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「第三の開国」?−第三の敗北をこう言いくるめる売国奴・菅の詭弁をゆるすな!
1.
第一の「開国」=第一の敗北
もちろん、1853年7月8日、浦賀沖にぺりー率いる「黒船」があらわれるところから始まります。
ここから、現在までつづく第一のウソも始まります。
まず、黒船「来航」といわれますが、黒船「来襲」です。
日本の小学生は皆ウソを教えられるわけです。(この点、戦前はどうだったのでしょうか。)
つぎのように教えられます。
「来航の目的は、@捕鯨船の食糧・薪水の補給の便宜を得ること、A難破した船員の保護、B通商貿易・開港を求めること」であると。
@、Aの目的はカモフラージュで、もちろん真の、最大の目的は最後のものです。
また、「通商貿易・開港を求める」、「友好通商を求める」ことも、通常、軍事的侵略の言い換えであることはよく知られています。
傍証を並べておきます。
やって来たのは軍隊です。
アメリカの東インド艦隊(1835年設立。1866年からアジア艦隊)です。
この艦隊はアヘン戦争(1839年〜1842年)にも中国地域の「米国人保護のため」出動し、のち清に望厦条約(最初の米清間条約)を押し付けています。
ペリーは軍人、東インド艦隊司令官です。提督は便宜上の呼称で、正式には大佐かつ代将であった。(当時は大佐が最高位であり、艦隊指揮官として随時、代将となる)。
4隻は軍艦です。
旗艦「サスケハナ」は、排水量3,824トン、10インチ砲3門、8インチ砲6門、随艦「ミシシッピ」も3,230トン、10インチ砲2門、8インチ砲8門です。
この艦隊の行動は、軍事作戦です。
1853年5月26日ペリー提督が琉球を訪れ(強襲して)、強制上陸しています。(その後、7月8日、浦賀へ)。
浦賀にも約300人が上陸しましたが、その中には、必要なら強行上陸作戦をとるべく海兵隊(陸戦部隊)が含まれていました(この部隊の指揮官ゼイリン少佐)。
ペリーは、日本遠征の計画を事前に海軍長官グラハムに提出して、こう述べている。
「任務成功のためには4隻の軍艦が必要で、その内3隻は大型の蒸気軍艦であること。日本人は・・・目で見ることで近代国家の軍事力を認識できるだろう。中国人に対したのと同様に、日本人に対しても恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があるだろう。」
なお、ペリーは米海軍による太平洋地域遠征、侵略、征服作戦の親玉のような存在で、あだ名を「蒸気船海軍の父」というそうです。
また、この時代には海軍軍人が自ら植民地政策を発案、遂行しています。政治家であり商売人であるような存在というわけです。ダグラス・マッカーサーの父アーサー・マッカーサー中将が退役後に初代のフィリピン軍政総督となったことを思い起こさせます。
2.
第二の「開国」=第二の敗北
1945年8月15日。次の事実だけ挙げておきます。
日本と連合国各国との降伏文書調印式のため、米海軍戦艦ミズーリが、8月29日、東京湾に入ります。
調印式は9月2日、東京湾(浦賀水道内の城ヶ島と館山の間あたりの海域)に停泊する同艦の甲板上で行われました。
そのときミズーリの甲板には2枚の星条旗が飾られていたそうです。1枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物、もう1枚は1853年の黒船来航で江戸湾に現れたペリーの艦隊が掲げていた物でした。
1853年7月8日、浦賀沖にぺりーの「黒船」が襲来して以来の、アメリカの念願、太平洋制覇の宿願が、90年後、ついに実現した瞬間というわけです。
なお、第一の敗北の現場は「浦賀沖」、第二のそれは「東京湾上」と普通いわれていますが、上記「浦賀水道内の城ヶ島と館山の間あたり」を地図で確認すると、同じ場所です。
私(投稿者)は、以上すべてはアメリカの歴史的野望の到達点なのだから、そしてそのためにはグァム(テニアン)、サイパン、硫黄島、沖縄島で米海兵隊員の血が流されたのだから、アメリカがその成果を、つまり日本列島と沖縄に獲得した軍事拠点をそう簡単に手ばなすはずがないと考えています。とくに海兵隊が沖縄を自ら手放すことはない。つまり、追い出すしかないのです。
それにしても、アメリカの太平洋制覇作戦はつねに演出満載、宣伝効果抜群でされます。軍事行動だから当然なのですが。
マッカーサーが1944年10月、フィリピン・レイテ島に再上陸したときの、上陸用舟艇から海の中を歩いて浜辺に向かう様子。硫黄島・擂鉢山に星条旗を押し立てる海兵隊員の姿などは何度見せられたことでしょう(この戦いだけでも日本軍の死者2万人)。
その後、1945年8月30日、厚木飛行場にマッカーサーの降り立つ姿。さきにあげた、戦艦ミズーリー号上の星条旗。9月27日、昭和天皇を呼びつけて並んで撮った写真、なども同じです。
1853年ペリーが浦賀に上陸したときも、軍楽隊を連れて来ていました。どのように使われたかはわかりません。
3.
わが国の現在の総理大臣が、TPPなどを念頭に、「第三の開国」と声高にのたまうとき、彼は以上の第一、第二のそれをどう思っているのでしょう。
「第三の開国」にあたり、今度はどんな演出、パフォーマンスが用意されるのでしょうか。
かつてアメリカ大統領の前でプレスリーを歌い踊ってみせた首相がいましたが、硫黄島で軍手をはめた両手を合わせている現首相の姿もかなり異様です。
硫黄島で、彼は何を思ったのか。第二の敗北の姿が映像として脳裏に浮かばなかったのでしょうか。
沖縄には多くの米兵英雄の名を冠した軍事施設があります。戦死した海兵隊員に罪はありませんが、沖縄戦の日本軍・民間人の死者は18万人を超えます。
売国奴をゆるすな。「第三の開国」のウソをゆるしてはいけません。
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