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週刊・上杉隆 【第158回】 2011年1月20日
フリージャーナリストらによる「小沢一郎懇談会」開催の意図と経緯を語ろう
1月17日月曜日、フリージャーナリストらによる「小沢一郎懇談会」が開かれた。赤坂の料理屋「むさし坊」、割り勘での意見交換会である。
会合の直後から、想像を逞しくして、その政治的な意図を探そうとする輩が頻出している。ツイッター上では信じがたい陰謀論も横行している。
本来は、懇談があったこと自体すら表に出す必要もない。だが、それでは記者クラブメディアと同じだという批判も少なくないのは確かだ。
それに、参加したジャーナリスト、あるいは不参加だったジャーナリスト、その他すべてのフリーランスの名誉のためにも、降りかかったいわれのない誤解は解いておかなければならない。それはコーディネーターとしての筆者の責務でもあろう。
■ 民主党が政権与党になった途端にフリー記者は会見から閉め出された
じつは、記者クラブ制度のおかげで、野党時代の民主党の記者会見から通い続けながらも、質問の機会さえ得られないフリーのジャーナリストやライターが少なからずいる。
来る日も来る日も、暑い夏も寒い冬も、党本部に通い続けてきた者が、政権交代と同時に、一方的に記者会見から締め出されているのだ。
いったい彼ら、彼女らが何をしたというのだろうか。そうした差別が横行していることと、今回の「小沢一郎懇談会」の実施は、実は無関係ではない。
戦後、同業者が同業者を排除するという摩訶不思議な日本のメディアシステムは、いまなお変わっていない。立派な社会人であるはずの報道機関の記者たちが、立場の弱いフリーランスを排除しつづけているのだ。
彼ら、彼女らはサラリーマン記者のようにタクシーを使えるわけでも、ましてやハイヤーで通えるわけでもない。朝から満員電車に揺られて、記者会見場に通う者がほとんどである。
だが、そうまでして永田町・霞ヶ関にやって来たものの、必ずしも記者会見に出られるというわけでもない。
そこで邪魔をするのが記者クラブシステムである。新聞・テレビの同業者が権力者の門番よろしく、フリーやネット、海外メディアの記者の入場を制限するのだ。
フリーランスは誰一人、記者クラブに入りたいと言っているわけではない。単に、政府の公的な記者会見に参加したいと希望しているにすぎない。にもかかわらず、参加は認められず、仕事のできない状態が続いているのである。
そもそも多くのジャーナリストにとって、記者会見に出席すること自体は目的ではない。それは、単に取材上の手段だと認識している。
なにしろフリーランスの記者たちにとって、記者会見への出席は、金銭的にも時間的にも単なる浪費なのである。新聞・テレビの記者のようにその仕事自体に給料が発生しているわけではないのだ。
「そうした若手のジャーナリストたちの声を一度、聞いてはもらえないでしょうか?」
昨年末、私が、小沢一郎元代表に頼んだのはそういうことである。
では、なぜ小沢一郎氏か。
■ 小沢氏に懇談を頼んだ理由とフリーランス側の参加基準は
実は小沢氏こそ、自民党を離党した直後の1993年から、一貫して記者会見をオープンにすべきと主張し、それを実践してきた政治家に他ならないからである。
その彼に政権交代後の現状を説明し、状況を知ってもらい、また、逆に彼の情報公開等に関する政策を聞こうというのが、今回の会合の趣旨であった。
だから、フリーランスの記者を中心に声を掛けたのだ。だが、予想はしていたものの、案の定、嫉妬交じりの批判が始まっている。
筆者は一向に構わないが、それでは、誘ったフリーランスの記者たちに申し訳ない。よって、その参加基準だけでも明確にし、記しておこうと思う。
まず第一陣として声を掛けたのは、野党時代の民主党代表・幹事長会見から出席を続けながらも、いまなお会見で不公平な扱いを受けている数名のフリーランスのジャーナリストやライターたちだ。
とりわけ、一昨年の9月に首相官邸前で門前払いを食らい、さらに普段、小沢氏との接触がほとんどできない記者たちから優先的に声を掛けさせていただいた。
神保哲生氏、田中龍作氏、村上隆保氏、島田健弘氏、畠山理仁氏、亀松太郎氏、小川裕夫氏、そして筆者を加えた8人である。
神保氏はビッグネームでもあり、小沢氏との対談も行なった実績があったが、なにしろ約20年にわたって記者会見オープン化のために尽力してきた功労者である。そのことからも、敬意を表して、特別に最初に声を掛けさせてもらった。
この時点で都合のために参加できない数人を除き、8人の参加が決まった。実は、これで当初予定していた会合の人数に達してしまったのだ。
■ 小沢氏は増員を快諾、会場の定員ぎりぎりの13名に
だが、可能ならばもう少し参加者を増やしたい。目的も、取材方法も、価値観も、立場も違うが、ともに苦労をしてきたフリーランスはまだまだたくさんいるのである。
じっくりと少人数で話をしたいと言っていた小沢氏だったが、あっさりと増員を許してくれた。よって、会合場所の定員である13名ぎりぎりまで誘うことにしたのである。
そこで第2陣として声掛けをさせてもらったのが、政権交代後の約一年半で記者会見オープン化のために積極的に動き、また閣僚の会見などで、国民の知る権利や情報公開等に関する質問をした記者たちであった。
それが、岩上安身氏、七尾功氏、江川紹子氏、寺沢有氏、伊田浩之氏である。
追加も全員参加の回答を得て、この時点で定員の13名に達してしまった。
もちろん、公的な会見に参加し、また出ようとしているジャーナリストやライターがまだたくさんいるのは知っている。だが、すべての者にチャンスを作ることは、月曜日の時点では不可能になった。
そこで小沢氏に事情を話し、今後もこうした機会を設けることを約束してもらった。さらに、一部参加者からの依頼により、今回の会合の内容をもオープンにすることの了承を得たのだ。
■ “懇談内容のオープン化”は筆者の議員秘書経験でも初耳
国会議員秘書経験のある筆者からしても、懇談内容をオープンにしていい、という政治家は聞いたことがない。
もちろんこれがすべてではない。だが、先にも述べたとおり、小沢氏がクローズな政治家という印象は、しょせん記者クラブメディアが作った虚像に過ぎないと疑うに十分なエピソードではないか。
「ちょうちん記事を書いてくれとは言わない。批判してもらってもかまわない。フェアにやろうといってきたんだ」
こう語る小沢氏だが、記者会見のオープン化に関して、ひとつだけ気に掛かっていた発言があった。
それは1993年、小沢氏が語ったとされ、新聞やテレビなどで再三報じられることになった「記者会見はサービスだ」という発言である。
偶然にも記者会見をオープンにした年の発言である。となると小沢氏は矛盾していないだろうか。
その点を質すと、小沢氏はこう返した。
「僕は記者会見は公共サービスだと言ったんです。政府や政党の会見は公のものでしょう。だから、新聞やテレビの記者諸君で独占するのはおかしい。公財である記者会見を公共サービスであり、公平に雑誌や海外メディアの諸君にも参加してもらおうといったわけだ。それがまったく逆の意味で使われたわけなんです」
懇談内容は、それぞれの記者たちがそれぞれの方法で報じるかもしれない。それに対しても、小沢氏は事前のチェックを入れないという。
果たして、この四半世紀、記者クラブメディアの報じてきた「小沢一郎」とは何者だったのか。
ぜひとも、健全な懐疑精神を持つ第一歩にしていただきたい。
http://diamond.jp/articles/-/10824
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