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インターネットの発展に、「紙の本」、「大学」、「新聞」、「テレビ」といった「旧体制側」の関係者たちは、「絶滅する」とおびえていたはずだった。だが、時代の空気は大きく変わってきたと、脳科学者の茂木健一郎氏が指摘する。
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時代の流れが見えにくくなっている大きな要因の一つは、このところ世界の変化を促す原動力となってきた「インターネット」の社会の中における位置付け自体が、見えにくくなってきているということもあるのだろう。果たしてインターネットは社会を変えるのか、変えるとしたら、どのような方向に変えるのか、「正念場」を迎えている。
一時期、インターネットを「隕石」に例える議論が流行した。かつて、地球上に巨大な隕石が落下して、それをきっかけに恐竜たちを始めとする多くの生物が絶滅したのと同じように、インターネットの登場によって、これまで社会の中で当たり前のように存在していた様々なものが消滅し、新しいものが建設されると予想されたのである。
インターネットによって、大量絶滅がもたらされるという予測は、すでにエスタブリッシュされたものにかかわる人間にとっては、恐怖や不安の種だったかもしれない。「紙の本」、「大学」、「新聞」、「テレビ」。これら「旧体制側」の関係者たちは、来るべき変化の時代の足音におびえていたはずだった。
一方、既存の秩序を破壊し、新しい世界を建築しようと願う者たちにとっては、インターネットは、希望の星のはずだった。生物は、創造のために「空白」を必要とする。第二次大戦後の焼け野原が、「復興」へ向けた「未来」の受け皿になったように、インターネットが古いものを破壊するならば、その後に自分たちが何かを建設しよう。そんな志にあふれた人たちもいたのである。
ところが、「古いやつら」は案外しぶとかった。一時期「黒船到来」とばかりに騒がれた電子書籍も、フォーマットが統一されないなどとモタモタしているうちに、勢いを失っている。本の流通が電子化されるという時代の趨勢は変わらないにせよ、「紙の本」があっという間になくなってしまうというような「激変」がすぐ起こると信じている人はもはやいない。
「新聞が消える」という威勢の良い論調も、一時期ほど喧伝されなくなってきた。その結果、「記者クラブ」や「横並び記事」など、日本の新聞の悪弊とされてきた慣習も、そのまま温存されそうである。「テレビ」がインターネットによって脅かされるという予測も、なかなか「メジャー感」を出せないネット側のもたつきによって、過去のものになりつつある。
新聞は消えない。記者クラブも、おそらくは存在し続ける。テレビは、メジャーなままである。電子書籍は存在感を増すだろうが、一方で紙の本も流通する。結局、「代わり映えのしない」日本が、今後もあり続けるのではないか。
※週刊ポスト2011年2月4日号
http://www.news-postseven.com/archives/20110126_10985.html
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