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2011⁄01⁄23(日) 10:21
感受性が鈍くなると現実の問題を受け流すことが出来ます。感じなくなるからです。断食したり、酒を飲んだり、弱いものイジメをしたりすると鈍感になれます。岡田幹事長はわざと狂い咲きすることで感受性を鈍感にしているように見えます。もちろん無意識にです。
ごはんをちゃんと食べ、酒を控え、弱いものイジメを止めれば基礎体力が回復し感受性が戻ります。すると今までの自分が強烈に恥ずかしく感じます。岡田幹事長はそれに耐えられないのでしょう。
完璧主義者は修正出来ない卑怯者です。卑怯とは修正する勇気がないということです。自分の考えが変えられないのは自分が神様だと勘違いしているからです。自己絶対化、自分神格化です。
過ちを修正すると過去の自分を全否定しなければならないと思い込んでしまうのは、そのような自分の判断が絶対だと思ってしまうからです。自分の判断、つまり理念に呪縛されているのです。
反省は修正です。反省はギャンブルではないので勝ち負けではありません。当たり前のことですが、反省することは負けることではないのです。
すべてを勝ち負けの競争で考える新自由主義者は、反省を競争における敗北だと勘違いしています。イチかゼロか、完勝か完敗かという極端な勝負の発想で考えてしまっているのが岡田幹事長でしょう。だから一つの価値観に閉じ込められた精神世界から出られない。自分の作り出した信念の虚像を恐れている。これがマルクスの言う物神崇拝によって生じる「疎外」です。疎外された人は自縄自縛の痛みに耐えられないから狂い続けるしかない。負のスパイラルです。伊藤潤二の『うずまき』の世界です。今の岡田幹事長を見ていると可哀想になって来ます。
一つの価値観に閉ざされている状態が閉塞感ですから、多元的に考えると反省は可能です。複数の生き方、価値観の多様性、「絶対に正しいことは複数あるのだ」と気づけば天に包摂されます。お天道様が見ているとわかりますから、不完全な自分を反省出来るのです。
岡田幹事長は閉塞社会の姿を身を持って国民に見せてくれているのだと思います。
若松孝二監督の『実録・連合赤軍』で、仲間内のリンチ、殺人の末に浅間山荘に立てこもる活動家の一人が泣きながら叫びます。「ぼくたちは勇気がなかったんだ」と。
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しかしこれは国民にとって悲劇です。悲劇を通り越して喜劇に見えて来ます。精神状態が悲喜劇になると、こちらまで狂い咲きしたくなります。
徴兵、死刑、新自由主義。権力は合法的に国民を殺せます。それでも国民は耐えています。耐えられない同胞は病みます。そして毎日同胞が死んでいるのです。
菅首相や岡田幹事長、官僚機構にマスメディア。彼らは完全地帯を確保して食事をし、住居を確保し、優先的に医療を受けられます。ますますコネとカネがある者だけが生き残る社会になっています。
学校崩壊、家庭崩壊、職場崩壊、コミュニティーが破壊された国民は「小沢の民主党」に国民の生活が第一のシステム転換を託しました。官僚と官報が税金の使い方と裏金を支配する社会で、既得権益を変革する夢を託したのです。官僚機構の改革です。
そのように考えると、ふと気づきます。我々は百年前の同志がやり残した仕事を引き継いでいるだけだと。
右翼、左翼にかかわらず戦前に官僚機構と闘った同志は統治権力からの弾圧を受けて殺されました。
先人の無念は未来に託されました。我々は過去の魂を引き継いで未来に託す媒体なのだと思います。我々の無念も未来の命に託されます。この時代を生きる我々は「時間」というボールを次の世代にバスして死んでいく役割を担っている。長い時間をかけて修正されていくドラマの一場面を任されているのだと思います。
小沢先生は「マスメディアはせっかちなんですよ」とテレビ番組で話していました。我々も閉塞感の中でせっかちに考えているのかもしれません。
中世の同胞は近代の世に何を託したのか。財閥と官僚の暴走を憂い、世直しをしようとした右翼、左翼の先人は平成の世に何を託して死んだのか。昨日自殺した同胞はどんな無念を抱き我々に宿題を残したのか。
先人からの贈与には良い遺産も重たい宿題もあります。しかしすべて本気で託されたラブレターです。本気で託されたものは本気で受け止めなければなりません。命がけのラブレターに偽物はないからです。
我々は何をどのように返礼すればよいのでしょうか。我々の返礼は未来への贈与です。まだ生まれぬ同胞への贈与だと思います。
今起きている混乱を、今生きている我々だけの幸せに限定して捉えると本質を見落とすと思います。岡田幹事長の自己保身の呪縛と同じ閉塞感に陥るからです。
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確かに岡田幹事長はパラノイアの精神病に見えます。しかし我々も同じ時代を生きている以上、近代の呪縛に閉塞されて狂っているのだと思います。そこから抜け出して「正義」を発見するには先人の魂と未来の命を想起して今を生きる。この視点から時代を見直す一年になると思っています。
小沢先生の言う「国民の生活が第一。」の『国民』とは今生きている国民だけでなく、死んだ同胞と未来の命も含めた国民です。「正義は勝つ」という小沢先生の言葉は、長い歴史の中での修正です。
小沢先生の安定感はお天道様への畏敬からくる自信ですが、お天道様はせっかちではないので人間の短絡時間の概念では修正しないのかもしれません。
それならそれでいい。自分の出番はひとつの役割だ。小沢先生があわてないで待てるのは、先人と未来への信頼があるからだと思います。
私は小沢先生の時間感覚、「イギリスの議会も何百年もかけて今の形が出来たんでしょ」という歴史感覚が信頼出来るのです。
小沢先生はせっかちではないので、百年前、千年前の先人から贈与されたラブレターが分かるのだと思います。そして未来に返礼しようとしているだけだと思うのです。
我々はそのお手伝いをしているだけだと思っています。
善悪は表裏一体ですが、悪の側からばかり見ると悪に引き寄せられてしまいます。
孟子は四つの徳の芽生え(四端の心)が人間にはあるという性善説を唱えました。仁、義、礼、智の四徳を備えた人は勇気がみなぎっている。そのような人間を「大丈夫」と呼びました。
小沢先生は勇気のある人です。だから大丈夫だと思います。
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