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【石川氏側弁護人 女性秘書の証人採用を地裁に要請】
石川氏の弁護側は、女性秘書の証人採用を求める意見書を公判前整理手続きで提出した。
検察側は、「(女性の証言は)事件への関連性も必要性もない」と云っているそうだが、女性は幼い子供と連絡を取れないまま圧迫質問を受け続け、耳が聞こえなくなったと云う。
本件事件の真相は、検察側が小沢氏を不起訴処分としたことで、了としてはならない。
検察は、国民の負託に応えてその職権を行使するものであり、自らの組織防衛のためにその職権を行使するものではない。
最近、森ゆう子議員の果敢な行動に、検察幹部が「鉄槌を下す」とか奇天烈なことを云っているようだが、実名を出すべきだ。
また新聞・テレビは「小沢氏に報告して了承された」と云う部分のみを報じているが本年2月4日の週刊朝日では、石川議員が証拠申請し、地裁が証拠採用した録音記録、の中には「小沢氏に詳細を報告し、了承された事実はない。」とある。それに対し検察官が「ここで供述を翻せば、火に油を注ぐことになる。」と反論している様子が克明に記録されている。
一方だけの証言を報じることには故意があるとしか思えないが皆さんは如何思われるか。
----- 週刊朝日 10年2月12日号
女性秘書は1月26日(火)昼ごろ、石川事務所に「タミノ」と名乗る男から電話があり、女性秘書に「押収品の返却があるので取りに来て欲しい」との連絡を受けた。女性秘書は石川議員逮捕以来、2度検察庁から呼び出しを受け、「押収品」の返却に応じていたので今回も同様だと思い、コートも着ず、大急ぎで地検へ向かった。ところが、検察庁につくと前回とは違う部屋に案内され、民野健治という検事が待っていていきなり「被疑者として呼んだ。あなたには黙秘権があるので行使することができる。・・・」と言われ女性秘書は事情が把握できず、他の秘書か弁護士に連絡したい旨を告げたが民野検事はそれを無視して、逆に携帯電話の電源を切るように命じ、目の前でスイッチをオフさせた、それが昼の1時45分。
任意の事情聴取は、文字通り「任意」である。被疑者であろうが、参考人であろうが、当事者の同意が必要なのはいうまでもない。仮に、拒否してもその場を立ち去っても問題ない。
拒否も国民の当然の権利である。ところが今回のだまし討ち監禁は、そうした意向を問うことなくスタートしている。
民野検事は、女性秘書に、小沢幹事長と石川議員が「共謀」していたことを認めるように迫り続けたという。しかし、小沢事務所と何の関係もない女性秘書が、そんなことを知るはずがない。
それでも検事は、「いいんだよ、何でもいいから認めればいいんだよ」「早く帰りたいなら、早く認めて楽になれよ」「なんで自分を守ろうとしないの。石川をかばってどうするの」
と責め続けたというから異常だ。
3歳と5歳の子供を抱える女性秘書は、保育園に迎えにいかなくてはならない。少なくとも、保育園の閉まる午後7時までには、夫など誰かに迎えを頼む必要がある。検事に「保育園に行かせてください。その後、また戻ってきます。せめて電話だけでも入れさせて下さい」と、繰り返し懇願。それに対して検事が放った言葉がこれだったという。
「なに言っちゃってんの。そんなに人生、甘くないでしょ」という台詞だったという。
女性秘書が解放されたのは、午後10時45分。結局、押収品も返却されなかったという。
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石川議員の女性秘書は、当該検察官を告訴すべきだ。
この聴取は任意でありながら、不審な強要があり、法廷で真実を明らかにすべきである。
検察が不起訴としても、付審判請求がある。
無実が証明された村木さんは、国に対し国家賠償請求訴訟を提起した。
この訴訟も実は、石川議員同様に注視している。
証拠採用された石川議員の取調べの様子の録音記録とこの週刊朝日掲載の記録は、全く同列の検察の取調べの一環であり、要は供述調書頼みの取調べに終始していることに問題があると見ている。
今巷間では、『検察は罪を捏造することも出来るのだ』との懐疑的な目線が注がれている。
検察は依然として全く自省しておらず、謝罪も口先だけである。
森ゆう子議員に対しうそぶいたと云われる言葉も、我々国民からすれば、実に『異様』に聞こえる。
地裁の行政文書なのだから別にきちんと揃えて提出すればいいだけである。
国会の国政調査権とは【国民の知る権利】に基づくものであり、議決がそれを担保する。
検察が強大な捜査権を有するのも法的権能であり、司法権が執行力を有する確定判決や決定を出せるのも同じである。
悠久の歴史に於いて、国が乱れるときは、常に官吏の腐敗に基づく法の乱れと決まっており、今日的検察の供述調書のあり方はその重要な兆候を示している。
したがって、国会がその知る権利の権限を行使することは、行政権と司法権と立法権の三権分立の基本であると確信するものである。
今、この国の正義が危い。多くの国民がそう感じている。新聞もまた危い。しかし新聞は、我々国民で判断できる。
そしてまた我々国民も国民の代表者だけに「して欲しい」と要求するのではなく、自らが自立し行動する時が来ていると云えよう。
皆さんのご意見もお待ちする。
オリーブ拝 ( 2011/02/01 18:55 )
http://www.olive-x.com/news_30/newsdisp.php?n=103338
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