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2011⁄01⁄24(月) 08:53
「粛清と弾圧」の菅執行部を倒そう!『ジャスミン革命』に学ぶ、日本にも革命が必要だ!
本日、第177通常国会が開会する。
今国会では、いかに現政権が自ら国民と約束した政策を反故し、自民党の政策に抱きついて変節するか、が見所だろう。
先日、小沢派議員のほとんどが、事前に執行部に残留を要望する文書に署名していたにも関わらず、露骨な粛清人事を強行され外された。
≪左翼粛清政権の本領発揮!さすがにここまで露骨にやるとは思ってなかった≫とツイートしたことを紹介し、「ここまで悍(おぞ)ましい、醜悪なことをするのか」と書いた。
その露骨人事以上に大変ショッキングな事実を知ることになった。
岩上安身氏が、森ゆうこ議員にインタビューをしていて、ここまで陰険に陰湿に、仲間に対してやれるものかと、民主党執行部の実態に愕然とした。
そのビデオを見ながら、次のようなツイートをした。
≪arths2009 asuma-ken
【拡散&必見】小沢支持議員への粛清と弾圧はまさに左翼セクトの実質内ゲバの様相。民主党本部職員が、選挙時に応援してくれた支援者団体を呼び出し「いつまで森ゆうこを応援してるんだ」と圧力をかけていることを森議員が暴露! http://p.tl/NoQQ≫
森氏は参議院議員だから、まだ小沢支持派で党内でも参院をまとめ力を持っている、輿石参議院議員会長が防波堤となっているので、検察審査会追及などの活動ができているという。
その森議員にして、仲間であるはずの民主党本部職員が圧力をかけているというのだ。
当然、これは現・左翼セクトの官邸及び執行部から命令されているのだろう。
完全に「内ゲバ」の実相であり、仙谷あたりが主導し、枝野、安住のボケナス不誠実コンビが指示してやっているのだろうと思う。
森議員ばかりが矢面に立って一人で動いている感があるが、「他の議員はどうしたとよく言われますが、責めないでください」という森ゆうこ議員の意味深な発言が印象に残った。
特に小沢派の新人議員たち、あの手この手で脅され、見えないところで激しい分断工作が行われているのだろう。
あまり怒ると相手の土俵に立ってしまうので、ここは冷静に書くことにする。
既にあちこちで宣言している方も多いが、「倒閣運動」も視野に入れ、まず現執行部を引きずり降ろし、不穏分子を排除しなければ、この民主党にもはや明日はないところまで来ている。
「国民の生活が第一。」を推進していこうとする議員を弾圧・粛清し、官僚・米国に追従し国民とかわした公約を無視する菅執行部にノコノコついて来る議員のみを取り立てている。
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そこで先日、この悪しき流れを止める方策のヒントが、今回のチュニジアにおける「ジャスミン革命」にあるのではないか、と書いたが、日本でも『ジャスミン革命』のようなものは必要だ!と思う。
チュニジアと言っても、日本ではあまりなじみが無い。
個人的にも国の位置すらも知らず知識も何もなかった。
ただ、2002年の日韓ワールドカップの予選グループリーグで、最後にチュニジアを破って、日本は初めてワールドカップで決勝トーナメント進むことができた、ということくらいである。
この時は、長居スタジアムで中田英寿と森島寛晃がゴールを入れ、2−0で勝ち、悲願の決勝トーナメント進出となり、日本中が歓喜に沸きかえった。
チュニジアと言われてピンとくるのは、これくらいである。
余談だが、ちなみに決勝トーナメント第一戦のトルコ戦は、仙台まで観にいった。
雨の中、ほとんど立ちっぱなしで応援したが、1−0で負けて帰りの新幹線はお葬式状態だったことを思い出す。
チュニジアの概要を外務省HPから引用してみると、
●国名:チュニジア共和国(Republic of Tunisia)
1.面積:16万3,610平方キロメートル(日本の約5分の2)
2.人口:1,033万人(2008年、世銀)
3.首都:チュニス
4.民族:アラブ人(98%)、その他(2%)
5.言語:アラビア語(公用語)、フランス語(国民の間で広く用いられている)
6.宗教:イスラム教スンニ派(多数派)、キリスト教およびユダヤ教(少数派)
ということだ。
