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小沢支持者は、いまのところ高年齢層に多い。より若い層の感性に向けても、さまざまなアプローチが試みられていくべきではないか。
「Public Enemy(パブリック・エネミー)は、シーンに登場した時からいまに至るまで、常にいつだっていちばん若々しい存在だ。」
(日本人はまだ、小沢一郎に追いついていない。) 2月7日
http://rww.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/enemy-0aa4.html
ロックやヒップホップは、本来的に「反抗」の音楽だと思う。しかしヒップホップが登場してきた時、なんとなくそれに止まらないものを感じていたのだが、それが何なのか、最初はまだよく分からなかった。
そしてそんな時にオレたちの前に登場してきたのが、
Public Enemy (パブリック・エネミー、パブリック・エナミー)だったのだ。
アジテーショナルなライム、乱暴なまでに唐突で意外性の有るサンプリングの挿入、曲をぶっ壊してしまうような、切り込んでくる斬新なスクラッチノイズと転調、はじめはそこに耳を奪われるが、しかしそれらの相乗としての高揚感とともに、とてつもなく深く優しい、太古的で、陽気なグルーヴに全体が満たされていることに気付く。
Public Enemyの登場によってオレたちは知った。
ヒップホップとは「FUNK」だ。「FUNK」の「革命」だ。
いや、「革命」そのものだ。
そしてさらにオレたちは知ることになる。
Public Enemyこそがヒップホップだったということを。
Public Enemyの後には、まだ誰もいないのだ。
たしかにヒップホップは音楽シーンの主流のひとつになった。
優秀なミュージシャンもいっぱいいる。
だが、Public Enemyの備えている「革命」性からは、
いずれも後退していると言わざるをえない。
たとえば、日本のヒップホップ/ミクスチャーロックの第一人者として君臨するドラゴン・アッシュにしても、誰かがかつて音楽的運動神経がいい、と評していた通り、曲作りも演奏もとても非凡だとは思うのだが、「このサンプリング、センスいいねー」的な、業界を渡り歩いて30年、流行の変化に機敏に対応しながら数々のスマッシュ・ヒットを手懸けてきた辣腕音楽プロデューサー(チョビ髭)が作った曲のような、
ファンの人には申し訳ないのだけれど、とにかく「革命」的ではないというか、Public Enemyを聴いたあとの耳には、どうにも爺々くさい音楽に聞こえてしまうのである。これはドラゴン・アッシュに限らない。
音楽性だけでなく、チャックDは、保守的な音楽業界の大勢が白い眼で見ていたネットによるファイル共有に対して、90年代からいち早く賛意を表明するなど、その革新性は常に時代の先を見据えていた。
チャックDは、当時のシーンの連中から自分が不当な扱いを受けていると感じ、それへの反発から、最初に作ったデモ・テープに“Public Enemy (公共の敵) #1”と敢えて自称したという。
不正と腐敗に立ち向かう“ 強靭な変革への意志 ”は、
しばしばこのような逆説をともなって、オレたちの前に現れる。
Public Enemyの後には、まだ誰もいない。
Public Enemy(パブリック・エネミー)は、シーンに登場してきた時から今に至るまで、常にいちばん若々しい存在であり続けてる。
まるで、小沢一郎のようではないか。
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