http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/701.html
Tweet |
既存政党への逆風程度で愛知を語るべからず すべての既存勢力への国民の懐疑だ
2011年02月07日 | 日記:世相を斬る あいば達也
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/49fa62964f129f52c15f125d18cb445f
今回の愛知トリプル選挙の仕掛け人、河村たかし氏は民主党の異端児だった。異端児であり、突飛もないアイディアを平気で発言してしまい、既存の枠組みの中で生きる人種の顰蹙を買う場面を何度か目撃した。しかし、その突飛が既存政党であり政権与党である民主党と第一野党自民党が束になって挑戦した石田候補を666,251票対216,764票のトリプルスコアーで退けたのである。
河村氏と同様に「減税」「中京都構想」を旗印に自民・重徳氏、民主・御園氏と闘った大村秀章氏が両者に対しトリプルの差をつけ、堂々と勝利した。大村秀章氏は1,502,571票、重徳氏・546,610票、御園氏・487,896票である。詳しい選挙結果は、こう云う事では捏造出来ない各マスメディアで確認していただきたい。
これを愛知・名古屋の地域特性等と戯けたことを言ってはならない。 拙コラムの宣伝のようで恐縮だが、筆者は今回の愛知トリプル選挙が今後の日本の行く末を暗示する象徴的選挙になるのではないかと予測している。
今回の選挙結果を菅首相、岡田幹事長等民主党幹部の面々がどのような総括や弁明や言い訳をしようと、現政権与党民主党のウルトラ大惨敗なのである。おそらく現民主党幹部は誰ひとり責任など取る人間はいないだろう。岡田や石井ピンが逃げたい一心で辞任する事はあっても、それは責任からではなく逃避するだけのことである。
1月24日:「愛知県知事・名古屋市長選 菅政権崩壊どころか既存政党の崩壊も」
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/93470c12602015c54eabd90d387f86ff
1月26日:「既存政党だけの政界再編は無意味『地方vs中央』と云う対立軸が先鋭化する」http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/620c4c4447db062bf413907fc35c3754
2月4日「2月6日愛知トリプル選で立ち往生する菅政権 総辞職か解散か」
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/bc8c2d9440bf2177d69f411d051e6c20
2月5日「いよいよ明日、民主党の大惨敗が国民の前に晒される 去れ!菅直人」
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/75723529ba055232f1d625b1d30b1d9f
以上のように、執拗なくらい今回の愛知トリプル選挙テーマのコラムを書き続けた。また筆者は米国が唯一の超大国と云う時代の終わりを、これも執拗に語っている。米国が憎いと云う話ではない。米国に全責任を負わせ、世界の警察機能を持たせる時代は終わったと言っているだけである。あの国に肩の力を抜いて貰わないと、世界的の各地で戦火が生まれ、いずれ収拾のつかない世界大戦に向かう危険がある、と警鐘を鳴らしている。
何も「コスモポリタニズム(cosmopolitanism)」を主張しているわけではない。自由主義、民主主義が世界平和の基礎であるが、特に平和主義で世界が平和になるとも思っていない。国家を代表する各国政府が、自らの国益において外交安保に凌ぎを削るのは当然の事なのだ。
ただ米国のサブプライム問題を契機に、オバマと云う黒人大統領が米国に生まれたこと自体、世界にとって異様な出来事だったのだ。或る意味で、オバマ大統領の誕生が米国の苦悩を象徴していたし、苦痛の叫びなのかもしれない。 米国を中心とする世界の勢力図は半年前のものは使用不可だ。そのくらいの速度で、世界が変わっている。その変化の事実を、此処で一つひとつ引き合いに出す気はないが、劇的に変わっているし、明日も休むことなく変化していくのだ。