「ジャスミン革命」の概要としては、『All About』から引用させていただく。
●「ジャスミン革命」チュニジアで政権崩壊(All About)
≪・きっかけは1人の若者の自殺
地中海に面した北アフリカの国・チュニジアは、カルタゴ遺跡で有名
すべての始まりとなったのは、去年2010年12月17日に起こった、1人の若者の自殺でした。
この若者はチュニジア中部の都市シディブジッドで、果物などを売って普通の生活を営んでいました。しかし12月、警察が「許可なく販売行為をしている」という理由で、販売に使う荷車を没収。生計への道を断たれたその若者は、絶望して抗議のために焼身自殺しました。この事件はチュニジア全土で困窮する国民の怒りに火をつけ、各地で警察署などへの抗議・焼き打ちが頻発。今月1月に入り、本格的な暴動へと拡大していきます。
・汚職、失業、食糧価格高騰で国民の不満が限界に
このような暴動が拡大することとなった背景には、これまで23年間独裁政権を続けてきたベンアリ大統領(現在は亡命)政権への不満が、国民の間に溜まりに溜まっていた事実があります。独裁政権によく見られる汚職問題に加え、近年の高失業率問題。そして昨年から深刻化している食糧価格の高騰問題が、国民の不満に火をつけました。
暴動は1月8〜9日ごろから各地の都市で始まり、数日後には早くも首都・チュニスにまで拡がりました。12日には、政府が夜間外出禁止令を発令。政府は軍隊まで投入してなんとか事態の鎮静化を図りましたが、軍部も政府に対して不満を持っていたため、ベンアリ大統領には従いません。ついに1月14日、ベンアリ大統領とその家族はサウジアラビアに脱出し、ここでベンアリ政権が崩壊しました。
その後、1日だけ前首相のガンヌーシ氏が大統領を代行した後、前下院議長のメバザア氏を暫定大統領とした暫定政権が発足。しかし新政権の閣僚に、前与党である立憲民主連合(RCD)の政治家が何人も残っているため、国民の不満は消えずに、まだ暴動・デモは続いています。
今回の政変はチュニジア国花からとり「ジャスミン革命」と呼ばれており、北アフリカ地域に大きな影響を残しそうです。≫
●補足として、この革命にはネットの存在が大きな役割を果たしているので、その部分を「チュニジア 政権崩壊の波紋」(NHK 時論公論 2011年01月18日)より抜粋しておく。
≪今回の政変は、チュニジアを代表する花にちなんで「ジャスミン革命」と呼ぶ人もいますが、インターネットが大きな役割を演じたことから、「ツイッター革命」とも呼ばれています。ツイッターやフェイスブックで若者の自殺の話が瞬く間に広がり、抗議デモの情報が飛び交いました。デモ隊と治安当局との衝突の映像も動画配信サイトで流されました。デモへの参加呼び掛けに応じて大勢の市民が集まり、首都は「大統領は去れ」という声に包まれました。
もう一つの立役者が、アメリカの外交官の公電を公表したウィキリークスだと言われています。アメリカの外交官が、ベンアリ前大統領一族の腐敗や政治の私物化をたびたび指摘していたもので、国民の怒りを強めたと言われます。アメリカ政府は、チュニジア国民は以前から大統領の悪事は知っており、ウィキリークスによる公電の公表が政権崩壊をもたらしたわけではないと釈明していますが、影響は否定できないようです。≫
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その他「ジャスミン革命」について参考になる論説やリポートをがあるので、下記を参照にされたい。
●チュニジアの「ジャスミン革命」はフェイスブックとウィキリークスが決定的な役割を果たした最初の革命 (market hack)(market hackニュース 2011年1月16日1時24分)
●「ジャスミン革命」を成功に導いたソーシャルメディア(Spotlight Jpan 2011年1月21日 11:00)
●チュニジアで起きた史上初のサイバー発革命 ツイッターが広げた蜂起の波(Forbes 2011/1/20 7:00)
●チュニジア・ジャスミン革命の「意外」性(Newsweek:中東徒然日記 2011年01月20日10時05分)
●「資料ブログ」:チュニジア『ジャスミン革命』
否定的な意見として
●「インターネット=良いこと」の幻想を捨てろ+チュニジアの革命(小林恭子の英国メディアウォッチ2011年01月19日)
