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2011年1月28日 (金)
戦争と平和
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1月24日の『日本の独立−主権者国民と「米・官・業・政・電」利権複合体との死闘』ベストセラー化記念講演会で講演の最後に「戦争と平和」について、触れさせていただいた。
沖縄の県知事選に合わせるかのように、尖閣諸島での中国人漁船と海上保安庁巡視艦との衝突事件が発生し、国民の対中国警戒感を煽る報道が大規模に展開された。
投票日直前には、韓国と北朝鮮国境付近での北朝鮮による砲撃のニュースが大々的に報じられた。
浅はかな国民は、この手の出来事と、それらの出来事をセンセーショナルに煽る報道に流されて、低質のナショナリズムの火をたぎらせてしまう。
こうしたものの大半は、人為的に作られたものである。
戦争は国と国の間で繰り広げられる、あるいは、敵対する者の間で繰り広げられるものだと私たちは思いこんでしまうのだが、この理解は本質と離れたものだろう。
戦争は、前線で命を落とすものと安全な場所で指揮し、戦争を遂行する者の間で行われるものなのだ。
前線で命を落とす者に敵も味方もない。いずれもが戦争の被害者である。安全な場所で命令を下すだけで、危険な場所に身を置かない者は、敵でも味方でも、戦争の加害者に過ぎない。戦争は、この加害者と被害者との間で繰り広げられるものなのだ。
戦争はなぜ行われるのか。この問いへの回答を見出すためには、戦争によって誰が利益を得ているのかを考えれば良いのだ。犯罪の捜査と同じだ。
戦争は軍隊と軍事産業と金融の利益のために遂行される。軍隊は前線で危険に身を晒す者と軍隊を指揮するが危険に身を晒さない者とに峻別される。利益を得るのは、もちろん、危険に身を晒さない者だけである。
巨大化した現代の産軍複合体は、定期的に戦争が発生することを必要不可欠とする。この必要性のために、定期的に戦争が準備されるのである。
敵も味方も、映画の配役のようなものだ。戦争を一人で実行するわけにはいかないから、常に敵と味方が用意されるのだ。この人為的な戦争で、敵と味方の最前線の兵士と戦場の民間人が犠牲者になるのである。
戦争をめぐるこの本質を把握しない限り、真の安全保障政策は得られない。日本の役割は、戦争の本質を知り、無用な戦争を排除し、無用な戦争に加担しないことである。
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