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「『ジャーナリスト同盟』通信」 2011年01月27日 本澤二郎の「日本の風景」(674)から下記を転載投稿します。
=転載開始=
<福沢諭吉のアジア蔑視>
自宅に郵送されてきた季刊誌「不戦」(2010秋季号)に、安川・名古屋大学名誉教授の講演録が掲載されている。ポイントを紹介したい。100年前の天皇制国家主義の日本で、大逆事件と韓国強制併合という大事件が発生している。その微妙な時期に、あろうことかNHKは「明るい明治」を描き出した司馬遼太郎の問題作「坂の上の雲」を放映した、といって、安川氏はNHKの不条理を冒頭から批判する。この歴史をひっくり返す改ざん小説に対して、実に12冊の批判本が出版されている。そのためか小説家は「映像まかりならぬ」との遺言までしていた。その禁を破ったNHKの陰謀まがいの放映に対して、現在も専門家の関心と批判が集まっている。
福沢の「一身独立」「一国独立」(学問のすすめ)という言葉が有名だが、その前者の本意は「国のために財を失うのみならず、一命をなげ捨てて惜しむに足らない」(文明論の概略)という「報国の大義」であると明解に解説。国家主義的愛国心がその正体だが、進歩的学者とみられた丸山眞男ら戦後の多くの学者が、愚かにも判断ミスを犯してしまった。司馬もその延長線で物語を創っていたのだ。
民権運動が表面化すると、福沢は「馬鹿と片輪に宗教が、ちょうど良い取り合わせだ」と決めつける。馬鹿と片輪のために「神社・仏閣をふるい起せ」と「時事新報」などで叫ぶのである。天皇家の神道(神社)はそうして無数に建立されたものだろう。
靖国神社の軍国主義的利用も、明治の官僚に歩調を合わせるかのように推奨した。「及ぶ限りの光栄を戦死者並びにその遺族に与えて、戦場にたおれる幸福を感ぜしめよ」と主張する福沢である。人々を狂気の世界へ誘惑する福沢なのだ。
戦後「わだつみ会」事務局長をした渡辺清は、レイテ沖海戦の前夜に次のような遺書を書き残した。「畏れ多いことに、僕は天皇陛下がお直々にご参拝してくださる靖国神社の神様として祀られるのです。それを思うと勇気百倍、こんな名誉はありません」「この日が来るのを今か今かと待っていたのです」などと。
戦争神社の巧妙な仕掛けに惑わされた当時の軍国青年を裏付けている。
福沢の「脱亜入欧」は余りにも有名だが、入欧は「強兵富国」である。富国強兵ではなかった。脱亜のアジア認識は、真っ向から朝鮮や中国は馬鹿だと断じる。「朝鮮人は未開の民」「きわめて玩愚」「無気力・無定見」「朝鮮国は滅亡こそ幸福大」とアジア蔑視はきわまっている。「チャイニーズはあたかも乞食エタ」とも決めつける。
日清戦争に勝利したころの晩年の福沢は「今や支那朝鮮も我が文明の中に包羅せんとする。ひっせい(一生)の愉快、望外の仕合せ」「洸として夢のごとく。長生はすべきものなり」とまるで赤子のようにはしゃいでいる。「福翁自伝」では「日清戦争などは何でもないことだ。唯これ日本外交の序開き」と書いて、帝国主義戦争を予測している。悲憤慷慨する田中正造や中江兆民、勝海舟らと対照的な極右・排外主義の立場を代表していた。
1895年の「時事新報」論説では「今日本の国力をもってすれば、朝鮮を併呑することは甚だ容易にして」などと帝国主義的認識を披歴している。こんな人物を高く評価した丸山の学識が知れようというものだ。
台湾出兵に反対、大久保政権と激突して海軍卿を辞職した勝は「日中韓3国は連帯しなければならない」と主張した。これが正論である。
<天皇制の効用>
福沢の天皇制認識は、神権天皇制を構築した背景を見事にえぐっている。それは「愚民を籠絡するための欺術」なのだ。安川氏は、このことを「アホな国民をたぶらかすための騙しの政治装置」と解説した。明解だ。このレベルの日本なのである。
無数の日本国の若者は、神権天皇に命を捧げる奴隷となって「貧血侵略戦争」を担わされたと決めつける。「日本兵の過半数が餓死で死んでいる」とも。従って日本では「良心的兵役拒否」した若者はほとんど存在しない。たった一人いた。三国連太郎である。「自分は被差別部落民として差別されている。差別を認めている国のために、どうして命を捧げられようか」といって国外逃亡したという。安川氏も驚いて彼を絶賛しているが、初めて知った筆者も感動するばかりである。
第二次世界大戦でアメリカでは1万6000人、イギリス5万9000人もの若者が戦争を拒否して投獄された。
この良心的兵役拒否は、あの大義のないイラク戦争で日系3世のアーレン・ワタダ米陸軍中尉は「虚偽に基づいた違法な戦争」と批判、将校として最初にイラク派兵を拒否した。現在、韓国では1600人の青年が徴兵を拒否して投獄されているという。
<1万円札の価値>
安川氏は、1984年に福沢諭吉が一万円札の肖像に登場したとき、議会もマスコミも沈黙していたと言って嘆く。朝日新聞の読者が「声」の欄で「アジア軽侮の諭吉がなぜ」という題で「アジアに対して強硬な侵略的国権論者であった」「国際感覚の欠如は理解に苦しむ」(京都・木村万平)と抗議した程度だったと指摘した。
84年というと、天皇制国家主義者の中曽根康弘が政権を担当していたはずである。
2004年秋に紙幣の肖像が一斉に入れ替わったが、一万円札の福沢のみが変わらなかった。筆者の記憶では、小泉総理・塩川大蔵大臣ともに慶応義塾OBだったからであると推測している。
隣国との歴史認識の溝が埋まるはずはないのである。鳩山と小沢が東アジア・アジア重視路線を打ち出しても、すぐに崩壊されてしまう日本なのである。
<アジアの仲間になれない日本の悲劇>
日本経済は中国抜きに考えられない時代に入っている。ことほど中国経済の恩恵を受けている。友好こそが最も大事なのだが、信頼関係が構築されることはない。歴史を直視できない今のような日本政治では、アジアの仲間に入れないのだ。
ワシントン枢軸論の菅政権だが、入欧はとうの昔に、入米もまたガタガタである。ウォール街からの2度目の恐慌で大ピンチの欧米経済である。アジアのみが中国、そしてインドが追いかけて元気印といっていい。問題山積といえるが、それでも中国の成長は際立っている。だが、その連携は危うい。戦略的互恵関係でしかない。
今のような日本政治では、いずれアジアから放り出される運命ではないだろうか。危惧する。
アジア蔑視の福沢思想が、未だ消えようとしていない日本である。隣国との歴史認識は、いかんともしがたいほど乖離している。信頼・尊敬も得られない日本なのである。考えれば考えるほど頭の痛い問題である。
このことさえ理解しない日本人に辟易するばかりである。ともあれ安川氏の福沢研究は、福沢の正体を暴いて小気味いい。
=転載終了=
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