矮小化された個別のパラダイム・シフトではなく、地球上に存在する人類のパラダイムが移動しているのだと、筆者は感じるのである。 この地球上を覆う形で流れ起きているパラダイムの移動が、地球の物理学的問題から生じる異常気象、不況からの脱出とあくなき経済成長神話、そして各地や各国で政治情勢にまで、パラダイムのシフトが及んでいるのだ。大袈裟にいえば、地球や人類の変革期が来ているのだと思う。
ある国では人類文化の進歩の限界を超えて、人間古来の力では御し切れずに、逆に苦しみを感じ、性欲すら失うような追詰められた精神構造で分刻みで生きる人間がいる。ある国では呑み水を求めて彷徨う人間が存在する、もうヒッチャカメッチャカになっているのだ。そして、このヒッチャカメッチャカを糊塗する如く、偽善がなされ、一時飢えた人々が潤う如き演出をし、且つそのプロセスで利益を得るシステムが作動している。
上述のような地球規模のパラダイム・シフトと愛知トリプル選の結果をこじつけ、関連づけさせる積りか、と怒りだす人もいるだろう。失笑する人もいるだろう。筆者も、流石に愛知をこのような俯瞰的感想論に関連させる積りはない。ただ大きな目で全体をみつめていると、既存のあらゆる権力や勢力や構図が悉く否定されはじめる時代の流れは感じざるを得ない。
愛知のトリプル選挙をみる限り、既存政党への離別を国民の一部が宣言したと云う事だ。民主党も自民党もみんなの党も今や既存政党、過去の政党の如き扱い、と云う風が吹きだしている。マスメディアは、自民の分裂選挙が響いたとか色んな理屈をつけているが、分裂すること自体、まとめる力量を自民党は失っていると云う事だ。民主党に至っては、意地悪にみれば選挙に負ける為に政治を行っているようにさえ見えてくる。
現実連戦連敗のパレード、民主党支持者が激減するのは当然だろう。 筆者などは、菅直人という男は「民主党政権を解体せよ!」と米国から脅迫されているのかも?と同情した時期があるくらいだ。まさか、現在の政権運営で予算が通るわけもないし、選択は総辞職か解散しかないのを承知の上で、野党に喧嘩を売ったり、抱きついたり、失笑を買う組閣をして、民主党の崩壊に邁進していると見る方が論理的な菅首相の行動なのである。つまり、投げやり政権状態なのかもしれない。「こうなったら、首相の間に良いものだけ喰ってやれ」これは同情のし過ぎだな、みんなに怒られそうである。(笑)
また横道に逸れたが、「既存のあらゆる権力や勢力や構図が悉く否定されはじめた時代」に我々は差しかかっているのかもしれない。筆者の鳩山新党論も、既存の政党、組織、常識が通用しない時代、或いはそれらに国民が疑念を持った時代、と云う認識に立っている。故に、小沢一郎や鳩山由紀夫の民主党への思い入れ云々、という気持は情緒的に理解するが、時代の要請に応え得るか、甚だ疑問なのである。
菅首相の目的は自公政権との連立なのだろう。大連立の前提は、民主党だけではどうにもならないので、連立しましょう。谷垣さん首相になってくださいよ、って感じかもしれない。枝野が「政治主導など、とウッカリ言うものではなかった」と発言したが、菅直人なら「政権与党になるなどとウッカリ言うものではなかった」と今頃、伸子夫人と話しているかもしれない。
ひと言いえば、政権与党になろうとしたのは、小沢一郎であり鳩山由紀夫だ。菅直人は、その政権をクスネタだけの男なので、今さら愚痴を言われても聞く耳はない。
「既存のあらゆる権力や勢力や構図が悉く否定されはじめる時代」と云う流れを泳ぎ切るのは厄介だろう。全員がカオスの中で右往左往し、疑心暗鬼になり、疑念亡者が量産されるに違いない。世論調査では自民党が復権等とバカバカしい情報が流されているが、国民はそんなに馬鹿ではない。自民党も民主党も信用されていないのだ。検察も裁判所も新聞もテレビも役人も米国も中国も、誰も信用しない既存勢力へのアンチが始まるのだと思う。これに世代間のぼんやりとした利害関係が絡んでくる。勿論、外交安保や、アメリカ様の形振り構わぬ内政干渉も激化する。
