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武士道という言葉が氾濫しているが、その本来の意味を理解している人はどれだけいるのだろうか、というより「武士道」という言葉自体、誰が何のために造ったのか知ってるのだろうか。単なる国粋主義的な発想だと思っていたら大きな間違いも甚だしい。
今、NHK教育テレビで沸騰しているハーバード白熱教室におけるマイケル・サンデルという教授の講義内容が大絶賛されている。その内容は数々の哲学的な思想を現実の出来事に対比させて学生たちと議論することで問題点を浮き彫りにさせる手法にある。彼に「武士道」を論じさせてみたいと思っているのは私だけであるだろうか? 非常に興味深い。サンデルの本質は武士道に近いと言ったら大多数の学者が「何を言ってんだ」と非難するだろう、けれど、それは私の勝手である。年末に「朝まで生テレビ」で森永卓郎氏を悪しざまに非難した池田信夫という評論家は、サンデルの思想について、その源はティラーという哲学者の思想にあるだけと断じたが、自身の思想の何たるかは何も示さずに非難しているだけである。日本の学者の典型で、単なる評論家や解説者に過ぎない典型的な在り方に反吐が出る。サンデルの本質は「共同体における倫理の実践」という理念である。西欧と少し異なる米国の自由の概念に「倫理観」と「人間の共同体の帰属の事実」を今一度、我々に問うているのが彼の言うコミュニタリアリズムという思想である。
彼の思想に似ている事は、過去の日本における武士という階級の思想の変遷を見れば明らかだろう。初期の鎌倉武士から江戸時代の安定期に至るまで、武士の基本にあった事は西欧の自由主義に近い。その個人の利益に基づく論功行賞なき主君への忠誠など存在しなかった世界から、江戸時代における安定期での武士という階級としてのなすべき規範へと移行した哲学的な考えが確立されたものが大きく言う所の武士道なのである。その意味するところは「帰属する共同体の倫理観」というサンデルの思想そのものである。これはカントの言う「自律」という哲学的概念の個人の絶対的な倫理観でもなく、ロールズの言う倫理観なき自由でもない。武士という「共同体」という概念の中の倫理観の重要性の観念が同じことを現している。日本の一般国民は、官僚や自惚れている知識人と言われている者たちよりはるかに賢い。だからこそサンデルの思想の根本に、武士道という概念を感じ取り、その事が大ブームの原因になったのだ。もっとも帰属する共同体の意味するところは、封建的な君主制ではなく、全く逆の君主制や専制政治を否定する個人主義に基づく共和制に根拠を置くべきものである事は誤解の無いように付け加えておかなければならない。江戸期の武士たちの哲学的な考えが優れていた証は、大政奉還から明治に移行した時の見事な転換に見る事が出来る。これほど少ない犠牲者と短期間の間に国家の形態を変えた出来事は、どの西欧先進国にも見られない優れた歴史的な出来事だったのだ。
日本という国は、官僚たちが作ろうとしている科学技術という金儲けばかりを追求する学問ばかりが尊重されている歪んだ国になってしまっている。そこに病弊があるのだ。哲学的な学問の重要性の議論が極端に遅れている事を誰も論じていない。その異常性に気が付かされていない大学教授や知識人と言われている人々の責任感の欠如には驚くばかりだ。社会の基本を何に求めるかという議論なくして豊かな社会などできるわけがない。本当に教育で大事な事は「文科系」という基本的な考えの上での「理科系」がなければならない。戦後の教育のひどさは何も変わっていない。我々国民は会社というものに対する部品扱いにされているのだ。これは小泉・竹中路線が行った米国流の倫理観なき自由競争の帰結によって、さらに顕著になった。その典型が派遣法の改悪である。これによって企業の利益は増大したが、それに反比例して不安定な雇用から来る若年層の無力感が増大した。何年努力しても格差から抜け出せず、絶望感に近い気持ちが多数の若者に漂っている。その象徴が秋葉原などの無差別殺人の原因だったのではないだろうか。彼らの行為を正当化するつもりはないが、何人殺したから死刑だ、などという単純な判決だけですべてが解決すると思っていること自体に驚かされる。少子高齢化対策の「子ども手当」を「ばら撒き」としか非難しないバカな議論と同じだ。
これと逆の事は、スポーツ界の相撲やプロ野球に見られる外国人枠などという逆差別だろう。本来のスポーツの目的は素晴らしいパフォーマンスにあるのに、意味のない人種的な規制に何の意味があるのか。遠からず人気取り目当てで、今,話題になっている外国人留学生の就職規制などが国会議員から出てきそうな気がしてならない。本来あるべき倫理的な思想を抜きにした規制には何の価値も生まれない。少なくとも派遣法の概念には最低限、「同一労働、同一賃金」という根本的な考えがない限り社会の疲弊は進むばかりだろう。
現在、世界で日本人が活躍できない根本原因は、過去の我が国の経済的な成功体験を正しく理解していない事にある。技術が優れていたのではなく、その考えが優れていた事に技術がついてきたという事実に誰も言及していない。本田総一郎の成功には、優れた内燃機関の開発で世界をリードしようというソフトウェアのもとの技術であり、ソニーの成功も技術が先ではなく、ウォークマンに見られる発想をもとにした製品の開発で得られた結果なのだ。だから今の日本では技術があっても、それを何に使うかがないから世界からおいて行かれつつある。FaceBookやI-Padのような誰にでも欲しいと思われるものを考えた上での技術がないのだ。規制にがんじがらめにされ、何をするにも同じ方向しか認めようとしないこの国のあり方を、我々が変えない限りじり貧になるだけだ。
こんな状況を許してきた知識人と言われている人々は、どうしてしまったのだろう。官僚制度という歪んだ枠の中で、本質が何も議論されない中で日本という国がどんどん沈んでゆく。みせかけの民主主義というこの国の形を変えない限り、今後の発展はないだろう。
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