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有田芳生の『酔醒漫録』
2011/02/02
小沢一郎「強制起訴」コラムに欠ける「人生の機微」
2月2日(水)「どうして君は他人の報告を信じるばかりで自分の眼で観察したり見たりしなかったのですか」(ガリレオ・ガリレイ、『天文対話』)。自らの言論(周辺)に依拠するばかりで「自分の眼」を特定の方向に固定してしまっているコラムを読んだ。知人でもある若宮啓文さんの「小沢氏の強制起訴」と題した「ザ・コラム」(「朝日」2日)だ。小沢一郎元代表は年末から週刊誌各誌に登場しているのに、なぜ新聞や国会で語らないのかと批判をしている。若宮さんの結論はこうだ。「疑わしきは罰せずなのに、新聞報道は小沢氏に厳しすぎないか。そんな批判には自戒すべきだと思う。だが、議会人として当然の義務である国会での説明を避け続ける以上、その責めはご本人にきっちり負ってもらわなければなるまい」。「自戒すべき」と書きながらも、それは「エクスキューズ」(言い訳)で、言いたいことの核心は後段の「責め」にある。辞職か離党かは知らないが、責任を取れと言外に求めているのである。条件が整えば国会で説明するとは小沢元代表が何度も語り、文書でも公開してきたとおりではないか。そんなことは「他人の報告」でも明らかな事実だ。若宮さんは攻撃の嵐に見舞われた者の微妙な心根が想像できないようだ。私は小沢さんに会ったとき、「テレビや新聞は見ていますか」と聞いたことがある。答えは「ほとんど見ないね」。なぜかと訊ねると「一方的な報道ばかりなんだから」というのだ。私は思った。小沢一郎という政治家も、当り前だが、豊かな感情あふれる人間だ。鉄面皮な政治家もいないではないが、それは例外だろう。誰でも一方的な疑惑・批判報道を洪水のように、しかも数年にわたって行われれば、正視するほどにまともな精神にも影響が及ぶ。朝日新聞で「王道」を歩いてきた若宮さんには、失礼ながら「人生の機微」がご理解できないのではないか。テレビ朝日の「スーパーモーニング」やネット報道、さらに週刊各誌に登場したのも、語ることがそのまま報じられるからだ。新聞は必ず方向性ある要約でしか報道しない。コラムを読んでの感想は「冷たい文章だな」という結論である。
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2011/02/post_7d5a.html
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