コラムを書く分には、ネタが切れないので面白い世界だ。しかし、生活者として、怪我せず生きて行くことが容易ではない社会が展開するかもしれない。これからは、既存への破壊勢力が勢いを増す予感だ。
各地で勢いを増す「地域勢力」、この力をどのように取り込んでメジャーな政治勢力にしていけるか、その辺の動きに、政治的敏感さと、パワーがある政治家が我が国に、ありがたいことに一人だけ居る。幸運なことだ、しかし彼は謂われなき疑惑で刑事被告人にされている。
PS:そういえば、先程聞いた話だが堀江貴文氏が東京都知事選に立候補しようか検討中と云う噂が流れてきた。迷わず、筆者は彼に一票投じてみる、堀江は面白い、時代の流れの中で生きている(笑)
以下に、保坂展人氏のコラムがタイムリーだったので、参考まで貼りつけておく。
≪「名古屋・愛知の乱」と政権交代の残像を重ねて考える
名古屋市長選挙の河村氏、愛知県知事選挙の大村氏の勝利を受けて、明日からの永田町にも動きがありそうだ。愛知県は民主党の牙城とも言われてきたが、今回の選挙結果は4月の統一自治体選挙の「前兆」とも言える。河村氏の「議員を家業にさせない。本来はボ ランティアだろう」という主張は、彼が国会にいた頃からの持論。今の永田町の政府・与党と多数派の議論が「増税の仕方」に傾いていることを考えると、影響は予想以上に大きいかもしれない。
国民新党の亀井静香氏が社会保障会議に柳沢伯夫氏が起用されたことを「狂気の沙汰」と批判しているが、これは民主主義の基本の問題なのだろうと思う。「自民・公明連立政権」を強く批判して「政権交代」を求め、「国民の生活が一番」を掲げて世直しを訴えて圧勝した1年半前の総選挙で政権を担うことになった民主党が、「自民党の経済失策の司令塔」だった与謝野馨氏を担いで閣僚にすえて、柳沢伯夫氏まで登板してきたとなると、大相撲の「八百長騒動」を批評するどころの話ではない。
1年半前の総選挙は「壮大な虚構」だったのかという疑念を膨らませ、「自民党を倒したら自民党が出てきた」というナンセンスな構図は、既成政党不信を決定的なものにする。「政権交代」には大きな可能性があった。戦後、反永久的に続いていくように見えた「自民党政権」の息の根を止めて、長年蓄積された「政官業の癒着」 を解体し、肥大化して暴走する行政組織に刷新のメスを入れる機会でもあった。その入口がこじ開けられようとした。
しかし、旧体制の守護者たちの抵抗は強 かった。「八ッ場ダム」にしても、「税金の使い方は利害関係者が決める」という構図を、「納税者、国民が決める」という質的転換をはたすいい舞台だった。 しかし、「建設中止、だが、本体以外の工事は続ける」という珍妙な結論で、旧体制の国家事業を信じる人たちにも不満を充満させ、改革の旗は泥だらけになった。
自民党のような政治は、自民党が一番得意だ。政権交代したことの意義は、一度でいいから「自民党でない政治をしてほしい」ということではなかったか。旧体制を代表する新聞・テレビが民主党政権の「頼りなさ」「非現実性」を批判したからと言って、立ち止まってはいけない。しかし,現状は立ち止まるど ころか後退してしまっているように多くの人が感じている。だからと言って「自民党政権に戻ってほしい」というコールは大きくない。「自民党政治に戻さずに、しっかりと既得権打破の改革をやれ」というのが民意ではないか。
しかし、政権交代の1年半は、その期待に応える形でスタートしたが、すっかり失速し失望に変わっている。もう一度、政権交代の原点に戻り、 再出発するのは困難な道ではあるが、唯一の打開の道だ。名古屋・愛知の選挙結果から改めて、この1年半を考えた。≫ (保坂展人)
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/7b4a0e9f64eeb7452dccc78bb0c8ea58
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK106掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。