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以下の記事は2年前に田中良紹氏が「内憂外患」に投稿されたものをそのまま掲載するものである。著作権侵害になるかもしれませんが、より多数の人々がこの記事の内容の深さを知る必要があると考えて、敢えてここに掲載する。企業献金は悪だと思っている人々が完全に騙されている事をよく考えてもらいたい。悪は官僚制度の方なのだ。そして、いかに何も考えないバカな政治家がこの国には多いかを見て笑ってやって欲しい。
2009年3月23日付け 「政治とカネの本当の話(3)」 内憂外患より
執筆者 田中良紹
「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介は、戦前商工省のエリート官僚として満州で「産業開発5カ年計画」を主導し、その成果を日本に持ち帰っていわゆる「1940年体制」を構築した。官僚が企業を隅から隅まで統制して計画経済を行う仕組みである。それが戦後の経済成長モデルとなり日本を世界第二位の経済大国に押し上げた。官が司令塔となり、政治が後押しをして自動車、家電製品の輸出でカネを稼ぐ仕組みだが、現在の金融危機によってその構造は崩壊しかかっている。
岸信介が「妖怪」と呼ばれた理由には色々あるが、一つはロッキード事件、グラマン事件、インドネシア賠償など「金権スキャンダル」の噂が絶えなかったにもかかわらず、一度も逮捕されなかった。岸は「政治資金は濾過器を通せばきれいになる」と語っていた。「濾過器」とは何か。官僚支配のこの国では官僚機構が関与した政治資金は「きれいになる」と言うのである。
ロッキード事件は全日空が購入したトライスターと防衛庁が導入した対潜哨戒機P3Cの選定を巡って海外から日本の政界に55億円の賄賂が流れたが、摘発されたのは民間の部分だけで防衛庁が絡む疑惑には一切手がつけられなかった。政治家では田中角栄だけが5億円の収賄容疑で逮捕され、50億円の行き先は解明されなかった。
岸信介とは対照的に「濾過器」を通さずに政治資金を集めた政治家が田中角栄である。田中は総理在任中の1974年に月刊誌「文芸春秋」が特集した「金脈研究」で失脚したと世間では思われているが、本人はロッキード事件で逮捕された後も金権批判を全く意に介していなかった。それどころか「俺は自分でカネを作った。だからひも付きでない。財界にも官僚にも借りはない」と胸を張っていた。しかし「濾過器」を通さなかった事で田中は「金権政治家」のレッテルを貼られた。
官僚が国民を支配するノウハウには色々ある。前に説明した「誰も守ることの出来ない法律を作り、摘発は裁量によって行う」のも一つだが、他には「すべての施策を官僚が行い、民間にはやらせない」というのもある。そのため民間人が資金力を持ち、その金で社会活動を行うことを官僚は極度に嫌う。要するに「寄付」行為を認めない。
欧米では税金も寄付もどちらも国民が社会に対して行う貢献である。社会にお世話になり、社会から利益を受けている以上、自分の収入に見合って社会を維持するコストを払う。税金と寄付との間に差はない。だから税金で貢献するか寄付で貢献するかを国民は選択できる。寄付をすればその分税金は控除される。金持ちは税金を払うより自分の名前を冠した劇場を寄付したり、公園を寄付したりする。つまり個人が自分の金で社会的施策を行う。
ところがこれは著しく官僚支配を弱める。人々が国家より金持ちを頼るようになる。官僚国家の日本では「寄付」は「邪悪な考えの金持ちが私欲のために行う」と考えられ、好ましくないとされる。だから寄付をすると同じ金額の税金を取られる制度が作られ、日本に「寄付」の習慣がなくなった。その考えがそのまま政治の分野にも適用され、「政治献金」は「悪」だとする風潮が生まれた。
かつて税制上認められていた政治献金は企業の「交際費」である。与党の1年生議員は当選すると企業を回って歩き、後援会への入会と政治献金を求めた。まだ企業が総会屋に利益供与を行うことが認められていた時代には、総会屋を担当する総務部が政治家も担当した。企業にとって政治家は総会屋と変わらず、何かの時の保険で、積極的にはお金を出したくない存在だから、政治家が企業から献金を受けるのは大変だった。
そうした時に頼りになるのが官僚組織である。民間企業の許認可権を持つ役所が口を利けば、企業は直ちに献金してくれる。議員が大臣になりたがるのは、大臣になればそれ以降は役所がずっと面倒を見てくれるからだ。献金も集めやすくなる。選挙の票も集めてくれる。そして情報も教えてくれる。これが官僚組織が政治家をコントロールする手口である。こうして族議員が生まれてくる。
政治家が自分で金を作ることや、民間が政治家を育てることは司法によって摘発の対象となった。そして「濾過器」を通らないと「汚れたカネ」として摘発の対象になる。これが政治を官僚組織に従属させ、国民を支配する官僚のノウハウなのである。
ロッキード事件で丸紅の政治献金が賄賂と認定されると、日本の大企業は政治献金を嫌がるようになった。そこで政治献金の主体が大企業から中小企業やベンチャー企業に移るようになった。その代表がリクルート・グループである。そして三木内閣が政治資金の金額の「規制」に踏み込んだことから、政治献金の形が普通ではなくなった。
本来、政治資金規正法の主旨は金額の「規制」ではなく、カネの「入り」と「出」を透明化することである。誰からいくら貰い、何に使ったかが分かれば、その政治家の働き振りが分かる。大して仕事をしない政治家は「入り」も「出」も少ない。政治活動を活発に行う政治家は金額が大きくなる。その使い道を見て有権者は政治家として有能かどうかを判断する。ところが三木内閣は「クリーン」を売り物に、世界の民主主義国がやらない金額の「規制」に踏み込んだ。これは政治の力を弱めたい官僚には都合が良かった。
リクルート・グループは現金ではなく値上がりが確実の未公開株を政治家に提供し、売れば確実に金が手に入るようにした。この手法が違法として摘発されると次に絵画を政治献金に使う手法が現れた。絵画には高価な物もあり、現金を移動しなくとも所有権を移転するだけで献金をしたことになる。竹下登が関わったとされる「金屏風事件」でその一端が明るみに出た。
金額を「規制」した結果、政治資金は次第に闇に潜るようになり、暴力団の世界と結びつくようになった。バブル期に日本の銀行が軒並みヤクザに絡め取られ、不良債権を累積させたように、政治の世界にもヤクザの資金が入るようになった。恐ろしい話である。それなのに何か不祥事が起きるたびに「もっと規制を強めろ」と言う声が上がるばかりで、「透明化が大事だ」と言う声は聞かれない。政治とカネの関係は国民の見えないところで地下経済と結びついている。
以上
いかがだろうか、これほど明快に官僚の作った「政治とカネ」という造語の裏側を解説した文章を見たことがあるだろうか。我々はマスコミなどに簡単に騙されるものであることを再認識すべきなのだ。ここで言っている、・・・誰も守ることの出来ない法律を作り、摘発は裁量によって行う・・・と言う事の怖さを我々は真剣に考えなければならない。
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