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小沢先生が「起訴、」されました。議員会館の部屋に何百人という報道陣が集まりました。
小沢を憎む者、愛する者、評価を保留して事実関係と本人の認識を正確に知ろうとする者、感情も評価も抜きにして商売になるから来た者。
小沢の言葉、声、しぐさ、匂いを捉えようと老若男女が集まりました。
年収が数十万円の者から二千万円を越える者まで、小沢先生を中心に同心円に群がります。時にはうずまきが出来る。うずまきは遠心ではなく求心です。
質問も思惑もさまざまです。そして彼らの視線は国民に届きます。国民の目線はみんなちがってみんないい。
私には会見が曼荼羅に見えました。お釈迦様を中心に弟子や衆生(国民)が集まる風景です。
新自由主義によってバラバラにされた国民の魂が、小沢を媒体にして結び直されようとしている。小沢をめぐる喧噪は、良い悪いの彼方で起きている「何か」が地上に反映しているだけのことだと思います。
分断された心がつながりを取り戻す儀式です。今起きている現象界の「事件」はズレてしまった歴史の修正作業だと感じます。
切れた電気コードをつなぎ直すと一瞬火花が飛びます。スパークです。つながってしまえば火花は治まります。
電気の世界では一瞬の出来事でも、人間の世界では何年もかかります。
世直しはつながりの修正です。会見を見ていると小沢先生はみんなにとって必要な媒体なのだと思います。
小沢の魂も肉体も、すでに小沢一人のものではない。
いま、アマテラスが岩戸隠れをなさって社会に日が射さず、閉塞感の闇に包まれています。
国民という名の八百万の神々が、小沢を媒体にして踊り、狂う。人間の善し悪しを超越したドラマが天上界で起きているので、地上の『記者会見』として権現(顕現)する。
小沢先生の『自由』や『オープン』という言葉は、場を創るというトポスの思想です。形而下は形而上を映し出す鏡なので、場を創れば自ずから天意が地上に投影される。
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体制は堕落します。堕落した旧体制に異議申し立てをする日本国民は八百万神です。暗く閉塞した社会は、天において善くないことだから修正されるのです。
我々の自意識の中での善し悪しの判断は、二義的な話なのだと思います。
ほんとうのリアリティは天にある。天とつながった時に生のリアリティが生まれる。天とは破壊(死)も含みます。
自由もオープンも、快感やエクスタシーと呼ばれる感覚は天を経由して降りてくる。至誠を導く通天閣は検察の偽装された砦にあるのではない。小沢先生が伝えていることはそれだけです。
堕落したカトリックに対してウィクリフやフスが先行しルターやカルヴァンが始めた宗教革命と似ています。
ルネッサンスの再生は日本でも復古維新、原点回帰の反省から始まります。
小沢先生の闘いの気構えは、一瞬のスパークを人間時間の長い単位で復古している「つながりの再生」だと思います。天とつながることで人とつながる思想です。
既存メディアも新興メディアも、小沢が作り出した場(トポス)に曼荼羅のように集まり、社会を再生しようとしている「結びの神々」に見えました。神仏習合の物語が復古していると思います。
八百万神のように「みんなちがってみんないい」。生と死と再生。在ると無いと成る。曼荼羅の世界観はこれだけです。弁証法と同じです。カトリックとプロテスタント、既存と復古、堕落と再生。アウフヘーベンされる発見は国民の意識革命です。
息を吐けば自ずから新しい空気は入ってくる。変わらずに生き残るためには自ら変わらなければならない、という小沢思想の弁証法に国民の集合的無意識は気づいています。
禅の呼吸法のように、普段無視している呼吸に意識を向けるだけで答えは天から降りてくる。生きてることのありがたさや不思議さに気づくあの感覚です。
恨みという「力み」を解きほどくことが思考を解放する本当の『オープン化』であり、正義は勝つという小沢先生の自由思想なのだと思います。そのような発見を導く弁証法が小沢先生の言葉や行動には常に埋め込まれています。
八百万神のようにみんながちがう。同時に天は包摂している。小沢先生の会見を見て『ビジュアル』的に発見した認識でした。
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