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陸山会事件公判で裁かれるのは、裁判所であり検察である ( 徳山 勝 )
http://www.asyura2.com/11/senkyo106/msg/565.html
投稿者 pochi 日時 2011 年 2 月 05 日 19:35:36: gS5.4Dk4S0rxA
 


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陸山会事件公判で裁かれるのは、裁判所であり検察である


いよいよ明日7日から、陸山会事件の公判が開かれる。公判は検察による冒頭陳述より始まるので、そこで検察は好き放題のことを述べることになる。その後、裁判長が被告人に対して、検察の挙げた罪状について被告に認否を求める。もちろん被告の誰一人として、検察の冒頭陳述内容を認める訳はない。だが、マスコミは、その否認よりは、検察の冒頭陳述の内容を針小棒大にして報道するのだろう。

陸山会事件の本質は、検察の面子と別件逮捕を隠蔽する「でっち上げ」事件である。
もっと詳しく言えば、小沢氏を政権から排除したい勢力と利害が一致した検察が、石川氏などを起訴して、小沢氏排除の意図を隠蔽している事件である。このような犯罪行為をした検察が、被告席に座っても可笑しくない公判である。だが、法律は検察にしか公訴権を与えていないので、犯罪者が訴追側にいる奇妙な裁判になる。

検察が訴因として挙げる政治資金規正法違反(虚偽記載)とは、陸山会が、小沢氏から譲渡された土地代金の支払いを、平成17年1月7日(本登記日)とし、小沢氏が当該地の前所有者に対し土地代を支払った平成16年10月26日(仮登記日)としなかったのが虚偽記載だと言うもの。公判前手続きから類推するに、検察は、その理由は水谷建設からの裏献金を隠す目的であった、と述べるのだろう。

この公判の検察側の目的は、この冒頭陳述で「水谷建設からの1億円」を、声を大にして述べることにある。そして、また懲りもせずに「天の声」と述べるのではないだろうか。そして、マスコミがこれを大きく報道する。これを検察は期待しているし、当然、そのような根回しが「記者クラブ」の中で行われていると推測する。8日の朝刊各紙の一面トップに躍る活字はだいたい想像できる。

この検察の冒頭陳述に対し、石川氏側の弁護団は、いろいろな証拠を挙げて反論することになる。だが、石川氏の無実を証明する証言や証拠は、おそらくマスコミは報道しないだろう。村木さん事件の公判でも、マスコミは検察の主張は報道したが、村木さんの無罪を証明する証言は殆どスルーした。おそらく、この公判の報道もその時と同じだろう。公判の成り行きをマスコミ報道に頼ることはできないことになる。

処で、裁判とはいったい何かである。裁判(=司法)とは、有罪か無罪を決め、有罪の場合には、犯罪者を法律に従って罰するものだと、多くの人は思っているだろう。
だが、本当にそうだろうか。三権分立では、司法は行政をチェックする立場にある。
つまり、裁判所(=司法)が裁くのは、被告人ではなく、行政である検察が法律に従って被告を訴追しているかを、裁く(チェックする)のでなければならない。

つまり、憲法に定める「デュー・プロセス・オブ・ローの原則」*に従って、行政である検察が捜査し立件したかを司法がチェックする。それが裁判である。だが、日本の裁判所は検察と癒着し、それを実行してないと筆者は思うのだ。裁判官の多くは、刑訴法321条で定める検察の特信性を拡大解釈し、被告や証人の公判での証言よりも、検察調書の方を証拠能力が高いとしているのが、その証左である。

検察の特信性を被告以外の証人に限定し、被告の証言も公判だけに限定すると、陸山会事件は公訴棄却となってもおかしくない。なぜなら、前田元検事による大久保氏の調書を検察は証拠申請していない。また、石川氏は検察調書の大部分を否認し、検察が誘導した取調べ内容を録音し、それが証拠採用された。その上、石川氏は犯意を否定しているのだから、犯罪の成立要因は無いのに等しい。

さらに、罪刑法定主義に基づく法の下の平等を考えるならば、仮に平成16年10月26日に記載するのが「正」だとしても、総務省への訂正報告で終わる話だ。この事件は検察が起訴したことがおかしいのである。検察は面子を捨てて、起訴を取り下げるべきなのだ。だが検察は、裁判所が、司法が持つ行政(=検察)をチェックする責務を果たさないことを百も承知だから、起訴したのだろう。

今回の裁判で裁かれるのは、石川議員などではなく、裁判所であり検察である。前回書いたように、最高裁は既に「違憲立法審査権」を放棄した。裁判官も官僚である。
彼らが既得権益を守る側に立つのは、ある意味で理(=利)に叶っているようだ。

*注記:憲法31条 「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」

<徳山 勝> ( 2011/02/05 18:30 )


http://www.olive-x.com/news_30/newsdisp.php?n=103532
 

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コメント
 
01. 2011年2月05日 20:17:44: sjrpeaS2bg
検察審査会に公開処刑城を用意されているのは、検察の役回りなのだが
今回はその通りになったな。

