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投稿の旅に意図的な意味のない中傷が増えてきた。逆に言えば阿修羅らしいことになってきたと言えるだろう。小生は自民党という官僚と一体化した「官僚社会主義政党」は大嫌いである。その意味では言いたいことはどんどん発信することを決めた。読む人々がそれを見て考えてくれれば望むところなので大歓迎だ。
第二次大戦後の東西の冷戦の結果は西側の勝利に終わり、米国一極主義が世界を席巻した。しかしリーマンショックによって米国もヨーロッパ諸国の共同体であるEUの威信も完膚なきまで叩きのめされた。イラク戦争の大義も嘘であったことが証明され、英国では元首相のブラウン氏までもが国会に喚問されている。9.11事件により3000人以上の犠牲があった事で米国はアフガニスタンにまで侵攻して、それを西欧諸国や我が国までもが支援している。世界は依然として米国の国益中心で回る続けるのだろうか。東西の冷戦の源であった共産主義と自由主義は単なる自由主義というものの勝利だけであったのだろうか? 中東で起こっている民主主義を求める 国民の蜂起は独裁制と米国の影響の終わりを意味し、新たなイスラムという考え方と西欧の思想との衝突の予感を感じさせる。
経済的に見れば、もはや中国をはじめとした発展途上国と言われた国々の経済抜きでの世界経済は存在しない。米国でさえ自国の経済の発展のために、これらBRICsといわれる諸国抜きで経済は成り立たない所まで来ている事を認めている。日本でも依然として経済問題が主要問題として語られ続けている。確かに個々人の豊かさの追求は大事な問題である。しかしこれらBRICsの国々もいずれ経済成長の限界に達するだろうし、格差問題などの社会的な問題も大きくなることが予想される。中国が共産党一党独裁国家のままで続くという保証も何もない。これらの国々が行き詰った時、世界はどのように対応するのだろうか、その影響は果てしなく大きいものになる。 日本のように単にGDPが世界第2位とか3位などになっても国民に富が還元されなかったり、貧富の差が激しくなったり、官僚機構だけが栄えるような富の偏在があるような国になれば経済的な成功は何の意味も無くなる。
今回のリーマンショックで明らかにされた事は、いきすぎた自由経済の結果である。表面的な経済的繁栄だけではなく、社会保障や福祉、その国における国民のよりどころは何であるかという議論抜きでの国家の安定はありえないのが歴史的な教訓である。米国を例に挙げれば、リベラリズムという自由主義が極端になったリバタリアニズムが失敗した事を意味し、ヨーロッパと共にその考え方の修正がなされようとしている。しかしながら国内では長引く不況の影響で、再び元のケインズ的な財政出動による経済の復興がオバマ政権によって実施されつつある。国中のインフラの再構築や鉄道網の新設などはその考え方の最たるものだ。一方では技術革新の進展による既存のビジネスを超える新規のビジネスのための政策や、国民への教育の充実などの指針も示された。しかしながら、これらは計画経済に近い元の理念なき経済成長至上主義のリベラリズム的な考えに戻されただけではないのだろうか。経済以外の福祉などの社会としてのあるべき姿などの哲学的な問題は又しても棚上げされてしまっている。国家財政の悪化などにより結果が付いてこない時には、米国の混迷は今より大きくなる危険性をはらんでいる。もしそうなれば、その時は米国一極主義というものが完全に終焉する時になるかもしれない。
我が国といえば、戦後以来65年間も官僚により独裁的に国家が運営されているが、その事実は議論の対象にもされていない。また米国一極主義のままで良いのかという議論さえ封じ込められているのが実態で、世界的な動きは完全に無視されている。唯一、先日の外国員特派員協会での鳩山元総理の演説以外に、政治家も知識人と言われる人々さえ国民に対して国家の在り方や、福祉や社会保障などの在り方を我々に語りかけているとは思えない。だれも正確な情報がない中で、財政悪化などというみせかけの議論だけが行われ、三権分立や政府情報の公開などの基本的な事が何も語られていない。個々の政治家が国民に政策以外の根本的な事を分かりやすく語りかける事はほとんどないし、マスコミは政治不信だ何だと表面的な事を非難するだけで、不安だけを煽り立てているだけだ。日本の社会は公務員天国になり、社会主義国家と同様に国民の9人に1人が公務員ではないかとさえ言われている。省庁の利権に絡むような規制の氾濫の中で、企業の自由な活動は制限され、社会的なインフラまでもが官僚たちの利権のもとになって、国民から金だけを取るような国家に成り果てている。道路公団の民営化などに見られるように、わが国では税金による「公共財」が私的に使われ、官僚たちの勝手にされているのを誰も非難しない。どこが民主国家なのか、あきれるばかりだ。
このような背景があるのに、未だに国民は中東の人々のような声さえあげていない。一体この国はどのような国家になるのか、それを誰も語らない。ただ政権交代は失敗のような世論操作ばかりが語られている。このままでは国民の閉塞感、特にこれから国を担う若者たちの閉塞感は高まるばかりだろう。我々は論点を経済問題だけではない、国家や社会の在り方がどうあるべきかという議論をしない限り何も解決にならない事をもっと声高に叫ぶべきである。誰も今のままで良いとは思っていないはずだ。マスコミは皮相的な事ばかり報道し、意図的に作り上げられた国家財政の問題で国民を欺こうとしている。民主党の政権交代時の理念のような事は意図的に報道も議論もしないで、国民がどこに向かうべきかを妨げているのは独裁国家と同じやり方であり断固として非難する。大手マスコミはすでに存在意義を完全に失っている。我々国民が個々に考える重要性はこのような理由がある事を強調したいのだ。単に自民党政権に戻れば全てが解決するのかを問いたい、今こそ本当に国民は覚醒する必要がある。
参考:外国員特派員協会演説 http://bit.ly/eqB132
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