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菅内閣の八百長と大相撲の八百長では、どっちが深刻か? 決まっているだろう、菅内閣の八百長と検察・マスコミの八百長こそ重大問題だろう。 - 文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20110204/1296769331
今や大相撲は、「検察、マスコミ、政府」の「オモチャ」にされているようで、「検察、マスコミ、政府」が都合の悪いことになると、それを隠蔽し、争点をずらすかのように、必ず大相撲スキャンダル発生(笑)……という定式が出来上がっているようだが、今回も、すでに昨年夏の捜査で力士たちの携帯を押収し、専門家に依頼し、分析、解明した時点で判明していた「メール賭博」事件を、今日まで隠しておき、小沢一郎の「検察審査会起訴(強制起訴)」騒動や国会開会で検察批判やマスコミ批判が沸騰するのにタイミングを合わせるかのように、暴露し、事件化したというわけだろう。ミエミオなのである。そして、いてもいなくても、どうでもいいような三流の国会議員や総理大臣までが、しゃしゃり出てきて、大相撲を存在意義がないとか、徹底調査すべしとかなんとか言って、大相撲を文科省認定から取消し、結果的に解散に追い込むかのような思いあがった発言をしているようだが、われわれ日本国民にとっては自民党や民主党のチンピラ政治家こそ、存在意義のない、どうでもいい存在なのであって、大相撲はそうではなく、大相撲が滅びれば日本民族が滅びる、というほどの必要不可欠な民族的な儀式の一つなのである。好き嫌いは別として、大相撲なんて知らないよ、大相撲がなくなってもわれわれの生活とはなんの関係もないよ、と考えている日本人がいたとしたら、そんな日本人は「日本人失格」と言うべきだろう。今、進行中の「エジプト革命(政変)」が教えてくれるのは欧米発の民主主義なるもののルールの「八百長」性であるが、その八百長は、大相撲の八百長とは悪質性においては桁が違うし、また日本の「検察、マスコミ、政府」の「八百長」と比べても、大相撲の八百長など可愛いものである。僕の小さいころ、日本国民の多くはプロレスと大相撲とプロ野球が大好きだったが、八百長や賭博は、お祭りにヤクザが不可欠なようにこ、これらのプロスポーツにはつきものだろう。プロレスと大相撲とプロ野球……から八百長や賭博を排除したら、金魚鉢から水を抜くようなもので、それこそ、存在意義がなくなってしまうだろう。問題は程度問題ということであって、八百長や賭博は、公然とはあってはならないが、しかし実質的にはなくてはならないもの、つまりわれわれの日常生活には不可欠なものなのであり、一種の必要悪とでも言うべきものだろう。繰り返して言うが、「大相撲賭博メール事件」なんて、新聞やテレビが大騒ぎするような大問題ではない。優勝決定戦に八百長があってはならないが、たかが十両力士たちの相撲である。むろん、新聞やテレビが大騒ぎするところを見ると、何かを隠そうとしているな、と思うのは当然だろう。大手マスコミは、小沢一郎の検察審査会起訴と同時に沸騰し始めた「検察スキャンダル」と「マスコミ・スキャンダル」、つまり検察とマスコミの合作である「小沢一郎バッシング捏造報道」スキャンダルでも隠したいんじゃないのか。
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