少し外れるが、革命の命名について面白い記事があったので、その部分のみ転載させていただく。
●「カーネーション」から「ジャスミン」まで、革命を彩る名前たち(AFP BBNews)
世界にはこれまでにも象徴的な名前で呼ばれる市民革命があった。以下に、その代表的なものを挙げる。
■ ポルトガル:「カーネーション革命(Carnation Revolution)」
1974年4月25日、軍部若手将校らが無血クーデターで、マルセロ・カエターノ(Marcello Caetano)首相の政権を倒し、48年間続いた軍事独裁体制に終止符を打った。
将校たちは銃口にカーネーションを挿し、将校の無血革命を支持した市民たちもカーネーションを身につけたことから「カーネーション革命」と呼ばれるようになった。
■ 旧チェコスロバキア:「ビロード革命(Velvet Revolution)」
1989年11月、共産主義体制下のチェコスロバキアで、劇作家バーツラフ・ハベル(Vaclav Havel)らの反体制派グループが主導する反政府デモが拡大し、共産党政権を崩壊に追い込んだ。流血もなくビロードのように滑らかに革命が進んだことから、「ビロード革命」と名づけられた。
その1993年1月1日にチェコスロバキアはチェコとスロバキアに分離して個々の独立国家となり、ハベルはチェコの初代大統領に就任した。
■ グルジア:「バラ革命(Rose Revolution)」
2003年11月23日、3週間前に行われた議会選挙の無効を訴える野党支持者らが、ミハイル・サーカシビリ(Mikhail Saakashvili)らに率いられ議会を占拠。国際社会からの圧力もあり、エドゥアルド・シェワルナゼ(Eduard Shevardnadze)大統領は翌日、辞任を表明した。このとき、議会に乗り込んだ市民らが、バラの花を手にしていたことから「バラ革命」と呼ばれる。
翌04年1月に行われた大統領選で、サーカシビリが96.2%の高得票率で大統領に当選した。
■ ウクライナ:「オレンジ革命(Orange Revolution)」
2004年11月22日、親ロシア派のビクトル・ヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych)首相が勝利したとされた大統領選の決選投票で不正があったと主張する市民らが、首都キエフ(Kiev)で大規模な抗議行動を展開。決選投票のやり直しが決まり、翌05年1月の投票で野党候補ビクトル・ユーシェンコ(Viktor Yuschenko)元首相が大統領に当選した。
ユーシェンコ陣営のシンボルカラーがオレンジ色だったことから「オレンジ革命」と呼ばれるようになった。
■ キルギス:「チューリップ革命(Tulip Revolution)」
2005年3月24日、議会選での不正や政権腐敗に抗議する市民らの抗議運動が拡大し、市民らが政府庁舎を占拠。アスカル・アカエフ(Askar Akayev)大統領は国外へ逃れ、15年続いたアカエフ政権は崩壊した。
4か月後の7月10日に行われた大統領選で、抗議運動の主導者の1人だったクルマンベク・バキエフ(Kurmanbek Bakiyev)元首相が当選した。
「チューリップ革命」という名称は、アカエフ大統領自身が、グルジアとウクライナで起きたような色の名前のついた革命(カラー革命)をキルギスで起こしてはならないと述べた演説の中で使ったもの。(c)AFP
※追記:ここでは命名についての資料だが、中味について「忠武飛龍」様より異論があったので、コメント参照していただきたい。(このような反論は大歓迎!)
花の名前が多いようだ。
同じ時期に日本でもツイッターで呼びかけた、日本で初めてのデモが行われた。
現在の醜悪な菅内閣では、国民生活がメチャクチャに破壊され、小泉・竹中改革の非ではない格差社会が到来する可能性がある。
その場しのぎの思いつき政策や尖閣問題の対応のような誤魔化しなど、国家としてのあり様も危うくなっている。
ここは「Xデー」に備え、倒閣運動を準備すべき時である。
チュニジアが「ジャスミン」なら日本の国花の一つである「サクラ革命」とでも呼べるものができるか、の瀬戸際かもしれない。
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