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田中良紹の「国会探検」
野党なき国家の不幸
1984年(昭和59年)のある日、目白の私邸で田中角栄元総理から「日本の政治で一番問題なのは野党がないことだ」と言われたことがある。
角栄氏はその前年にロッキード事件の一審判決で懲役4年、追徴金5億円の有罪判決を受け、「自重自戒」と称して目白の私邸に籠もっていた。政治記者になり立ての私は、ひょんなことから「誰とも会わずに暇をもてあましている」角栄氏の「話の聞き役」となり、目白の私邸に通っていた。
「社会党は野党ではない。労働組合だ。日本国家を経営しようとしていない。その証拠に選挙で過半数の候補者を立てていない」。この一言が私の政治を見る目を変えた。メディアの報道で曇らされてきた目から鱗が落ちた。社会党を野党だと思い込んできたマインドコントロールから解き放たれ、まっさらな目で政治を見るようになった。
田中角栄氏の言うとおり、「野党」第一党の社会党は過半数の候補者を立てない政党であった。全員が当選しても政権交代は起こらない。つまり自民党長期政権を続けさせてきたのは社会党である。政権交代を放棄した社会党が目標としたのは三分の一の議席を確保することであった。それは憲法改正を阻止出来る議席数で、そこから他の国では見られないことが起きた。政権交代より憲法を変えないことが最重要の政治課題になったのである。
どの国も情勢の変化があれば憲法を見直すことをするが、日本にはそれがない。それをすると「野党」第一党の存在理由がなくなるからである。そして国家を経営しようと思わない「野党」は「何でも反対」するようになった。いつか経営する側に回ると思えば無責任なことは言えないが、政権交代がないから何を言っても気楽である。与党のやることすべてを攻撃し、足を引っ張ることが普通になった。
「55年体制」下の日本では「嫌がらせ」と「イジメ」の国会運営が横行した。閣僚が国際会議に出席しようとすると、「国権の最高機関である国会を留守にするとは何事か!」と言って出席させない。そのため国会が開かれている期間の外遊は控えられた。英国では閣僚や与党議員の外遊を野党は阻止しない。しないどころか「国益のために頑張ってきて」と送り出される。その間に採決があれば、外遊している与党の人数を野党は自発的に欠席させて公正を期す。
日本の「野党」は予算の対案を出して競い合うよりも、ひたすら予算を通さなくするために頑張る。何か攻撃材料を見つけては「寝る(審議拒否する)」のである。その材料に最も頻繁に使われたのが「政治とカネ」であった。
田中角栄氏を逮捕したロッキード事件は国民全員をマインドコントロールにかけるほど衝撃的であったから、それ以来「政治とカネ」は「野党」にとって格好の「寝る」材料となった。民主主義国家では事件は司法の場で裁かれるが、わが国ではわざわざ国民生活の議論をする場の国会で問題にし、国民生活に関わる予算と絡めて野党は「寝る」のである。「国会喚問」や「議員辞職」をやたらに要求する手法がまかり通るようになった。
当時の自民党は「野党」を「起こす」ためにいろいろと妥協した。今話題の「政治倫理審査会」も「寝て」いた野党を起こすために作られた政治的駆け引きの産物である。作った自民党は誰も政治倫理のためだと思ってはいない。どだいロッキード事件を「田中角栄の犯罪」と言っているのは検察の手先だけで、自民党の中では口には出さぬが「裏のある事件」と考えられていた。
「野党」には「寝起こし賃」も流れた。海部俊樹氏の「政治とカネ」(新潮新書)にも出てくるが、「野党」を審議に復帰させるために官房機密費から金が流れるのである。最近、官房機密費からジャーナリストに金が流れたことが話題になっているが、それよりも「野党」に流れた金の方が大きいと私は思っている。田中角栄氏は「俺を金権だと社会党は言うが、社会党の方がもっと金権だ。俺は自前で金を作った。だから官僚や財界のひも付き連中とも違う」と言っていた。
「日本も政権交代を狙う本物の野党を作らなければならない」と言われ始めたのは、ロッキード事件の後からである。東京地検がロッキード事件の真相を解明すれば、自民党は政権を維持できなくなるほどの打撃を受けた。しかし社会党には政権を担う準備も能力もない。だから自民党政権を続けさせるために事件の構図は「変形」された。「変形」されて逮捕された田中角栄氏は、だから全身全霊を懸けて無罪を勝ち取ろうとした。それが派閥政治の弊害を生み、それがまた自民党の凋落を招いた。
それからの日本政治は政権交代可能な政治構造を作ることが課題となる。言い換えれば本物の野党を作ることが目標となった。1993年、冷戦の崩壊と共に「55年体制」も崩れたが、自民党より先に社会党が消滅したことは象徴的である。その事によって改善が見られるようになった。審議拒否の頻度は減り、「寝起こし賃」もなくなった。閣僚の国際会議への出席を認めないという風潮も薄れた。そして何よりも過半数の候補者を擁立する野党が現れた。
しかしである。先の臨時国会や今年の通常国会の冒頭を見ると、民主党政権に昔の野党の悪い癖が残っていたり、昔の野党を反面教師にしなければならない自民党が昔の野党丸出しになっている。これでは政権交代が国民のためにならない。
臨時国会の後、私は「熟議という言葉は国会に殺された」と書いたが、菅総理は性懲りもなく「今度こそ熟議の国会にしよう」と言って通常国会を召集した。しかし昔の「野党」時代の癖が抜けないらしく、言った途端に「攻撃モード」になる。「議論に乗らない野党は歴史への反逆」と凄んでみせた。野党を攻撃して一体国民生活に何のプラスがあるのだろうか。総理の仕事は国民生活を守ることで野党を攻撃することではない。
同じことは野党第一党の自民党にも言える。昔の「野党」のように「国会喚問」や「議員辞職」を騒いで国民生活に何のプラスをもたらすのだろうか。昔の「野党」は政権交代を狙わないから、予算を通さなくする嫌がらせをして、官房機密費から金を貰ったり、労働組合の処分を撤回させたり、別の様々な要求を与党に飲ませた。政権交代を狙う自民党が予算を通さなくするのは、解散総選挙に追い込むための手段としか考えられない。
しかし安倍政権が参議院選挙に大敗して「ねじれ」を招いてから、自民党がしたことは総理の首をころころ変えてでも任期満了まで解散をしなかったことである。昔の「野党」にさんざん「嫌がらせ」をされてきた自民党が何のために昔の「野党」の真似をしているのかが私には分からない。
政権交代を繰り返している国の野党は、すぐに政権を取り戻そうなどとは考えない。如何にそれが不満であっても国民が選挙で選んだ政権と政策である。それを攻撃するだけで国民の支持を得られるとは考えない。まずは選挙に敗れた自らの政策を総点検し、与党の政策を上回る次の政策を準備するために時間をかける。それが野党の仕事である。
代表質問を聞いていて驚いたのは、小池百合子総務会長が菅総理のダボス行きを「昔の野党のように反対しない」と言った後で、「そのまま帰って来なくて良い」と発言したことだ。ジョークの積もりかも知れないが、ヒステリーにしか聞こえない。先の臨時国会の予算委員会で質問に立った石原伸晃幹事長も酷かったが、これが野党第一党の執行部かと思うと、昔の野党の衣を脱ぎ捨てられない民主党執行部とレベルは同じということになる。
「日本にも政権交代を狙える野党を作らねば」と言われてから30年以上立つというのに、この体たらくでは国民は不幸になるばかりである。
投稿者: 田中良紹 日時: 2011年1月29日 22:20
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/01/post_245.html
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