02. 2011年2月05日 20:34:21: 3lOrqK4rNk
西松事件では検察の冒頭陳述は起訴容疑と直接関係のない談合だの天の声だのをひたすら訴えるさもしいものだった。取り調べ過程では看過できない悪質な案件とかの言葉もあった。それも記者クラブに守られた閉鎖された会見で。このアホども。

今となってはこの件は検察の「完敗」に終わった。それでも検察は今度もひたすらその悪どさを述べ、それをマスコミが大きく報道する構図となるだろう。

腐ったマスコミの国などに住みたくないものだ。そのために行動を起こそう。こんな国でいいはずはない。



03. 2011年2月06日 01:28:25: mOBhm84jvQ

全く、おっしゃる通りですね。

裁判所、裁判官、検察がオートメーションの如く、出来あがった慣れ合いの構図の中で事務的に事件処理していく。

公平性、透明性が欠如しています。

コンプライアンスが最も必要なのは、裁判所、検察、警察ではないでしょうか。


04. 2011年2月06日 03:57:17: 6ITbkOyohc

西洋中世の「魔女狩り裁判」しかできない日本の司法は、
根本的に「悪の巣窟」だろう。

国民の多くは、「司法は正義」などと思い込まされている。

マスゴミは、「正義の仮面」を被って、国民を騙している。

これから、本当の正義の士が、処刑場に引かれ、
「死」と「復活」の修羅場を見させられるのだろうか?

今まさに、民族の死が、迫っているのだろうか?

或いはまた、この民族は、既に死んでいるのだろうか?



05. 2011年2月06日 08:11:47: BDDFeQHT6I
判決「犯罪事実は確認出来ないが被告は有罪」判決理由【世間があやしいと言っているから」、福祉課県知事は0円の収賄で有罪とされたのを見れば裁判では犯罪など有っても無くても関係ないのは明かだ。

06. 2011年2月06日 17:01:35: mp6fw9MOwA
過去の裁判では、検察起訴のほとんどが有罪となっている。
全体平均で99.9%が有罪なので0.1%しか無罪となっていない。
そのうち、供述を覆したのが10%で有るなら1%、覆したのが1%としても10%しか無罪となっていない。
裁判で供述を覆すのは、検察が違法な取り調べを行ったと強く考え、憤っている人に限定されよう。
そうでなければ裁判での心証を悪くする事が明白な、供述を覆す事はしないと考えるのが妥当だ。
供述を覆してでも真実を語ろうとする人の言葉はその姿勢から判断できると思われるが、裁判官はその一挙手一投足を見守っているのだろうか。
過去の供述を覆したが有罪となった判例を詳細に調べれば半検交流による冤罪作成の状況が顕在化するだろう。
この調査の方が、小沢さんを有罪にする調査より極めて容易であると言えるので、半検交流が疑われている現状ではこの調査は不可避と思われる。

07. 2011年2月06日 18:44:16: ZrMDpsyito
マスゴミと検察は、無罪にはしたくないだろうが、最低でも裁判が始まるのは小沢氏排除の願ってもない機会ととらえているのは確かでしょう。
最初の公判で「天の声」と、検察が叫び、それをあたかも真実のように
マスゴミが書いていたのを今でも思い出す。
 また国民が騙され、それを奸や仙獄、自公が利用するのは目に見えている。

08. 2011年2月06日 23:34:54: J0o6rialnc
>06. 2011年2月06日 17:01:35: mp6fw9MOwA さん

>裁判で供述を覆すのは、検察が違法な取り調べを行ったと強く考え、
>憤っている人に限定されよう。
>そうでなければ裁判での心証を悪くする事が明白な、供述を覆す事は
>しないと考えるのが妥当だ。

しかし痴漢などは冤罪事件でも否認すればかえって検察に睨まれ、職場にもしらされ疑われただけで会社もクビになり、なかなか釈放もされないと聞いた事が有ります。
だからむしろ本当にやった人の方があっさり認めるから、職場にも知らされずすぐ釈放になり、罪も軽いのだと。
しかしやっていないものはやっぱり認められないですよね。
やってない無実の人は重い罪を着せられ、本当に痴漢をした人は軽い罪で検事の心証で救われる。

いったい検事の心証って何なのでしょうかね。
理不尽ですよね。


09. 2011年2月07日 21:59:01: SKbwKdodcE
ロッキード事件における行政権力と司法権力の野合の時に
日本のデモクラシーは死んでおる。
デモクラシー下における司法は行政から国民を守る壁でなくてはならない。
つまり、ここに司法とは裁判所のことを指しているのだが、
裁判の主な機能は行政権力から国民の権利を守ることにある。
このように考えれば日本は裁判所がないに等しい。
何故なら検察官と裁判所との間はひとつの流れ作業であって、切っても切れない関係になっている現状がよく示しているではないか。
国民の権利を守るどころか検察の丁稚のようなありさま嘆かわしや。

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