどこかで同じような言辞を聞いたような気がする。
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